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ドーリア・パンフィーリ美術館はドーリア・パンフィーリ宮殿にあります。

 

17世紀に資産家でありローマ貴族である教皇クレメンス8世を輩出したアルドブランディーニ家の女相続人オランピアがパオロ・ボルゲーゼとの結婚で5人の子供をもうけた後死別、

 

1年後次期教皇とみなされていたのに枢機卿の地位を捨てたカミロ・パンフィーリ(イノケンティウス10世の甥)と再婚し子供をもうけました。

 

結婚後は結婚に反対したカミロの母でイノケンティウス10世に強い影響力を持って女教皇と呼ばれていたオリンピア・マイダルキーニの迫害をさけるためローマを離れていましたが、のちにここに戻り周りの修道院や邸宅を壊して増築しました。

 

その際、このパラッツォ・パンフィーリに多くのアルドブランディーニ家の美術品が運び込まれました。

この建物はカルロ・マデルノ設計です。

 

アルドブランディーニ家の財産と美術品はボルゲーゼ家に残した子とパンフィーリ家の子に分けられました。

 

さらに18世紀カミッロjr・パンフィーリ・アルドブランディーニがドーリア家に養子に入ったのちパンフィーリ本家が途絶えてドーリア・パンフィーリになりました。

 

1950年アンドレアVI・ド-リアパンフィリが公開を開始、

 

現在はローマ市内中心部にありながら1000以上の部屋のあるパラッツォは広大な敷地面積を持ち、ドーリア・パンフィーリ財団として運営、一部を美術館として公開しています。

 

今も貴族の称号を持つ子孫が住んでおり、プライベートアパートメントが公開されています。

 

入口をくぐると左手に16世紀の中庭、右にチケット売り場があります。ドーリア・パンフィーリ家のお仕着せを着ています。

 

入場料12€+プライベートアパートメント2€ 予約の必要はありません。

右の回廊奥の階段を登ります。

彫刻がごろごろ。

2階にギャラリーとプライベートアパートメント


ギャラリーの回廊までの続き部屋は公的なアパートメントとして使われていた部屋です。17世紀バロック様式。

 

最初はプッサンルーム

1650年以降パンフィーリ家の愛したガスパール・デュケをはじめとした風景画が飾られています。

 

非常に見にくい展示法ですが、17世紀当時のままに再現されています。

 

ここの窓側でオーディオガイドを借ります。

こちらのご当主様の解説でこちらを案内していただいている気持ちになりますが英語なのでほぼ分からず。

“our family””our living room”という言葉になんと重みのあることか。

部屋の名はニコラ・プッサンの風景画に由来します。

 

ベルベットルーム

 

18世紀初めジェノバ産ベルベットが貼られたことに由来します。

絵画は1855年にフィリッポ・アンドレアⅤ・ドーリア・パンフィーリが3枚の「アポロンとミューズ」シリーズを追加した以外1769年に飾られたまま展示されています。

 

ボールルーム

17世紀に天井にジュジェッペ・ボタニ「ヘラクレスの神格化」が描かれましたが19世紀に水漏れで損傷し取り除かれました。

18世紀末まではに絵画が壁面を覆っていました。

17世紀から壁がシルクで覆われていて1903年全面的改装しシルクも貼り直し現在に至ります。

かって音楽の間と呼ばれ2ヶ所のアルコーヴは楽器奏者の場所

絵は1768年にアンドレア・ドーリア・パンフィーリ公に提出された天井画「ヘラクレスの神格化」の草案、18世紀のハープ、

絵の手前は教皇クレメンス13世の紋章付きの鳥かご

 

小ボールルーム

ボールルームの左側のくぼみ部分

左側から1689年カルロ・フォンターナがベネデット枢機卿のためにデザインしたチャペルに入れるはずで開いたドアが見えますが2回とも見落としました。

 

カドモスの間

部屋の名はギリシア神話エウロペの兄カドモスでポリスの一つテーバイの建国者の天井画に由来します。

 

ブックショップになっています。この部屋を右に入るとプライベートアパートメントの入口です。

 

ボールルーム、プライベートアパートメント、回廊をつなぐ部屋で、1996年にアパートメントが公開される以前はここがギャラリーの入口でした。

1706-1768年の天井画、絵画の位置は18世紀のままです。

ダーフィット・テニールスをはじめとしたフランドル絵画のコレクション

 

ギャラリー

 

