『涙で滲んで』とかじゃなく

 

夢では昨夜も君たちに水浴びをさせていたし、たとえ忘れているとしても、たぶん毎晩のように夢で逢っているんだろうけど、俺が今いる“こっちの世界”でも、確かにすぐそばに君の存在が有るのが分かってはいるんだけど、その愛しくて可愛い姿が見えない。

 

『現実世界』なんて呼び名は好きじゃない

 

俺がいる“こっちの世界”と、君が旅立って行ってしまった“そっちの世界”は、確実に存在している両方供が『現実世界』なんだけど、『目の前の見えてることだけ』しか信じない、バカで愚かな人間どもには、どんなに説明したって到底理解できるはずもないわけで、自分でそういったものを実際に『自分の目で』見ないことには絶対に他人の言う事なんて、100パーセント信じないのが『人間という愚かな生き物』の最大の特徴だ。

 

単純な奴

 

1度でも『現実世界』で、自分も何か“不思議な出来事”に遭遇すると、「あー、それ、俺も見たよ!」だの、「私もちゃんとこの目でシッカリと見たわよ!」なぁーんて言うけど、自分の目で見るまでは、決して「アタマオカシイんじゃないの?」とか「ゼッテーあいつ、ヤバイっしょ!」だの、「あんなこと言って、アブナイから近づかない方が良いわよ!」なんて、絶対に『否定側』の態度をとってみせたがるのが不思議でならない。

 

フォッグマンとの“遭遇”  ←大袈裟過ぎだっての。(笑)

 

フォギーマンだったかフォッグマンだったか忘れたが、要するに白や黒い色の『霧状の人間』等のことを指していう言葉だが、俺は過去に何度もそれらの存在に“遭遇”している。

 

別に驚いたり怖がったりしない

 

むしろ『当たり前』の存在で、“遭遇”( これは明らかに大袈裟だとしか言いようがない )したときは、全然恐くも無かったし、驚いて騒ぐような感情になることなど一切無かった。

 

存在するのは『当たり前』

 

むしろ、『人ならざる者』を目の当たりにしたといって、まるで生まれたばかりの子鹿のように「フルフル」と小刻みに震えてみたり、或いは『驚愕の面持ち』をして、目玉を大きく見開き、愕然としたような表情で『キョドって』←(しばらくこの表現を聞いたことも無いが(笑))みせたりすることのほうが、むしろ滑稽で異様な“リアクション”に見えてしまう。

 

白い霧状の『人の大きさの“何か”』

 

過去にもこのブログに書いたが、俺の母が亡くなってしばらくしてから、以前母と住んでいた家の中(洗面所の脇の廊下だった)に、俺のすぐ傍に『白い霧状の人』がいて、明らかにそれが母だと分かっていたし、その後も何度かリビングと廊下の間の扉やトイレの扉を「パタン」と閉めたり、そのうち俺がそれに気付いているのに全く無反応だった事に怒ったのか、最後にはトイレの半開きのドアを思いっきり「バッシーンッ!」と閉めて、それ以来一切俺の前には現れることは無くなってしまった。(← お母さんゴメンねw。)

 

黒い霧状の人影

 

あるときは、体育館ほどの大きさの仕事場で、大勢の人々が電話応対をする職種に就いていたときに、そこの部屋の廻りの壁が全部真白い部屋だったので、電話応対の待機をしていたときに、“ふっ”と何かの視線のようなものを感じて、なにげに左の方を見ると、およそ15メートルくらいだろうか、そこの部屋に出入りするドアの付近から、『人が歩く速度で』黒い霧状の人の大きさの塊の影がゆっくりと前方の方向へと移動するのを見たこともあったが、廻りのみんなが電話応対にいそがしい中で、わざわざそれを見たからといって“大騒ぎ”したところで、「何だこいつ、アタマがオカシイんじゃね?」とでも思われるのが関の山だとすぐに理解したので、只一瞬その黒い『霧状の人間』に対して“一瞥をくれた”だけですぐに仕事に戻ったのだが、当の霧状の黒い人物にしてみたら、「ヲイヲイ、もっと驚けよ!w」みたいに思って『拍子抜け』したんじゃないかと今でも思い出すとそう思わずにはいられない。

 

もっと色んな『不思議な出来事』は有るが

 

いわゆる一般的に言うと『霊的な体験』(← だから大袈裟だっっちゅーにw)を何回も経験しているが、また何かの機会に紹介するかもしれないけど、別にこの世界は『人間どもの占有地』なんぞではないのは当然、もっとたくさんの『魂の存在』が歴然として居るのだし、別に今更驚いたり怖がったりするような話でもないし、俺よりも先に『そっちの現実世界』に旅立った大親友の2人には、いつまでも俺の傍に居てほしいし、俺がいつかクタバったその時には、ちゃんと君たち魂の状態でいる存在のことが、自分の目で確認できるように、ちゃんと2人とも導いてくれよね、と今から願っている。

 

うわーん! 悲し過ぎる! °・(ノД`)・°・