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ニコライ1世以降冬宮西側に皇帝と皇后、皇太子、皇太子妃の居室がありましたが、

 

 

2月革命以降ここに臨時政府がおかれたため内装は取り去られて家具も撤去され、見る影もないようになり、

 

 

エルミタージュ美術館となってからは展示室として使用されておりあまり修復はすすんでいません。

 

 

その北側にニコライ1世と皇后アレクサンドラ・フョードロヴナの居殿がありました。

 

エカテリーナ2世が現在の儀式用続き部屋ができ、現在アレクサンドルの間と戦争の間のあった所に居殿を移すまで、ここが女帝の居殿でしたが、

 

ニコライ1世はそこをアレクサンドル1世の功績を讃える場所にしたので、元の居殿に自分と妃の居殿を戻しました。

 

 

皇太子夫妻の居殿と同じくスターソフとブリュロフデザインの第二帝政様式と、ネオバロック、ネオロココの折衷様式でした。

 

 

 

ロシア芸術の展示室になりあまり修復されていませんが孔雀石、ロトンダ、アラビアの間が復元されています。

 

 

ネヴァ側のホールの西音楽室の裏手にアラビアの間がありました。

 

アラビアの間

私的な居室と公的なホールとの間にあり公私の区別ができるようになっています。

 

ロトンダ

中庭から上がる階段ホールのような場所で

アラビアの間、歴史の回廊、皇帝の書斎、皇太子の居室の廊下とつながっていて皇帝皇后はここから出入りしました。

 

 

19世紀末のロトンダ(復元図)

 

 

孔雀石の客間

 

 

ニコライ1世の希望でウラル産の孔雀石(マラカイト)を主な内装に用い、

テーブル、暖炉、卓上飾り、嗅ぎタバコ入れ、筆記用具に至るまで孔雀石が使われました。

 

孔雀石の暖炉

 

孔雀石だけでなく扉や壁に上貼りした金と、大理石の壁、家具の赤が見事に調和しあざやかな美しさは圧巻です。

 

1833年モンフェラン設計で完成したもののの

 

1837年の大火事で焼け落ちブリュロフの手によりオリジナルに忠実に復元されます。

 

 

家具はモンフェラン設計のもので大火事の時には運び出されて無事で、展示されているのは数少ないオリジナルです。

 

大理石の壁には「昼と夜」(左右)「詩情の寓意」(中央)が描かれています。

 

 

2月革命時には皇族はこの部屋に集められて逮捕されました。

 

 

社交的だったプロイセン王女の皇后アレクサンドラ・フョードルヴナに似合います。

 伝統的なロシアンスタイルと新古典様式の折衷スタイルの服装

 

 

皇帝の書斎(中国のキャビネット)

 

 アレクサンドル2世が亡くなった場所に胸像が置かれています。

当時の皇帝の書斎(復元画)

新古典主義の簡素なお部屋

 

 

アレクサンドル2世は今の地の上救世主教会のある場所で暗殺された直後、冬宮のこの長椅子に運ばれ寝かされました。

 

もう亡くなっていたともここで息絶えたとも言われています。


アレクサンドル1世

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皇后の白の客間

ニコライ1世当時の水彩画





 

 

 

 

アレクサンドル2世の次男アレクサンドル3世は、

冬宮での爆破テロと父の暗殺を経験し、

 

 

冬宮に住まず郊外の堅固なガッチナ宮殿に家族とともに移り、執務は冬宮近くのアニチコフ宮殿で行ったため冬宮を改装していません。

 

 

 

その子ニコライ2世は冬宮の私室を大々的に改装させます。

 

1894年アレクサンドル・クラソフキーに命じ北西の皇帝皇后の居殿を一家の居室として小さく質素にしました。

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ここまで手をかけましたが、

 

唯一の男子アレクセイの血友病を隠すためと妃アレクサンドラ・フョードルヴナが宮廷を嫌ったため

ツァールスコエ・セロのアレクサンドル宮殿に住みました。

 

 

 

冬宮の皇帝居殿には夫妻共用の寝室、客間、応接室、喫煙室、ビリヤードルーム、図書室、浴室がありました。

 

皇族としては珍しく子供たちの部屋がありました。

 

 

ニコライ2世夫妻の居室としては図書室と小食堂が残っています。

 

 

ニコライ2世の図書室

図書室はくるみ材を用いた落ち着いたネオゴシック様式の内装で、

当時流行した2階建ての書架になっています。

 

 

大理石の暖炉が豪華

内装がノイシュバンシュタイン城の居間に似ていますね

クラウン型のシャンデリアも同じ

天井の文様浮き彫りは見事です。

 

 

小食堂

小さなネオロココ様式を簡素にしたもので家族水入らずで食事をしました。

 

タペストリーはサンクトペテルブルクの工場で作られ、

アジア、アフリカ、アメリカを寓意で表現しています。

 

 

マントルピース上のサイの時計は2:10を指しています。

 

1917年11月7日のこの時間にこの食堂で臨時政府の閣僚が逮捕され冬宮大攻撃が完遂されました。

 

 

皇帝の小さな書斎

 

奥にも扉がある変わった間取り

ニコライ2世は狭くて質素なのが落ち着いたようです

 

皇后アレクサンドラのサロン(客間)

 天井しか修復されていません

 

 

新古典様式の客間

 

 

皇帝皇后の寝室

 

柱と天井の形しか面影が残っていません

 

ニコライ2世夫妻の寝室

カーテンの奥

従来皇帝皇后は別々の寝室をもっていましたがニコライ2世は共有していて庶民のような感覚を持っていたようです。

 

皇后アレクサンドラの居間

 

皇后アレクサンドラの実家を見学したことがありますが、

宮殿とは名ばかりの普通の邸宅でした。

 

 

アレクサンドラにしたら豪華で壮大な部屋になじめなかったのかもしれません。

 

 

旧キューピッドの客間

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当時は豪華なネオロココでした
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読んでくださりありがとうございました爆笑

 

皆様が幸せな一日を過ごされますように願っていますドキドキラブラブ