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ミュンヘンの建築を見るのにかかせない、ヴィッテルスバッハ家。

ヨーロッパでも屈指の名門で美男美女の家系として有名ですが、なにかに固執するなどの精神疾患に近い人も多く、

逆に狡猾な政治で諸国からあきれられるほどの人も多い家系です。

たぶんいちばん有名なのは
分家出身のオーストリア皇妃エリザベートだと思います。
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ヴィンター・ハルター作「皇后エリザベート」ドレスはフレデリック・クワース作

 美に異常に執着し、父親譲りの放浪癖があり人生ほとんど旅行していました。

「The ビッテルスバッハ」
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広辞苑より分厚い家の歴史

ミュンヘンとこの家系のかかわりは
1180年にオットーⅠ世が神聖ローマ皇帝から「バイエルン大公」位とミュンヘンを与えられたことにはじまります。{14CC7197-B742-4F7E-8BFB-4A54B4EF06EA:01}
オットーI世

1918年にルードヴィヒⅢ世が退位して王朝が終焉するまでの間に

ハンガリー、ボヘミア、デンマーク、スウェーデン、ギリシャ王を輩出しました。
また2人が神聖ローマ皇帝になりました。

その間ブランデンブルグ選帝侯、プファルツ選帝侯、後にバイエルン選帝侯位を得ています。

内紛、統合でゴタゴタが続き、
ハプスブルグ家が神聖ローマ皇帝位をほぼ世襲し、
成り上がりのプロイセンが王位を先に獲得するなど遅れをとりますが、

1801年念願の王国に昇格します。
バイエルン国王に即位するマクシミリアンⅠ世
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ナポレオンに取り入り王国に昇格、が形勢が不利になると反ナポレオン軍に加わり、ウィーン会議もうまく乗り切って王位を維持します。

娘をナポレオンの義理の息子で養子のウジェーヌと、
敵のハプスブルグ家両方に嫁がせるなど節操がないですね。
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左天蓋下がナポレオン夫妻とマクシミリアン1世夫妻、
右奥にアウグステ王女とウジェーヌ・ド・ボアルネ

長子で1825年即位したルードヴィヒ1世{8F783863-FE99-44D3-8FDB-1097EA93B8BE:01}
美形のおじさま 
照れ
 
近代都市国家を目指し
大学、図書館、アカデミーを創設、学問と芸術を発展させ、
好きなローマ•ギリシャの古典芸術を反映した建築を多く建て、

ミュンヘンを「イザール河畔のアテネ」を呼ばれるまでにします。
 
また「名作は万人の目にさらされるべき」とかなり先進的な考えで 

ヴィッテルスバッハ家所蔵の名画をアルテ・ピナコテーク、ノイエ•ピナコテーク(美術館)に集め一般に開放し、現在も公開されています。

美人が大好きで36人の身分を問わず美女の肖像画を描かせニンフェンブルグ城の美人画ギャラリーに飾らせました。
愛人と息子の嫁まで並べているのはどうかと思いますが。

スペインの踊り子ローラ・モンテスに夢中になりすぎて退位させられています。
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ローラ・モンテス(ニンフェンブルグ城)

長子で次の王マクシミリアンII世
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中世の騎士物語が好きなので服装と手に持つ王冠が中世風
 
科学に造詣が深かった「科学者王」
現在のドイツ博物館を創設、
産業復興に尽力しますが早死にします。

中世の騎士道に憧れ荒果てていたホーエンシュバンガウ城を中世風に改装して、
夏の間家族水入らずで過ごしました。
 

長くなりましたので続きは次回にします。

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