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ルーカス・クラナッハ(父)「マルティン・ルターと妻カテリン・フォン・ボラの肖像」1529年

クラナッハと宗教改革で有名なルター夫妻は交友があり、クラナッハはルター夫婦の結婚保証人、その子の洗礼親になっています。貴族出身の修道女との結婚はスキャンダルになったそうです。この絵は製作年度がサインと一緒に1529年と書き込まれていて結婚から4年後にあたります。

 

ルーカス・クラナッハ(父)「アダムとエヴァ」1528年

頭上の蛇がエヴァをそそのかし、エヴァがアダムに食べるよう勧めています。裸であることに気づく前なのでリンゴの木の葉のみが裸体を覆っています。

 

ルーカス・クラナッハ(父)「キリスト磔刑と聖母、マグダラのマリア、使徒ヨハネとパトロン」1511-1514年

 

ハンス・メムリンク「玉座の聖母子と奏楽の天使」1490年ごろ

様々な出来事を象徴するものが描きこまれています。。天使がイエスに差し出す原罪の象徴リンゴ、アーチの下の方肉体の再生を表すカタツムリとトカゲ、右奥背景にキリストの肉体を表す水車で挽かれる小麦などがあります。

 

アルブエヒト・デューラー「東方三博士の礼拝」1504年

ザクセンのビュッテンベルグ城の礼拝堂のためにザクセン選帝侯フリードリッヒ3世が注文した作品。左下碾き臼横の石に1504年と記されています。デューラーが2回目のイタリア旅行に出発する前の作品で、1回目にヴェネチアでデューラーを歓待したジョバンニ7・ベッリーニの影響が鮮明な色彩と遠近画法の用い方にみられるそうです。イタリア絵画の古代建物の廃墟の背景、北方絵画独特の風景の中に遠方にいる人々が描きこまれています。暗示されたシンボルがあちこちに見られます。キリストが生まれたばかりの時に星に導かれてやってきた3人の東方博士は伝統どおり年寄りの白人、中年のアジア人、若い黒人の姿でキリスト教の教えが全世界に広がることを示しています。

1603年選帝侯クリスティアン2世からウィーンの神聖ローマ皇帝ルドルフ2世に贈られ、1793年フラ・バルトロメオの神殿奉献と交換されウフィツィ所蔵となりました。

 

デフェンデンテ・フェラーリ「キリストに授乳する聖母」1505-11年

聖母が白い衣をめくり両手で抱いた幼子に授乳しています。母と子の親近感をあらわすポーズはデューラーの影響ではないかとのこと。ベールの鋭い折り目とローブの端の見事な細工はフランドル絵画の影響だそうです。

 

ラオコーン群像

 

ヘレニズム彫刻「瀕死のアレクサンダー大王」

ローマ彫刻「ヘルマプロディートス」

ジョバンニ・デル・ビオンド「洗礼者ヨハネの祭壇画」1360年ごろ

サセッタ「雪の聖母の祭壇画」1432年

シエナのサン・ボニファーチョ礼拝堂に描かれた祭壇画で両端は欠損しています。ローマのエスクイリーノの丘に季節外れに降った奇跡の雪の奇跡を題材にしています。ローマ貴族ジョバンニに聖母が出現し奇跡を予告すると本当に雪が降り、ジョバンニが雪が降った場所に資金を提供しサンタマリアマッジョーレ大聖堂が建てられました。聖母子と洗礼者ヨハネ、ペテロ、パウロ、アッシジの聖フランチェスコ、天使たちが描かれていて、裾絵にローマ教皇リベリウスの命によって大聖堂が建てられるまでの経緯があるのですが写っていません。

 

フランチェスコ・モローネ「受胎告知」1495-96年 大天使ガブリエルと聖母

チーマ・ダ・コネリアーノ「聖ヒエロニムス」1510-20年

ベルナルド・ゼナーレ「大天使ミカエル、ヴェルチェッリの聖グリエルモと修道士」1490年ごろ

1526年にミラノで亡くなったゼナーレはルドヴィコ・イル・モーロの宮廷で絶賛され建築家、技術者としてもレオナルドから尊敬されていたそうです。大規模な多連祭壇画の一部で中央にあった聖母と聖人たちは現在アメリカ、カンサツ大学美術館にあります。

衣の下に帷子を着て冷ややかな表情で足元の龍を退治に剣を刺し、左手の天秤で最後の審判を行っているミカエルがなんとも美しく息をのむ作品でした。

 

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