針生検っていう検査があるんですよ(唐突)




おっぱいにちょっとメスを入れて切り口を入れて、そこからヤクルト(池山監督が有能でおなじみ)のストローぐらいの針を入れて、




エコーで腫瘍の所をつっついて組織を取ってくるっていうやつです。




生検するってなると、


上の先生が外来に呼んでくれて、僕が二人羽織みたいな感じで一緒にやるんですけど、


かなりテンパります。




皆さんは車の免許を取る時に初めて、路上講習に出た時の気持ちを思い出してください。アレになります。




それで、針刺したあとは、15分押さえるんですけど、

押さえている間にテンパりがやっと落ち着いて来ます。




そしたら、外来でうっすらながれてる音楽とかにも気付けるようになります。




こないだは、いきものがかりの「いつだってぼくらは」が流れていました。




この曲は、僕が中学卒業ぐらいの時に流行った曲でした。




親の仕事の都合で池田から堺に引っ越すことになり、


高校は智弁和歌山に行くので、


中学のせっかく仲良くなった友達とは縁遠くなっていき、また新しい環境になるのか〜と思っていた当時のことを思い出しました。




北摂の高校に通い、池田の友達とラウンドワンで遊んで阪大とか行けたら良いな〜とか思ってたんですが、




智弁和歌山に行ったことで医学部行く風潮みたいなのに触れれて、紆余曲折あるも最終的に医学部の門を叩けたのは、今思えば良い転機だったのかも知れません。




まあ、当時はそんな先のことなんかわからないので、不安やな〜寂しいな〜とか思いながら、「いつだってぼくらは」を聴いていました。




「いつだってぼくらは」を再び耳にしたとき、

医者になって患者さんのおっぱいを押さえてるとは中学卒業当時の僕は夢にも思ってなかったでしょう。




あれから、いきものがかりは2人になりましたが今年も元気にツアーをやっていますし、

僕は興味ある仕事をして日々やりがいを感じて働けています。




お互い頑張ってたんやなと勝手に思わせてもらいました。




僕は、お互い頑張ってたんやな、みたいに感じるものが好きです。




これには、きっかけとなった出来事があるんですけれども、、




これは僕が大学3年生の時の話です。




その年は僕の大学が西医体の主幹(運営校)で、大阪開催だったので、運営とかのために本町に泊まっていました。




僕はレセプションっていう大会の後の全体懇親会の代表を任されていました。




なので大会中というより、大会の後が本番だったんですがかなりヒリついた数日間でした。




2日目の夜、会場の片付けをしたあと、本町のホテルの周りを散歩していました。




そしたら、南御堂っていう本願寺(信長とバトったでおなじみ)の系列のお寺の前に来ました。




そこのお寺の前には、昔、ボロい建物があり、小学1年から3年まで親に通わされた学習塾があったんですが、




大学2年ぐらいの時に、その建物は壊されて、南御堂も周りには工事の足場が立って当時の面影は無くなっていました。




通わされていた頃、


全然勉強せず、復習テストの点が悪いと親に勉強してないのがバレるので、


試験対策として毎回ガチお祈りをしていたお寺だったんですが、壊されてしまうのかな〜と思うと、少し悲しい気分でした。




その南御堂、ジンクスがあって、


本気のガチのお祈りをするとテストの点が良くなる傾向がありました。




まあ、そんな事ばかりしていたので親にこの子は自由に生きさせようって思われて公立中学に行くことになるわけですが。




さて、それを思い出して、




足場の近くに行って、


レセプション無事に終わりますように〜と本気のガチお祈りをしてみました。




すると、ガチお祈り中に、堂内から出てきたお坊さんに「若いのに熱心ですね」と声掛けられました。




そこで、小学生時代この壊されている建物の中の塾に通っていたこと、その際、毎回テスト対策としてお祈りしていたこと、そのおかげでは全然ないが医者になる大学に入ったこと、


そして、大学生になり久しぶりにここに来て思い出の建物が無くなり残念なことなどを話ました。




すると、お坊さんが


このお寺は経営難で取り壊すことになっていたが、インバウンド向けのホテルに話しをいただき、今は周りの建物を壊してホテルを建てていること、宿泊客への目玉としてホテルの中に寺を残し、この寺は存続出来たことを教えてくれました。




そして、「僕がここの寺に入ったのがお兄さんがここに通われてた頃ぐらいですわ、大変でしたけど、お互い頑張ってたんですね」と言われました。




なんだか衝撃を受けて上手く返せませんでしたが、この先も南御堂と頑張って行こうと思いました。




今では、そのホテルの前を通るといつも、部屋には明かりが灯り、繁盛しているようです。


一方のそのお寺は、プロジェクションマッピングされて七色に輝いていました。




立派ですね。僕も七色に輝けるように頑張らないとなと思わされます。




話は生検の話に戻ります。


針を刺したところを押さえていたらいきものがかりが流れてきた話です。




御堂筋のお坊さんが「お互い頑張ってたんですね」と言ったように、曲を聴いていきものがかりに対して同じような気持ちになりました。





さて、医者三年目になり、研修医ルームで足を伸ばして雑談していた同期たちは、会う機会がめっちゃ減りました。(僕が分院勤務になったのもありますが)




寂しいですね。




まあ、それぞれが各科の見習いとして、謎の業務に精を出していることでしょう。




いつか、同じ病院で働けば、専門的な意見を求める事もあるんでしょうか。




その時は、お互い頑張ってたんですねの顔になってしまうことでしょう。




そういえば、こないだ高校の同級生とキャンプに行きました。みんな立派に仕事してて偉かったです。ネットミームしか話さない友達はネットミームしか話さない弁護士になり、独立していました。




唐澤貴洋みたいにならないようにしようね(提案)




池田の中学の友達とも、年末年始には未だに集まれて子供とか抱っこさせてもらったりしています。




みんな頑張っててえらいですね。

これからも頑張ってこな〜




俺はこないだ、マンモグラフィー読影認定医になったでい。




南御堂も、乳癌で死んだ天国のばあちゃんも

喜んでることやろう。




そりでは!