そもそも“現実の世界ではない”この世界

 

まぁ、殆どの人間は生まれてこの方、自分が今生きている世界を“現実”だと思っていることは間違いない。

 

今生きている世界や自分の目に見えている全てのものを『現実だと錯覚して』生きている。

 

空気も水も、海や川や山も野も他の生物全てが『現実の中で』生きており、我々人間がこの地球という惑星に『生まれ落ち』地上の生命の進化の過程に従って『人間という肉体』が生きていて、その肉体の部品の一部である“脳”によって思考し喜怒哀楽を感じ、“自分”という肉体がより幸せに暮らす為に努力し試行錯誤し挑戦して寿命を全うしようと、まさに“懸命に”生きている。・・・つもりである。

 

現実だと思っている全てが『シミュレーション』

 

『孫悟空』という物語を知らない奴はまず いないだろう。

 

あの孫悟空の物語の中で、孫悟空が『お釈迦様の手の平の上で』暴れ回って(孫悟空自らは“縦横自在に”世界中を我が物顔で飛び回っていると『勘違い』しているだけ)いるのとほぼ同じである。

 

孫悟空は我々人間であり、お釈迦様は『クババ』(前項の『筐体であるというのなら』参照 )であって、この地球という惑星も、人間が『現実』だと錯覚している全ても、所詮は『クイーン・クババ』という高度に進化した地球外生命体によって『意図的に作られたシミュレーション』の中で、試行錯誤し喜怒哀楽を感じ、様々な自分の人生をもがき苦しみながら、自分の独自の考えと自らの的確な判断によって、寿命までの約100年間を全うしようと“努力”しているかのように感じて“一生懸命”に生きている。・・・ように、今この瞬間さえも錯覚している。

 

『筐体でしかない』この身体

 

只の“側”である。

 

或いは“乗り物”とか、または“入れもの”とか“箱”と言えば 聞こえはいいが、実は只の“筐体”でしかなく、我々人間が『自分の肉体』だと錯覚している“ガワ”は、本当は我々が操作して動かしている只の『ロボット』であって、しかもそれはクババの作ったシミュレーションの中でだけ『現実だと誤認しながら』、実は『本当の現実を知らずに』寿命を全うする。

 

では我々は『何者なのか?』という疑問

 

知っている人は知っているし、私もその事は以前から気付いていた(但しそのことはここではあまり重要ではない)。

 

我々人間が生きていると“錯覚している”この『生々しい現実だと誤って認識している世界』はクババによって投影されている、いわば『バーチャルリアリティ』の世界の中の出来事であり、その全ての営みは『シミュレーション』でしかない。

 

更にそのシミュレーションの世界の中で、自分の意思で自分の独自に判断した『生き方』を自らが的確に選び、『正しい判断』と、自分の信念に忠実に、正義とモラルとマナーと良識に従って、偽の現実世界である『社会』を正しく生きている。・・・はずだった。

 

実は魂だけの存在

 

もちろん、この身体を『操縦』しているのは紛れもなく『魂』であって、その魂が肉体に宿る前に、いわゆる『お釈迦様』と、このシミュレーションの中で人間という『制限のマスター』を生きる“契約を結んで”生まれてくる。

 

如何にシミュレーションを『上手にクリアするか』

 

そう、我々人間が今夢中になってやっている『VR・仮想現実の世界』が、実はもうすでにこの(現実だと錯覚している)世界そのものであって、電気電源コードも操作パネルも液晶ディスプレーもバーチャルスコープも不要な、まさに完全無欠な『完璧な仮想現実』のゲームの中を生きているのが、我々人類なのだ。

 

筐体であるというのなら

 

ならば、我々人間という『魂の乗り物である筐体』が、クババの作ったシミュレーションの中を何故に彷徨わなければならないのか、望まずとも人類として生まれてこの地上というVRの中で、もがき苦しみながら『何故生かされ続け』なければならないのか、人間とは何なのか、何の目的を持ってこの“現実だと錯覚させられている”世界でゲームをし続けるように仕向けられているのか、『神を信じる』『宗教・信仰』『般若心経』『天国と地獄』『道徳・モラル・正義』『社会・共存共栄』『悪魔と魔力』『憎しみ・呪い・殺意・犯罪』『罪と罰』『生と死』とはいったい何なのか?

 

 

 

次回はこれらの疑問に迫りたい。