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開館前から長い列ができ、最初の方のマクシミリアン1世の肖像画の前にたくさん人がいたので、


特に見たい絵だけをがっつり見て、後から戻ってゆっくり鑑賞する作戦にしたのですが、


この時は体調がよくなくて特に見たい絵を見ただけで帰りましたガーン

 

 

今回の展示はハプスブルク家のコレクターたちに焦点を当てたそうです。

 

 

神聖ローマ皇帝 マクシミリアン1世

 

 

アーチが1本のローマ王(次の神聖ローマ皇帝的な地位)の王冠、王笏、王冠のついた剣を身につけ権威を示し金色の甲冑にマント姿。

 

当時華やかで栄えていたブルゴーニュ女公爵と結婚しヤンファンエイク、デューラーら北方ルネサンス文化に触れます。絵画、美術工芸品、タペストリーを収集し、画家を庇護しました。

 

彼の芸術愛は子孫たちに遺伝します。

 

 

フィリップ美公


マクシミリアン1世の長男でカスティーリャのファナ女王と結婚。この結婚によりハプスブルク家はスペインを手中にします。



オーストリア大公 チロルの統治者 フェルディナンド

 

マクシミリアン1世のひ孫でフィリップ美公とファナ女王の孫。

貴賤結婚しインスブルックにアンブラス城を作りそこに膨大な甲冑、肖像画、美術工芸品を集めました。

 

こちらには2度行きましたが、

現在もアンブラス城ハプスブルグポートレートギャラリーにはハプスブルグの多くの肖像画を見ることができますし、甲冑の展示も多数ありました。

 

近代美術館的な目録を作成して体系的に管理しました。

 

 

神聖ローマ皇帝 ルドルフ2世

 

 

神聖ローマ皇帝なのに皇冠ではなくスペイン風の山高帽に黒衣。ハプスブルク家にとって重要な金の羊毛騎士団の微章をつけています。

マクシミリアン1世が義父から受け継いでから一族の君主が団長を務めました。

 

プロテスタント寄りの父マクシミリアン2世の影響を懸念したスペインのフェリペ2世の宮廷に迎えられイエズス会の教えで厳しく教育されて育ちました。

 

奇人で占星術、錬金術に強い関心をもち、叔父の大公フェルデナンドのコレクションに影響を受け絵画、彫刻工芸品を大量にコレクション、画家を庇護しました。

 

ウィーンから遷都したプラハは国際マニエリスムの中心地になりました。

 

官能的なテーマの作品が好みだったようです。

アルチンボルト、デューラー、ジョルジョーネを熱愛しました。

 

子供の時の禁欲的な教育の反動でしょうか?

 

「アダムとエヴァ」デューラー

 

ルネサンスらしい古代ギリシャ・ローマ時代の芸術再生で表現された作品

2人は古代彫刻ベルべデーレのアポロ、メディチのヴィーナスをモデルとしています。

 

「青年の肖像」ジョルジョーネ

 

ダマスクス織に金糸刺繍の服は高貴な出自を感じさせ、手すりの女性の頭が3つあるカメオ、左のVのイニシャルが特定する手がかりですがモデルは分かっていません。
青空を描いたいたのを黒で塗りつぶしていて叙情性を高めたようです。

右手を胸み当てるのは礼拝のポーズ。
 

 

スペイン国王フェリペ4世

 
スペイン風の黒衣に金の羊毛騎士団の微章

 

ほぼ工房の作品だそうです。背景特に緞帳の塗りが雑すぎる気がします。

 

斜陽のスペインハプスブルク家を継いだフェリペ4世は政治能力はないけれど超一流のコレクターと言われています。

 

ベラスケスに要職を与えてイタリア絵画、フランドル絵画(特にルーベンス)を王室コレクションを拡充させました。

現在のプラド美術館の礎となりました。

 

子供たちが次々早世し、唯一残った子カルロス2世が亡くなった後、

ハプスブルク家とフランスでスペイン継承戦争が起こり結果ハプスブルグ家はスペインを失います。

 

 

「青いドレスの王女マルガリータ・テレサ」ベラスケス

 

ど素人の私にはベラスケスといえばこの作品ですが、まさかこれが来日するとは。

 
15歳で叔父のレオポルド1世に嫁ぎ21歳で亡くなりました。弟は最後のスペイン・ハプスブルク最後の王カルロス2世。
マルガリータ王女から皇子が生まれていたらフランスに王位を奪われるこはなかったので、
 
なんとなくこの後の王朝の終焉を予告するような感じがします。
 
レオポルド1世に彼女の成長を知らせるため定期的に肖像画がウィーンに送られました。
 

現在はベラスケス作とされていたプラド美術館の同名作品は弟子マーソによるコピーとされているそう。

 

過労死で亡くなる前年の作品。色彩を斑点のように置きより自由闊達な筆遣い。ずいぶん早い印象派の先取り。

 

「スペイン王妃イザベル・デ・ブルボンの肖像」

 

対のフェリペ4世の肖像はベラスケスの関与が少なく工房作とされているそうですが、こちらはベラスケス自身が大きく手直しした跡がみられるそうです。

表情が生き生きとして、左腕と真珠の胸飾りの位置を変えた痕跡があるようです。

 

 

ハプスブルク家とスペインハプスブルク家は二重結婚など連続して行い緊密な関係であり続けました。そのため肖像画で近況を知らせ合い、ウィーンに多くのスペインハプスブルク家の肖像画が贈られました。

