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ロッソ・フィオレンティーノ「スペダリンゴの聖母」1518年

洗礼者ヨハネ、聖アントニウス・アバーテ、聖ステファノ、聖ヒエロニムス(カタログにはこちら、展示パネルには聖ベネディクトゥス)。オニィッサンティ教会の依頼で依頼されましたが画家との間に諍いがありここには置かれず、サンタマリアヌォーヴァ病院の院長レオナルド・ブオナフェと契約を結び院長の名と同じ聖レオナルドと彼に遺産を残した未亡人の父親の名と同じ聖ベネディクトゥスが描かれるはずでしたが下絵の聖人が悪魔のようだったので受け取り拒否されてしまったそう。それで聖レオナルドが頭上に石打ちで殉教した証の石を不自然に頭に乗せた聖ステファノに、聖ベネディクトゥスは聖アントニウス・アバーテに描き替えられ病院の資産として残りました。

 

ロッソ・フィオレンティーノ「リュートを弾く天使」1521年

1615年からウフィツィ美術館のトリブーナに展示されている何世紀にもわたり人気の作品。左下にサインと年度が入ってるので単一の作品と信じられてきましたが、赤外線検査で祭壇画の一部だと推定されたそうです。

 

ボントルモ「老コジモ・デ・メディチの肖像」1519‐20年

1519年おそらく教皇レオ10世の意向でメディチ家のウルビーノ公ロレンツォの私設秘書でその死後臨時行政長官を務めたロード・ゲーリの依頼で製作されました。ウルビーノ公ロレンツォの死去で本家の血筋が途絶え、1月後に傍流の黒隊長ジョバンニに後のコジモ1世が誕生、名付け親のロレンツォ豪華王の子レオ10世はメディチ家の存続をこの子に託し始祖老コジモの名を与えました。メディチ家の紋章の1つブロンコーネ(切り株)意図的に描きこまれ折れた枝から吹き出す新芽で血統の存続が暗示されていて、からまる巻紙に”1本の枝が折れても他の枝は弱らない”と主張されています。

ブロンズィーノの師です。

 

ポントルモ「エマオの晩餐」1525年

フィレンツェで蔓延するペストを逃れるためにポントルモが滞在していたガルッツォのカルトジオ修道院の迎賓の間のために製作されました。1700年代を先駆けるような食器やパンなど日用品をしっかり描いています。左に立っているのは「スペダリンゴの聖母」でもめた当時シトー会修道院長レオナルド・ブオナフェ。三位一体を表す三方を向く顔を描いていましたがカトリック教会にこのシンボルが禁止されたため隠ぺいするために塗りつぶして神の目が描かれました。

 

ポントルモ「聖母子と洗礼者ヨハネ」1527-8年

 

アニョロ・ブロンズィーノ「パンチャティキの聖母」1541年ころ

暗示だらけの作品の多いブロンズィーノらしくこちらも暗示いっぱいです。背景の塔にたなびく旗は注文主コジモ1世のフランス駐在大使バルトロメオ・パンチャティキの家紋。

 

アニョロ・ブロンズィーノ「コジモ1世の肖像」1542年

アニョロ・ブロンズィーノ「エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョバンニ」1545年

ブロンズィーノが宮廷画家として仕えたコジモ1世の妻と二人の次男ジョバンニ。後に枢機卿になります。エレオノーラのドレスに刺繍された豊穣のシンボルザクロは彼女の役目が出産することを表しているのだそう。サンロレンツォ教会の彼女の墓でこのドレスが見つかったそうです。

アニョロ・ブロンズィーノ「ジョバンニ・デ・メディチの肖像」1545年

エレオノーラと描かれた次男ジョバンニ。キリスト受難の象徴ひわ鳥を手に持ち笑う顔が怖いと思いました。サンゴのネックレスは当時の早世から身を守るお守りとされていました。

 

アニョロ・ブロンズィーノ「ビア・デ・メディチの肖像」1542‐45年

神戸市立博物館に来ていました。コジモ1世の庶長子ですが5歳で亡くなったそうです。

 

