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2019年1月の旅行記です。

 

第2室「ヘリオドロスの間」

 

1511年から1514年ラファエロがメインで弟子が手伝いました。内敵外敵からの教会の守護がテーマになっています。教皇謁見の間で諸外国大使たちに教皇庁の強さを強調する目的なのだそうです。途中13年にユリウス2世が逝去しレオ10世が即位しています。

 

 

「ヘリオドロス神殿追放」

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シリア王の高官ヘリオドロスはエルサレムの神殿から財宝を盗み1人の騎士と2人の若者に神殿を追放されていて教会財産の不可侵性を暗示しています。左は輿に乗って見物するユリウス2世。またもや背景はブラマンテ案の集中式サンピエトロ大聖堂ですがエルサレムの神殿ににあった燭台が置かれています。

 

「大教皇レオとフン族の王アッティラの会見」

背景はローマでサンピエトロ大聖堂、コロッセオや水道が見えます。実際は425年マントーヴァ近郊で行わてました。左側教皇の上に剣を持ったペテロとパウロがいて蛮族がおびえています。

 

「ペテロの解放」

中央牢獄の中のペテロの夢に現れた天使、右は天使がペテロを牢獄から出した場面で守衛たちが横になって眠っています。左は兵士が松明を掲げて守衛を起こしています。初代教皇ペテロはユリウス2世に似せて描かれていてフランス人侵入者に神が介入して教皇が勝利することを暗示しています。暗闇に浮き出るような当時としては斬新な光の使い方なのだそうです。

 

「ボルセーナのミサの奇跡」

1263年聖体でキリストの臨在に疑問を持っていたボヘミア司祭は聖体から血が滴るのを目撃し、教皇はオルヴィエート大聖堂を建造し聖体の祝日を制定しました。ユリウス2世はミサを目撃した姿で登場、教皇庁の役人を引き連れています。

 

天井

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燃える柴、ヤコブの梯子、ノアに現れた神、イサクの犠牲の4場面。

 

第1室ボルゴ火災の間

教皇主催にのみ開かれる最高位裁判所が置かれていましたが1513年即位したレオ10世(ジョバンニ・デ・メディチ)は食堂として改装されました。1514年から17年ラファエロのジュリア・ロマーノら弟子たちが大部分を描きました。ラファエロはブラマンテから引き継いだサンピエトロ大聖堂(ギリシャ十字)の設計とローマの古美術監督官に任命され他の仕事に忙しかったそうです。レオ10世の融和政策宣伝し効力をもつようにとの狙いがある場面が選ばれました。同じ名のレオ3世とレオ4世が教皇列伝を典拠に描かれています。

「ボルゴの火災」

847年サンピエトロ大聖堂近くのボルゴの町で火災があった際、レオ4世が十字を切って祈ると火災が静まった歴代教皇伝に記述に由来します。コンスタンティヌス帝が建造した旧サンピエトロ大聖堂の回廊にレオ10世の姿のレオ4世がいます。

 

「オスティアの戦い」

849年ローマ近くの海岸でレオ4世がサラセン人に勝利したことを描いています。レオ4世は座っておりレオ10世ですがメディチ家出身のぽっちゃりさん。

「シャルルマーニュ戴冠」

800年クリスマスイブの夜旧サンピエトロ大聖堂でレオ3世にローマ皇帝として戴冠されたフランク王国のカール1世(シャルルマーニュ)。神聖ローマ帝国創設の瞬間。レオ3世はレオ10世に、カール1世はフランスのフランソワ1世の姿に描かれ1515年ボローニャでの両者の協定を暗示しているそうです。

 

「レオ3世の誓い」

シャルルマーニュ戴冠前日にレオ3世がシャルルマーニュと聖職者を前に誓いを立てています。前任者ハドリアヌス1世の甥たちが教皇を中傷したのに対してでこの時天から「キリストの代理人たる教皇を裁きうるのは神のみである」という声がしました。同じくレオ10世の姿で1516年ラテラノ公会議でこの言葉を再確認したことを示しています。

 

 

天井

ラファエロの師ペルジーノの作4つの寓意像でこれにラファエロは手を加えませんでした。

 

公式行事や祝宴を行う一番大きな第4室「コンスタンティヌスの間」は修理中でした。

ラファエロのスタンツェからの眺め。

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