なかなかすすまない旅行記を読んでくださりありがとうございます
おかげさまで自分の中で消化することができるので感謝しています
9月2日
コットンシャツ、インナーダウン、デニムパンツ
まだ少し時差ぼけが残り5時に目が覚めました。
7時に朝食をしっかりいただきます
ホテルの1階にあるATMから国際キャッシュカードでお金を下ろします。
1万ルーブル(約16000円)ずつしかおろせなくて手数料も1回ごとにかかかるし面倒です。
面倒ですが国際キャッシュカードにはクレジットカードのような保険がついていないので盗られたり偽ATMにすいこまれたりしないためにホテルのATMを使いました。
昨日19時にシャツの水洗いとアイロンを頼んだら今朝8時に届きました。
900ルーヴル(1440円)
9:30にホテルを出ます
サンクトペテルブルグは狭いので朝一で見学するにしても朝ゆっくりできます。
モイカ運河沿いに東へ歩いていくとミハイロフスキー庭園に船着場と付属の建物が見えました。
モイカ運河から見たミハイロフスキー城
西側
この道路は元は堀でした。
教会部分が見えますが非公開。
南側正面
いかにもtheロッシ
元はピョートル大帝の夏の庭園と続きになっていて、エリザヴェータ女帝が建てた木造の夏の宮殿がありました。
そこでパーヴェルは生まれ祖母のエリザヴェータ女帝に溺愛されて養育されました。
彼の人生の中で唯一幸せな時だったのかもしれません。
パーヴェルは木製の夏の宮殿を壊し堅固な石造の宮殿ではなく城砦をつくりました。
設計はここもカルロ・ロッシ。
時代錯誤にも四方を水で囲み跳ね橋をつけて守りを固めているのは
母エカテリーナ女帝や貴族たちに暗殺されることを危惧していたからです。
名前のミハイルは四男のミハイルではなく大天使ミカエルのロシア語ミハイルのご加護を願いつけました。
皮肉にも即位4年でこの城の寝室で近衛将校によって殺されました。
未完成だったこの城にパーヴェルが滞在したのはたった40日だけでした。
その後パーヴェルの亡霊がでるとして誰も相続せず工兵学校になります。
現在はロシア美術館の分館として使用されています。
外から宮廷礼拝堂のドーム屋根か尖塔と十字架が見えるのがロシアの宮殿に共通する特徴だと思います。
前にはピョートル大帝像
ピョートル大帝の北方戦争での勝利が浮き彫りになっています
中庭にエントランスがあります
ロシア美術館の共通入場券で入場します。
内側はロココ風
ロココ様式好きな皇后のために皇后のアパートメントの面した中庭側はロココ様式です。
一度工兵学校になっているので一からの作業となり修復はまだ一部のみです。
1階
城というよりロシア美術館の分館としての機能の方が大きいです。
メイン階段
彫刻はポール・トルスコルニア「クレオパトラの死」
内装は新古典主義様式。
パーヴェルはナポレオンに心酔していたからフランスでいう第一帝政様式をいち早く取り入れています。
電燈がポストモダンな雰囲気ですがルーヴル宮殿のナポレオン3世のアパルトマンにもありました。
ラファエロのギャラリー
天井画ではなく天井に作品を展示しています
ラファエロのギャラリーだけど今はラファエロの絵は一枚もありません
皇族の肖像画が並びます
皇后マリア・フョードロブナのアンティークギャラリー
天井も壁もだまし絵だらけで残念な状態
お城ではなくロシア美術館の分館として公開しているので仕方がないですね。
皇后マリア・フョードロブナ
楕円の間
装飾がなくなっていたので写真をもとに修復したものです。
天井を支えている彫刻はバロック期ならアトラス神か怪物ですが、穏やかな表情の人々です。
工兵学校時代のメインの廊下
だまし絵でもせめてもう少し装飾的にならないかな。
大理石の間
ここで一番広い部屋
パーヴェルが団長を務めるマルタ騎士団の叙爵式に使われました。
マルタ騎士団長の正装の皇帝パーヴェル
パーヴェルの着ている赤地の白いラテン十字がマルタ騎士団の紋章第二次世界大戦中はニコライ2世の命令で傷ついた兵士の手当てに使いました。
大公アレクサンドルの古美術のギャラリー(後のアレクサンドル1世)
パーヴェルの長子アレクサンドルの個人ギャラリー
マリア・フョードロブナの玉座の間
ダイニングルーム
皇后のアパートメント内にあるダイニングルーム
ここで家族の団欒を楽しんだのでしょうね。
大公コンスタンチンのアパートメント
あちこちの国の宮殿を見てきましたが子供の部屋がメインの建物にあることは稀で、あっても1階の端っこで2、3室だったりするのですが、
ここの子供の部屋は皇帝と皇后のアパートメントの周辺に皇帝並みの部屋数があります。
パーヴェル夫妻は子供たちを愛していたんだなーと強く感じました。
長男アレクサンドルと次男コンスタンチンをエカテリーナ女帝にとりあげられて10年間も子供を作らなかったほど辛かったようです。
宮廷教会
構造はロシア正教のイコノスタシスですが装飾はカソリックっぽいなあ。
パーヴェルはカザン大聖堂もそうですけど心はカソリックなんじゃないかな?
マルタ騎士団を庇護して団長になった時点でロシア正教を背教しているのも同然です。
長いのに読んでくださりありがとうございました
皆様が幸せな一日を過ごされますように願っています