いつもご訪問くださりありがとうございます
おかげさまで1ヶ月間駆け抜けた旅行の整理ができています
ロマノフ展を後にし1階に降りると肖像画がたくさんありました。
ヨハン・バプティスト・ランピ・ダ・エルダー
「最も高貴なるプリンス・プラトン・ズーボフ」
題名が(笑)
薄情そうな顔が好きになれません
絵画は部屋にいながらペンにより国を動かし世界をも動かす力を持っていたことを示しています。
実際エカテリーナ宮殿の女帝のアパートメントのすぐ隣にズーボフのアパートメントがありました。
エカテリーナ2世の最晩年兄弟で寵愛され、亡くなるまで女帝は些細なこともプラトンに相談し、
女帝の判断力が衰えるとプラトンは女帝の名で私腹を肥やしました。
22歳のプラトンが女帝に出会ったのは女帝が60歳の時でした。
女帝の実質的伴侶であったポチョムキンは彼に夢中な女帝を見てペテルブルクを去りました。
ポチョムキン亡き後クリミア総督に就任、伯爵とReichsfürst(直訳で神聖ローマ帝国の王子。侯爵のないロシアでは伯爵以上公爵以下を意味しました)の称号を得ています。
女帝の長子パーヴェルを退け愛孫アレクサンドルを帝位につけるよう画策したためパーヴェル即位後全財産を没収され国外追放されます。
ヨハン・バプティスト・ランピエルダー
「伯爵ヴァレリアン・アレンクサンドロヴィッチ・ズーボフ」
ランピ・ダ・エルダーはウィーンの歴史画アカデミーの教授でハプスブルグ家、ポーランド王家、ロシアの皇族・貴族の肖像画を多く描きました。
まるで皇帝のような重厚な肖像画です。
ヴァレリアンはプラトンの末弟でとてもハンサムでした。
エカテリーナ2世の愛人になりますがエカテリーナの許可なくポーランド遠征で知り合ったポーランド貴族の娘と結婚します。
優秀な軍人でエカテリーナの死後パーヴェルに反旗を翻しペルシャ軍の将軍となりロシア軍を攻めました。
ヨーゼフ・グラッシが描いたのも超イケメンです
ヨハン・バプティスト・ランピエルダー
「ナタリア・スヴァローヴァ」
アルプス越えのアレクサンドル・スヴァロフ大元帥の娘
プラトンの兄ニコライ・ズーボフの妻
エカテリーナ2世の侍女
侍女のシンボルのブルーリボンにエカテリーナのミニチュアールのついたメダリオンを胸につけています
ジャン・ルイ・ヴォイル
「伯爵夫人アンナ・ペトロヴナ」
エカテリーナ2世と愛人スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ(後のポーランド国王)との娘。
エカテリーナの娘たちってなんでこんなに不細工揃い?
大公ピョートルと結婚中であったためペトロブナ(ピョートルの娘)のセカンドネームですがピョートルは自分の娘と違うと認知しませんでした。
生涯結婚せず伯爵位を授けられました。
ジャン・ルイ・ヴォイル
「イヴァン・エラジン」
エカテリーナ2世の重臣
枢密議員、詩人、歴史家、翻訳家
ジーン・ルイ・ド・ヴェイリー (フランス)
「イヴァン・スヴァロフ」
エカテリーナ2世の重臣
モスクワ帝国大学を立ち上げた1人
モスクワ帝国大学の最初の学長
芸術家たちのパトロンで枢密議員
ドミトリー・アントネリ
「伯爵夫人プラスゴビア・ムシン・プーシキーナ」
大将軍で伯爵のバレンティン・ムシン・プーシキンの妻
皇后マリア・フョードロヴナの侍女
侍女の証、ブルーリボンに皇后のミニチュアールのメダリオンをつけています
クリスティーナ・ロバートソン(スコットランド)
「タチアナ・ユスポーヴァ」
ポチョムキンの姪マリア・ポチョムキナの娘
ユスポフ伯爵夫人
エカテリーナ2世の侍女
ポチョムキンの財産を相続した母からたくさんの財産を相続し、大金持ちのユスポフ伯爵と結婚してたいへん裕福な様子が伺えます。
マリー・ルイーズ・エリザベート・ヴィジェ・ルヴラン
「ガガーリン家の男性」
きゃーヴィジェ・ルヴラン作!
がんばって作風を変えていますが唇に甘さが残るのがいいですね~
「伯爵フョードル・トルストイ」
帝国芸術アカデミーの彫刻部門教授
ジョージ・ドー(イギリス)
「シャルロット・リエヴァン」
伯爵アンドレイ・リエーヴィンの妻
皇帝パーヴェルの娘たちと大公ニコライ、ミハイルの家庭教師
画家は祖国戦争の間の将軍を描いた画家
ルイ・マリー・ギシャール (フランス)
「アレクサンドル1世」
ロシア皇室公式彫刻家
弟ミハイルもこんな髪型した肖像画がありますがこの時期はやったのでしょうね。
ミハイロフスキー城の模型
正面以外に跳ね橋がついています。
非常時は正面の石橋を壊して守備を固めるつもりだったようです。
4面それぞれ装飾が違っていて興味深かったです。
1階の残りは近代画のエキシビジョンだったので早足で通りぬけようとすると女性職員さんに止められて
「あなたが見なくてはいけないものを見逃しているわ。ついて来て。」と連れ戻され(笑)
長々英語で書いてある説明パネルを指差して
「あなたはこれを読まなくてはならないわ」
と言われてスマホ辞書を使いながらがんばって読みました。
江戸末期から明治時代にかけて日本で浮世絵を学んだロシア人画家の作品の展示であることがわかりました。
ヴィヴィトな色彩は浮世絵から発想を得たもので、浮世絵チックなのに景色はロシアな素敵な作品がたくさんありました。
(エキシビジョンなので撮影禁止でした)
おせっかいなほどの親切がすごく嬉しかったです。
でもいつも中国人に間違えられるのによく日本人だとわかりましたねえ。
しょぼいミュージアムショップですが品揃えはナイスです
ページ数は少ないのですが
ミハイロフスキー城
theロマノフ (ロマノフ400年記念展の図録ではないです)
なぜかロシア美術館本館にあるべき大公妃エレナ・パブロヴナの本(ロシア語でさっぱりわからず)
を購入しました。
これでミハイロフスキー城(ロシア美術館分館)は終わりです。
ここは人が少なくて肖像画好きにはたまらない穴場だと思います。
大理石の間、楕円の間、皇后玉座の間などが修復されているので建築がお好きな方にもお勧めです。
読んでくださりありがとうございました
皆様が幸せな一日を過ごされますように願っています