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2月に冬の特別拝観中の蘆山寺に行きました。
10時からだったので 早めに出て 地下鉄丸太町で降り 京都御苑をお散歩。

 

梅園

もう見ごろを迎えていました。紫の上の愛した梅。

 

 

 

 

 

 

 

梅はつぼみがかわいい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陛下のみがお通りになれる御所の建礼門

この辺から葵祭を見たなあ

 

京都御苑のすぐ東の 蘆山寺

 

紫式部がここで育ち 源氏物語を執筆し 夫藤原孝を迎え 一人娘の賢子を育てたと言われています。

ここが鴨川の西の堤の近くだったので 堤中納言とよばれた 式部のひいおじいさんで 三十六歌仙の1人 兼輔が造営した広い邸で 伯父の為頼 父為時が相続 それぞれの家族が住んでいたと何かで読んだ気がします。

 

創建当時の平安京からはずれていますが 西の京が沼地で東の京ばかり発展し 紫式部のころには 整備されて京内と等しいあつかいだったそう。

紫式部のころには 源氏物語に登場する六条院のように 下京には高位貴族は住んでいおらず 東の 上京のあたりに 高位貴族の邸が多くあったそうです。

 

ここに紫式部が住んでいたかについては 歴史学者の権威である角田文衛先生が断定したので 紫式部邸との石碑を置いたそうですが 私も若い頃は心酔してたくさん先生の本は読みましたが わりかし 清和天皇中宮高子を たかいこ と読むのだとか(本郷和人先生ほかいろんな方が反論している) 根拠なき断定を多々なさる先生です。

 

別の本では 堤中納言邸は一町の大きさで 廬山寺の境内だけではなく この東の土地も含まれるそう。

 為頼 為時兄弟で 土地を分割したであろうとのことで 為頼がこの地を相続していた場合 廬山寺の敷地ではなくなるそうですが 資料がないので 正解がわからないとのこと。

 

このすぐ南西に 藤原道長の正妻倫子が父左大臣から相続し 道長とくらした 土御門邸があったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

紫式部像

源氏物語の 貝合わせのお道具 屏風 などの展示がありました。屏風は模写のが多かったけれど。

 

紫式部日記の敦成親王御五十日の宴の場面があって うるさ方で 道長にほどほどにしかこびなかった実資は女房の袖を捕らえて着物の数をかぞえていて(有職故実に厳しい方でまじめに と解説してるのを読んだこともありますが 個人的にそうは見えず) 貴公子公任は女房の肩を抱いていました。

 

女房って人権がなかったのか。清少納言が出仕しはじめたころ恥ずかしいことがあって泣いてしまった というのはこういうことなのかな。

 

源氏庭

 

今出川駅で地下鉄に乗り JR京都へ。相変わらずすごい人。

ヨドバシカメラ京都の大垣書店 ユニクロへ。

 

その一階 安いと聞いていたバーガーキングへ。650円のセット。マクドナルドと違って バーガーが冷たいのね。

600円台でランチできるところってあんまりないなあ。

 

12000歩歩けました。

 

 
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