 

 切り取られて大きさが違うそうですが、当時は壁に隙間なく絵画を飾ったので、個人的に飾る場所に合わせて切られたのでは?と思っています。

 

 

 オーストラリア大公 フェルデナンド・カール

リボン、レースいっぱい。

 

神聖ローマ皇帝フェルデナント2世の孫でチロルの統治者。

母も妻もメディチ家の女性。

 

インスブルックのアンブラス城にメディチ家の肖像画が多い理由を今回の展示で理解できました。

 

妻の実家のフィレンツェ派を中心に古典巨匠の作品を大量に購入しました。

 

ラファエロ 、フィリッポ・リッピ、北方絵画も好みブリューゲルなど自らの審美眼で作品を選んだのだそう。

 

浪費家として世に知れ渡りましたが、帝室コレクションの拡充に貢献しました。

 

 

元フェルデナント・カールのコレクション

 

「改悛する聖ヒエロニムス」ペルジーノ

 

「クレオパトラ」チェーザレ・ダンディー二
赤と青、明暗の対比、大げさな身振りで劇的な瞬間をより際立てています。

アクティウムの海戦で敗れ捕虜になる屈辱よりも死を選んだプトレマイオス朝最後の女王。

 

うるっうるの涙目が印象的でした。

 

レオポルド・ヴィルヘルム


フェルディナント2世の末子、オーストラリア大公、ドイツ騎士団団長、ネーデルラント総督

 

軍事力の象徴軍杖を持ち金糸装飾の赤色のサッシュと十字架はドイツ騎士団総長の証。

 

17世紀スペイン領ネーデルラント総督。ブリュッセル赴任時代地元フランドル絵画とヴェネツィア 絵画を中心に1400点の絵画、350点の素描、彫刻、絵画を購入しました。

 

 清教徒革命でイタリア絵画を収集していたチャールズ1世と王侯貴族のコレクションが売りに出されるとそれらを購入、大公のコレクションはウィーンに送られ帝室コレクションとなり美術史美術館の基礎となりました。

 

 

レオポルド・ヴィルヘルムのコレクション

 

「使徒パウロ」レンブラント

 

なんたる堂々たるパウロ。圧倒されました。

 

1630年頃もっと名声を得ていた時代の作品。

 

アトリビュートの剣(斬首刑で殉死)が暗闇浮かんでいます。

パウロは熱心に外国へ赴きその地のキリスト教共同体に多くの手紙を送ってそれらが新約聖書の一部となったことを示唆する書物の山、右手のペン。
 

 

「マリア・テレジアの肖像」マルティン・フォン・メンテンス

 

 

緞帳に円柱、オーストラリア大公、ボヘミア女王、ハンガリー女王の王冠を置き左手で示し、右手には王笏。君主の肖像の伝統的なスタイル。

 

父帝がプラハやインスブルックに分散していた帝室コレクションを集め帝室画廊を作品を目録化、して流派別、時代別に整理しベルベデーレ宮殿に移転、市民に一般公開しました。
 
「王妃マリーアントワネットの肖像」ヴィジェ・ルブラン
 
結婚後8年間満足できる肖像画家に出会えず母マリア・テレジアに肖像画を送れずにいましたが、ヴィジェ・ルブランに出会い23歳のフランス王妃としての肖像画を送ることができました。
 
夫ルイ16世の肖像とその下の王冠、緞帳に円柱とこの絵はとても王妃らしい作品です。
 
ヨーゼフ2世の肖像
 
卓上に神聖ローマ皇帝の帝冠と宝珠、王笏を置き堂々たるポーズで帝国皇帝の権威を、軍杖を手に背景の軍神マルスで軍最高司令官を示しています。

マリア・テレジアの嫡子。一緒に近代化をすすめました。

 

 

「イタリア王としてのナポレオン・ボナパルト」アンドレア・アッピアーニ

フランス皇帝戴冠翌年の1805年イタリア王戴冠式直後に描かれた作品。


神聖ローマ帝国を解体。ハプスブルク家はオーストラリア皇帝位を継承することになりました。

 


「フランツ・ヨーゼフの肖像」ヴィクトール・シュタウファー

 

実質的な最後の皇帝。いつも質素な軍服をきて朝早くから夜遅くまで執務に専念瓦解しかけな帝国を支えました。

 

皇太子の自殺、皇妃の暗殺さらに甥の皇太子の暗殺と孤独な晩年を過ごし、彼の亡きあとすぐ帝国は崩壊しました。

 

「皇妃エリザベートの肖像」ヨーゼフ・ホラチエク

 

皇妃の象徴としてテンのマントを左側に置き、夫フランツヨーゼフの肖像の入った真珠のブレスレットをしています。自身よりも絵を見る側に置かれた肖像画は親しい人の肖像画を身に着けることではなく象徴として描かれている根拠となるそうです。


20歳の時の肖像。


髪をといている時1本でも毛が抜けると女官を平手打ちした等エピソードからきつめの性格だったのだろうと想像していましたが、この肖像はそのように見えます。
 

 写真は拾い物と図録よりお借りしました


図録とオーディオガイド付きチケットでした。
 
マリー・アントワネットとエリザベート好きの友達にお土産用
 
自分用 チケットケース宝石赤
チケットケース探してたのでテンション上がるの見つけて嬉しかったです。
 
 
 読んでくださりありがとうございました爆笑
皆さまが心穏やかにお過ごしになりますように願っていますドキドキドキドキドキドキ