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フィリッポ・リッピ「聖母子と天使たち」1465年ごろ

窓枠の前なのか風景画の額縁の前なのか不思議な場所に座る聖母は優雅なドレスを着て真珠と布で髪を結いあげています。

フィリッポ・リッピは修道士で司祭でしたが修道女ルクレツィア・ブーティと駆け落ちし告発されました。コジモ・で・メディチの取成しで還俗後に正式に結婚しフィリピーノが生まれました。聖母のモデルはルクレッチィアで二人の天使が夫婦の子たち。こっちを向いているのがフィリピーノ・リッピだといわれていますが諸説あり確証があるわけではないそうです。
なんとも美しく無垢な感じで美しい聖母。フィリッポ・リッピの作品で一番好きですが描かれた当時から大変称賛され多く模写されたそうです。
1796年ポッジョインペリアーレのメディチ宮殿にあったものをウフィッツィ美術館に移されました。
 
フィリッポ・リッピと協力者「聖母戴冠」
フィレンツェの行政官フランチェスコ・マリンギがサンタンブロージョ教会のために発注した祭壇画。フィリッポ・リッピが長期間取り組んだ大作で1439年ピエロ・デ・メディチの元に出向いた年から報酬を受け取り始め、1446年作品の完成に必要なウルトラマリン(ラピスラズリが材料の青)の顔料が保管されていたサンタポローニャ教会で仕上げられ翌年やっとサンタンブロージョ教会に設置されました。
左端に聖アンブロジウスがいてその前に跪いてこっちを見ている修道士姿のフィリッポの自画像があります。中央に聖エウスタキウスと妻デオフィスタと2人の息子がいます。右の下段低く窪んだ場所に天使と向かい合って「彼がこの絵を完成させた」と帯書きがついている人物が寄贈者です。
 
フィリッポ・リッピ「幼子キリストの礼拝、洗礼者ヨハネ、聖ロミュアルド、天使」1463年
 
フィリッポ・リッピ「ノヴィツィア-トの聖母」1445年ごろ
老コジモのがお気に入りミケロッティにに設計させて献納したサンタクローチェ教会の右翼廊のノヴィツィア-ト礼拝堂の祭壇画。裾絵はペッゼリーノが後につけました。聖対話の形式で聖母子と聖フランチェスコ、メディチ家の守護聖人ダミアヌス、コスマス、聖アントニウス。ダミアヌス、コスマスが当時のフィレンツェ人の被る帽子をかぶっています。画面上側写真では切れていますがメディチ家の家紋赤い丸薬の帯状装飾があります。
 
フィリッポ・リッピ「キリスト降誕、聖ヨセフ、聖ヒエロニムス、聖ヒラリオン、聖マリア・マグダレネと天使たち」1455年
フィリッポ・リッピ考案のキリスト降誕の場面を聖人たちが目撃する聖会話のバージョンの最初の作品だそう。
 
フィリピーノ・リッピ「マギの礼拝」1496年
東方三博士の礼拝。こちらも大勢当時の人々が描きこまれています。権力を放棄しサヴォナローラの共和制に忠誠を誓ったメディチ家傍流”ポポラーニ(庶民的な)”の人々がいます。左前方が知識を表す天体観測器をもって跪く老コジモの甥ピエルフランチェスコ・で・メディチ・ディ・ロレンツォ、その後ろにその息子のロレンツォ、ジョバンニがいます。
司祭で修道士だったフィリッポ・リッピの還俗後にできた息子で父の最後の大仕事スポレート大聖堂の装飾に参加し後年画家として活躍しました。崩れ落ちそうな家畜小屋です。
1480年にサン・ドナート・ア・スコペート教会のアウグスティヌス会聖堂参事会がレオナルド・ダ・ヴィンチにマギの礼拝で製作を依頼しましたが未完成のまま放りだしたためフィリピーノ・リッピに同題で再注文されました。1529年フィレンツェを脅かす皇帝軍に利用されそうな市壁外の建物の破壊を命じる法令が発布され聖堂は取り壊されましたがこの絵は保護され後にメディチ家の所有となりました。
ダヴィンチの未完成のマギの礼拝も展示されています。
フィリピーノ・リッピ「聖母子と聖人たち」1486年
オットーの祭壇画。ロレンツォ豪華王がこの絵に対して200リラ支払った記録があります。ヴェッキオ宮審議の間から1782年ウフィッツィ美術館に移されました。左から洗礼者ヨハネ、聖ヴィクトル、聖ペルナルドゥス、聖ゼノビウス。聖母の戴冠をほのめかす天使の上の赤い十字架はフィレンツェ人民の紋章。洗礼者ヨハネはフィレンツェの守護聖人で聖ベルナルドゥスはグエルフィ党の守護聖人、聖ペルナルドゥスの持つ赤い書物に"MEDICA"の文字がありメディチ家に敬意を捧げ、聖ゼノビウスは司教区の守護聖人で豪華なマントを留めるブローチにフィレンツェの百合の文様があり政治的な意味が一目で見て取れる絵画となっています。
 
フィリピーノ・リッピ「幼子キリストへの礼拝、聖母子と洗礼者ヨハネ」1475-1480年ごろ
 
フィリピーノ・リッピ「幼子イエスへの礼拝」
 
フィリピーノ・リッピ「悔悛する聖ヒエロニムス」1493-5年ごろ
”美しい聖ヒエロニムス”と呼ばれているそうです。バディア・フィオレンティーナ修道院のために描かれました。
 
ピエロ・デル・ポッライオーロ「対神徳と枢要徳の寓意像」1470年ごろ
 
フランチェスコ・フランチャ「聖母子とアッシジの聖フランチェスコとパドゥアの聖アントニオ」1500年ごろ
 
ジョヴァン・フランチェスコ・マイネーリ「十字架を担ぐキリスト」1505年ごろ
 
ニッコロ・ピサーノ「聖家族と洗礼者ヨハネ」1505-1510年
 
ピエロ・ディ・コジモ「キリストの御托身と聖人たち」1500-1505年
サンティシッマ・アンヌンツィアータ教会テダルド礼拝堂のために製作された祭壇画です。アレクサンドリアの聖カタリナ、使徒ヨハネ、聖フィリッポ・ベノッチィ、聖アントニウス、使徒ペテロ、マリア。マグダレネ。聖霊のシンボル鳩を通して聖母にキリストが宿ろうとしています。聖母の台座に受胎告知のレリーフがその出来事を予告していて、背景の風景に幼子イエスの礼拝、羊飼いへの告知、エジプトへの逃避が描かれています。右にアンヌンツィアータ教会を創設した聖母マリア下僕会の本拠地モンテ・セナリオ修道会があります。
 
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