2026年の3月がやって来ました。

 

 

 

僕が留年したのが2022年の3月18日なので、あれからもう4年も経ったんですね。

 

 

 

当時は美容業界を志望していましたが、気が付けば乳腺外科医になってしまいました。

 

 

 

さて、3月18日のことを、僕は

誕生日と同じぐらい重んじています。

 

 

 

ちなみに、3月18日は西野カナの誕生日でもあります。

 

 

 

それは関係ないですが、

 

 

 

この日は、僕がこれまでで1番人生が変わった失敗のあった日です。

 

 

 

そして、

 

 

 

毎年、その1年や留年当時と比べた自分の成長を振り返る日でもあります。

 

 

 

僕は、思想の1つとして、

 

 

 

人生における落ち込んだ時期をベースラインとして記録して、後で比較するというものがあります。

 

 

 

癌治療でいうところの、

治療前の1番腫瘍がデカい状態をベースラインとするみたいな感じです。

 

 

 

人生とは起伏がつきものなので、自分の中には沢山の上手くいかず落ち込んだ時に記録したベースラインがありますが、

 

 

 

気に入っているものの1つとして、

研修医2年目のお金事情というものがあります。

 

 

 

周りのみんなは、なんでワサはこんなに給料日前になるとこんなにお金に困っているんだろうと思った人も多いんではないでしょうか。

 

 

 

この1年、住民税とかが始まったり、外の病院に出てあまり当直に入れなかったりして収入が苦しかったですが、

 

 

僕は実家への仕送りを続けていました。

 

 

 

実家は普通にそこそこ裕福なのですが、私立大学に7年も通わせてくれてありがとうねという気持ちを、ちゃんと忘れないようにしたかったというのも大きいですが、

 

 

 

あえて、ここでめっちゃお金に困って、

この先、収入が上がっていく度に、できることが増えたり、生活が豊かになっていく過程を

 

 

 

この1年と比較して喜んで生きていくために、この1年をベースラインとして自分の中に記録しておこうと思ったというのもあります。

 

 

 

そうすることで、低いと言われている大学病院の給料とかでも、

 

 

 

2年目より良い暮らしができてるから感謝して働かないといけないな。

ってなるじゃないですか。

 

 

 

低い所にベースラインがあることで、持ち上げた上がり幅をいっぱい味わえますからね。

 

 

 

まあでも、結局この思考というのは、

数々の失敗をベースラインにして、乗り越えてきた結果、

 

この自分は進化し続けられる自信がついてしまったからなんでしょうね。

 

 

 

3月18日になるたびに、自分の人生は年々充実していっているなと実感しますし、

 

 

 

そのおかげで、

 

この先、留年を上回る失敗があったとしても、そこをまた新しいベースラインにして、環境を持ち上げていけるんだろうなと思います。

 

 

 

美容業界に行けなかったので糸リフトは出来ませんでしたが、自分の環境をリフトしていきます。

 

 

 

さて、4月からは、僕は外科医を名乗ることになります。

 

 

 

研修医という免罪符を失い、失敗した時の責任も大きくなりますが、まあ給料も増えるので仕方ないですね。

 

 

 

きっとまた来年の3月18日も新しい成長を実感できると思うと楽しみでもあります。

 

 

 

未熟な自分に出会って、関わってくれた人達に感謝して生きたいですね。

 

 

 

でも、普通に上手くできた所とかがあったらめっちゃ褒めて欲しいです。

 

 

 

あと、「なんかこうした方が良いのに」みたいなのがあったら優しくおしえてほしいです。

 

 

 

あと、大変そうにしてたらご飯とかも誘ってほしいですね。

 

 

 

トリセツみたいになってしまいました。

 

 

 

まあ、3月18日は西野カナの誕生日でもありますからね。

 

 

 

そりでは!




以下余談




留年が決まった時、車に乗ってたんですけど、「うわ〜番号ないやん」となった時に、車のオーディオから沖縄のラッパーが沖縄について歌った曲が流れてて、

「あ〜沖縄行きたいな〜。けど留年してもたから親にはそんなんよう言えへんな〜」って口に出して言っちゃったんですよね。

それから月日は流れ、2度目のポリクリとか、居場所がなかったので自習室の端や、6年生の友達の勉強部屋に入れてもらったりして勉強を頑張ってたら、大好きな先輩から結婚式に招待されたんですよ。翌年の3月19日、場所は沖縄でした。

留年が決まったそのちょうど一年後の同じような時間、僕を乗せたバスは関空に向かう橋の上を走っていました。

頑張って良かったなと思いましたね。