1734年カミロjr・パンフィーリが建築家ガブリエーレ・ヴァルヴァッソーリに立て直しを依頼し完成しました。

ローマのメイン通りの一つコルソ通りに面し、当時はローマ教皇庁の新しい大使のお祭りやパレードが行われていました。

 

16世紀の中庭を見下ろせたアーチ型ロッジアを閉じ四方形のギャラリーにし、3辺をギャラリーに、コルソ通りを鏡の間にしました。

絵画は最近1767年にあった通りに再配置されました。

 

絵画が適当に配置されているように見えますが左から右、上から下に鑑賞するように配置されているそうです。

 

ドーリアギャラリー

 

1650年頃のアレッサンドロ・アルガルディ作オリンピア・マイダルキーニの胸像があります。

かって女教皇と呼ばれたイノケンティウス10世の義姉。

長い間オリジナルだと考えられていたカラヴァッジォ「聖母子」「キリスト生誕」のパルミジャーノによるコピーがあります。オリジナルはカピトリーニ美術館にあります。

ここにデューラー「四元素」のコピーがあり、昔はコピーを本物だと思って買うことも多かったようです。

 

アルドブランディーニのギャラリー

ここで著名なのは17世紀の「アルドブランディーニのルネッタ」と呼ばれる「風景画の中の聖母マリアの物語」6枚のシリーズでピエトロ・アルドブランディーニがアンニバーレ・カラッチにチャペルの装飾を依頼したの時の作品です。

 

アルドブランディーニのギャラリーに小さく出っ張った場所にベラスケスの間とよばれる場所があります。

アンドレア・ドーリア依頼のベラスケス作イノケンティウス10世の肖像とベルニーニ作イノケンティウス10世の胸像があります。

 

鏡のギャラリ-

1731年ガブリエレ・ヴァルヴァッソーニ設計で改装、1750年フランチェスコ・ニコラッティが金色の枠の鏡と古代彫刻を交互に配置、1769年単色画で装飾されました。

 

ヴェルサイユの鏡の間を模したといわれています。

天井画は1734年アウレリアーノ・ミラーリ「ヘラクレスの物語」パンフィーリが神話上のヘラクレスから派生した家系であることを表現しています。

 

パンフィーリのギャラリー

もともとベラスケスの「イノケンティウス10世」がありドメニキーノの聖人画2枚に挟まれていました。

 

エキシビジョンがある時はこの奥で開催されるらしいです。

イノケンティウス10世の義姉オリンピア・マイダルキーニの要望で建てられたコルソ通りに面する翼棟の最初の部屋。

オリンピアがヴィラ・パンフィーリにあった風景画をここに移しました。

 

鏡の回廊奥のアルドブランディーニの間

天井隅に水漏れの跡がびっくり

 

ルネッサンス時代の居住区にありかってギャラリーでした。17、18世紀に再配置され1956年に近代的な天井と床に改装。

この美術館を代表するヴェネツィア派の絵画とカラヴァッジォの作品があります。

古代から帝政後期にいたる大型絵画、彫刻、レリーフが展示されていてヴィラ・パンフィーリの中庭にあったものです。

 

部屋中央はバッカスとケンタウルス。アルバーノで発掘されアレッサンドロ・アルガルディが修復しました。

 

1605年にアルドブランディーニ邸の基礎工事の際に発掘されたアウグスツス時代のフレスコ画「アルドブランディーニの婚礼」のコピーがあります。実物はアルドブランディーニ家が所有して1818年にピウス7世が買い、現在ヴァチカン美術館に展示されています。

 

 

プリミティブルーム

最近公開された部屋でコレクションの中でも古い時代の絵画が展示されています。

中世10世紀から15世紀絵画が素朴で熱心な信仰心の表現とみなされていた時代の作品です。

最近この美術館が購入したフィリッポ・リッピの「受胎告知」があります。

 

出口の階段からも入れ外からも入れる「カフェ・ドーリア」

人気店のようでいつも混んでて近くによる度来ましたが席に座れたのは1回だけでした。

特にケーキはおいしそうなのがたくさんありました。テイクアウトしている人もいました。

 

サーモンフィレ14€(1680円) ”ドーリア”という名前のケーキ7.5€(900円)

ケーキはチョコビスケットの上にカラメルムースでした。どちらもおいしかったです。

この旅行で食べた唯一まともな食事になりました。イタリアのレストランはディナータイムの設定が遅くてずっと間に合いませんでした。

ガス入りのお水とチップで27€払いました。

 

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皆様が楽しい一日をお過ごしになりますように願っていますドキドキドキドキドキドキ