『 子供なんだから騒ぐのは当たり前だ 』と言う意見や『 昔は自分だって子供だったのだから 』とか『 子供は未来の日本を支える宝だから 』などという理由で、子供達がうるさく騒ぐのは我慢するべきだ、というのは納得がいかないし、とても受け入れられるものではない。

幼い子供を持つ日本の母親たちが、保育所の数が足りない為に自分の子供を預けられずに、母親自身が仕事をすることが出来ないとか、保育所の数が少ないから待機児童が減らないという問題が起きており、国会でも取り上げられるような社会問題になっているが、だからといって、今迄ずっと静かだった住宅街に突然保育所が出来て、毎日たくさんの子供たちの騒がしい声が、容赦なく1日中聞こえてきたら堪ったものではない。

ただでさえ、狭い土地の中に近隣の家々が接近して建っている日本の住宅環境では、隣近所の家と家も密集しているうえに、マンションやアパート、団地や公団などの集合住宅では、上下左右からの様々な騒音が鳴り響いてくるのを、毎日我慢しながら生活している状況なのだ。

その上、すぐ目と鼻の先の近所に保育所が建って、何十人もの子どもが大挙して毎日集まってきて、大声で叫びながらそこらじゅう、自由気ままに騒ぎまくられたらと思うと、その騒音のストレスで気が狂いそうになって卒倒してしまうだろう。

幼い子供のことを『 可愛い 』と感じるような老人達や、子育て世代の若い夫婦たちにとっては、子供達がいくら大きな叫び声をあげたり、走り廻ったり暴れまくったりしても、一向に気にならないのだろうが、子供に一切関心も無く、子供と毎日寝食を共にするような、生活を一緒に過ごした経験も無い人間にとって、普段の自分の生活の中にその騒音が加わって来てしまったりしたら、その日からいきなり、静かに暮らしていた筈の平和な暮らしが一変して、騒音地獄の中に突き落とされてしまうのである。

保育所を作ることを否定はしないが、作るならば商店街や繁華街のように、騒いでも叫んでも、暴れて走り廻っても、子供達の声が気にならないような場所に限定して、その中に保育所を建設するべきである。
電車や高速道路の高架下の空きスペースや、小中学校の敷地内に併設するようなことも考えても良いだろうし、駅の近くに建設すれば、交通の便もスムーズに子供の送り迎えも出来るだろう。

マンションの上の階から、毎日毎日ドスンドスン、ギャーギャーと叫びまくり暴れまわって、その騒音に日々悩まされている人や、スーパーやコンビニ、病院や近所の医院等の待合室でも、母親が傍についているにも係わらず、子供どうし走り廻られて体調が悪化してしまう人もいるし、ベビーカーに子供を乗せたまま、まるで戦車かブルドーザーのようにベビーカーで蹴散らすように周りの人間を掻き分けて進む母親もいれば、
電車などに乗っていても、子供が靴を履いたままベビーカーの前方に脚を投げ出しているのに、他人のふくらはぎにその子供の脚が当たっても謝りもしない図々しい母親もいる。
保育園の送り迎えの母親達の運転する車の騒音も、子供を迎えに来たついでに母親どうしで、いつまでもずっと井戸端会議されても、その笑い声やその母親の近くで喚きながら走り廻っている子供の声も困りものだ。

このような平気で他人に迷惑をかける困った親たちや、騒音の問題を棚上げにしてまで『 子供だから 』と言う理由で何でもかんでも許されて良いというものではない。

お互いに共存したいなら、様々な迷惑を被っている人もたくさんいることを忘れずに、
子供が原因の騒音や迷惑行為に悩まされている人のことも、しっかりと考慮に入れて行動してほしいし、子供のことだけを全て優先せずに、どんな状況でも他人に迷惑を掛けないような対策を実施してほしいものである。