拙い旅行記を読んでくださりありがとうございます。
心から感謝しています。



今回の旅行で行ったカルナヴァレ博物館、ベルサイユなどでcloseしてる範囲があまりにも広かったため、

パリに来た主な目的である

カンタン・ドゥ・ラ・トゥール「ポンパドゥール侯爵夫人」
がもしや見れないのではとの不安がよぎり

インフォメーションで質問しました。


係りの方はPCで検索して
「大丈夫だよ。シュリー翼3階45番の部屋で見れるよ」

部屋番号を書いて地図に印までつけてくれました。
 
 
もらった地図にも閉鎖箇所が記されていますが、
その範囲外ですし安心して、


インフォメーションそばのイートインカフェ「Paul」(本当にどこにでもありますね)
でルートを練ります。
 

一度外に出るとまた並ばないといけないので、ここの席が空いていてほっとしました。
中のカフェもトイレも大勢並んでいます。

 
 洋ナシのデニッシュ+コーヒーで7.8€(1014円)高い!


早足でお目当ての絵を見るため

3階シュリー翼へ
18-19世紀フランス絵画のブースです。
(地図上17世紀は閉鎖中)
 ルーヴル美術館 
 

 「サロン・ド・ルブラン」

大好きなヴィジェ・ルブランの特設コーナーがありテンションがあがります

 
  「ルヴラン夫人とその娘」
   

本当に自画像がお好きですね。
 これも当時流行しだした古代ギリシャ風の衣装。


ビジェ・ルブラン「ルソー夫人とその娘」
 


 ヴィジェ=ルブラン「モレ・レイモン夫人」
  
 イタリア・コメディー座の女優の肖像画
彼女の初期の作品

この絵の衣擦れの音が聞こえてきそうなドレスの生地や、フカフカの毛のなマフなど、素材の描き方が見事で高い評価を得、後にマリーアントワネットの公式画家に選ばれることになります。

  
 
ヴィジェ・ルヴランの繊細で優美あまーい女性らしい肖像画大好きです。 

 
ナティエが一枚だけありました。

 ナティエ「Chaulnes公爵夫人」

18世紀に人気のあった肖像画家で、ポンパドゥール侯爵夫人、ルイ15世の王女たちの連作で有名。
ロシアでも人気がありエカテリーナ1世を含む皇族の肖像画を残しています。

ギリシャ神話の構図を使った寓意的な肖像画が多い画家です。


ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「いかさま師」

 3人が若い貴族からお金を巻き上げようとしているスリル緊張感のある場面。

左の男性は背中にカードをはさみあきらかにいかさまをしているが、不適にも画面越しにこちらを見ています。

二人の女性たちは右のゲームに夢中になっている若者にお酒を飲ませてテーブルの金貨を奪おうとしています。

 イタリア絵画に見えるのは私だけかな。


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あれ?

まだフランス絵画少ししか見てないのですが、
バリケードがあって、その前に長机おいてルーヴルの人が座っています。



「カンタン・ドゥ・ラ・ドゥールの描いたマダム・ド・ポンパドゥールが見たいのですが」
と聞くと


「You cannot see it now」
 

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しばらく呆然としていました。
(5/19以降は見れるそうです)


何しにパリに来たのでしょう。
あっちもこっちも見たいものが見れず。


もらった地図には載っていない閉鎖区間あるなんて。
インフォメーションの人もしらないなんて。
PCにも登録されてないなんて。

おかしいよー。


17,18世紀フランス絵画全滅の図
 
シールを貼っただけ↑


しばらくさまよった後、

「私にはまだヴァン・ダイク様がいる!!」

と気を取り直し

17世紀フランドル絵画のあるリシュリュー翼へ向かいます。


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入口がしっかりと閉じられ
別の閉鎖地図。

フランドル絵画全滅の図
 

mapにもフランス絵画のところの地図にもこの閉鎖載ってなかった・・・。


ヴァン・ダイク様にも会えませんでした。

怒っても泣いても見れるようにはならないので、


次行きます。


「ギャラリー・メディシス」
(リシュリュー翼3階)

 1620年息子ルイ13世と和解しパリに帰還したマリー・ド・メディシスは
リュクサンブール宮殿(現在の元老院)に飾るための24枚の絵画をルーベンスに依頼します。
発注主の依頼した題材は「皇太后のまことに誉れ高い生涯」「その英雄的行為」。


実際の彼女は、薬屋からトスカーナ公爵なり上がったメディチ家の娘で、両親は離婚、不美人で縁談もなく婚期を逃していました。

愛妾ガブリエル・デストレと結婚の準備をしていたアンリⅣ世ですが、国庫がからなので持参金目当てで愛妾に内緒でマリーとの縁談を進めるうち、愛妾は急死します。
(アンリⅣ世が毒をもらせたとする説が有力です)

アンリⅣ世と結婚した時王妃は27歳でした(当時は10代半ばで結婚します)


王妃はルイ13世以下王子王女を生みますが
アンリⅣ世は愛妾を多くもち王妃を愛さず、王妃としての戴冠式も延ばし延ばしにします。

王妃は家臣たちを巻き込みなんとか王妃として戴冠し、王になにかあった時摂政になれる立場をえた途端、アンリⅣ世が暗殺されます。
(王妃の陰謀説もあります)


その後、政治に介入しすぎ成人した息子ルイ13世と家臣たちと対立、幽閉されたり国外追放されたりしますが、一度和解してパリに戻ります。
(のちにまた国外追放されます)

その時に自分の栄光の生涯の連作をルーベンスに依頼するのです。


ルーベンスは何の英雄的行為もなく、むしろ不名誉なことのほうが多い王太后マリーの生涯をどのように描くか非常に悩みまますが、


神話の神々や天子から祝福された誕生、生涯、結婚、本人の神格化という形で壮大な一大絵巻のように仕上げます
(ルーベンスは多くの弟子をかかえており、作業のほとんどは工房でなされました)


「結婚」
 


「サン・ドニ聖堂におけるマリー・ド・メディシスの戴冠式」  
  



 「摂政制度」
 

「王女の交換」

 
 
ルーベンスの描いた肖像画も見たかったな

長いのに読んでくださりありがとうございました