アニョロ・ブロンズィーノ「マリア・デ・メディチの肖像」1550‐51年

コジモ1世の長女

 

アニョロ・ブロンズィーノ「フランチェスコ・デ・メディチの肖像」1551年

コジモ1世の長男、後の2代目トスカーナ大公フランチェスコ1世。

 

アニョロ・ブロンズィーノ「バルトロメオ・パンチャティキの肖像」1541年

コジモ1世のフランス駐在大使を務めたフィレンツェの商人「パンチャティキの聖母」の依頼主。

 

アニョロ・ブロンズィーノ「ルクレッチィア・パンチャティキの肖像」1541年

パンチャティキの妻。ネックレスのエナメル部分に”終わりなき愛”と書かれているそうです。

 

アニョロ・ブロンズィーノ「受胎告知」1540‐41年

 

アニョロ・ブロンズィーノ「リュートを持った若い男の肖像」1532年

枢機卿カルロ。デ・メディチの遺産にあった作品です。題にあるリュートより後ろの彫刻が気になりますが旧約聖書のスザンナだそう。

 

アニョロ・ブロンズィーノ「本を持つ少女の肖像」1542‐45年

 

アニョロ・ブロンズィーノ「マグダラのマリアとキリスト哀悼」1529年

 

ジョルジョ・ヴァザーリ「ロレンツォ・デ・メディチの肖像」1533-34年

オッタビアーノ・デ・メディチがロレンツォの弟ジュリアーノの庶子のクレメンス7世の庶子アレッサンドロ・デ・メディチのために作成を依頼したそうです。ボントルモ「老コジモ・デ・メディチの肖像」に似ています。悪徳を克服する美徳、子孫がお手本とすべき美徳の人であることが寓意に含まれているそう。

 

ジョルジョ・ヴァザーリ「ウルカヌスの鍛冶場」1564年ころ

コジモ1世の子フランチェスコの書斎用に部屋の象徴図像考案者ヴィツェンツィオ・ボルギーニの指示のもと製作されました。絵の前面でミネルヴァが右手にコンパスと測角器を持ち左手にデッサンを持っていてヴァザーリが創設した素描アカデミーを表現しています。日の神ウルカヌスは地球を支え持つ星座シンボルの動物2匹を盾に彫り込もうとしています。コジモ1世の上昇星位ヤギとフランチェスコの星座牡羊です。後ろの左隅では彫刻と素描の模写を行っている4人の裸の芸術家が”素描の三芸”を暗示する三美神をモデルにデッサンしています。

学のない私にはただごちゃごちゃして見えますが当時の宮廷人はこのような暗示に富んだ絵画を好んだようです。

 

アレッサンドロ・アローリ「ヴィーナスとクピド」1570年

ブロンズィーノの弟子。16世紀に何度も複製され芸術と文学サークルでとても人気だったミケランジェロのカトゥーンを基にしているそう。

 

アレッサンドロ・アローリ「ヘラクレスとミューズたち」1568年

アレッサンドロ・アローリ「ビアンカ・カペッロの肖像」1570年

後に2番目の妃となるフランチェスコ1世の愛人ビアンカ・カペッロ。1579年正式に妃となってからの公式肖像画よりも若く魅力的だと図録にあります。

 

アレッサンドロ・アローリ「オルテンシア・デ・バルディ・ダ・モンオートの肖像」1533‐34年

 

ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ「幼児虐殺」1566年

システィーナ礼拝堂のミケランジェロの最後の審判の裸体に腰布をつけた画家。

 

ペリーノ・デル・ヴァーガ「聖母子」1535-40年

 

チェッキーノ・サルヴィアーティサルヴィアーティ「十字架をはこぶキリスト」1547‐48年

チェッキーノ・サルヴィアーティ「慈愛」1543-45年

洗礼親が枢機卿ジョバンニ・サルヴィアーティなのでこの名でよばれローマで活躍するもピエ・ルイジ・ファルネーゼとの軋轢により故郷フィレンツェに戻りました。コジモ1世の依頼でゴブラン織りのデザインをしたことがわかっています。官能的なポーズの女性と胸元の彫刻にミケランジェロの影響がみられるそう。

 

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