ウーバーイーツのことと、交渉術について書きます。

めっちゃ長いブログですが、口頭で話している時と同じテンションで書くので、

「椙山と喋ってる時はどちらかと言うと楽しい方」だという方だけ読んで下さい。

それ以外の人は読まないで下さい。

僕に対する「文章が長いウザイやつ」という悪いイメージが膨らむだけなので…

 

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広告代理店での勤務を辞めて、ウーバーイーツだけで4ヶ月生活しています。

 

ウーバーイーツの界隈は、

他の配達員とは「Twitterを通して」

お店とは「お店で」

お客様とは「お届け先で」

それぞれ、他人と接触するのですが、ウーバーイーツ以外の仕事と比べると、

どれもめちゃくちゃ短い

 

ルールやテンプレートが無いので、

仕事の効率は、個人個人のやり方しだいで向上できるので、

自分と向き合う時間の方が圧倒的に多いのが、この仕事の特徴とも言えます。

 

ウーバーイーツのサービスは、地域によって異なりますが、

リリースされてから、日本では3年?名古屋や神戸では1年が経過し、

そろそろ配達員の間で

「ウーバーイーツやっててよかったこと」

「ウーバーイーツをやってて気づいたこと・学んだこと」

みたいなトピックスが、Twitterを見ていると流れてくるようになりました。

 

先述したように、ウーバーイーツは(業務上では)他人との関わりがほとんど無いので、

そういうトピックスっていうのは大抵、

運転の仕方、商品を受け取る時のコツ、お渡し時のマナーなど、

「個人の工夫」に収束する内容が多いです。

 

かくいう僕も、鍵はびよ〜んと伸びるキーリールに付けてエンジンオンオフのスピードを速くしたり、

商品を渡す時は、お客様の手や顔を見て丁寧度を変えたり、

すごく小さな、しょうもない、個人の工夫によって学んだこととか、

あ〜意外とこういう層に需要があるんだ〜

っていう個人的な感想を抱いています。

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ところで、今年2019年の12月末に名古屋から東京に引っ越す予定です。

ウーバーイーツで十分生活できるし、

ウーバーイーツをしながら、就職活動をした方が楽だし、

東京の方が希望する仕事が多いから、っていうのが大まかな理由です。

 

2トントラックをレンタルして、自力で引っ越す予定です。

正直不安です。全部トラックに入るのだろうか…。

 

しかし、転居先はエレベーターが無い物件なので、

洗濯機とか、冷蔵庫とか、ダブルベッドのマットレスとか、

階段で運ばなければなりません。

ということで、現地に住む友達に手伝いをお願いしようかな〜と思ってます。

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たまたま僕は、大学でデザインを勉強してたので、

Adobe社の「イラストレーター」が使えます。

本当は、CADとかが使えたほうが楽なんでしょうけど、

先述のとおり「荷物がトラックに入るかどうか不安」だったので、

荷物の寸法を測って、トラックの内寸に合わせてシミュレーションしてみました。

 

 

 

あ〜。。意外と入りそうですね…。

 

しかも、

 

 

 

並び替えも簡単なので、運び出す順序とかを検討しやすい。

 

こういう図が無くても別に引っ越しなんてできると思うんですけど、

見える化しておくと、安心ですね。

 

しかも、この見える化には、思わぬメリットが隠されていました…

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【 交渉に使える 】

 

「交渉術」って聞くと、話術とか、判断のスピードとか、お金とか、

そういう難しいものを、難しい方法で組み合わせるような術だと思いますよね。

だからこの言葉嫌いです。

 

でも、今回みたいな「別に見えなくてもいいものを見える化する」ことで、

交渉がスムーズにいくこともあります。

 

さっきの荷物の配置図を友達に送って、

 

 

「この大きい荷物だけ、2人がかりで運びたい。

晩ごはんおごるから、手伝って!」

とお願いした方が、快諾してもらいやすいです。

 

しかも、おごる晩ごはんのレベルまで設定しやすい。

今度は、相手が逆に勝手に交渉しだしてくれるから。

 

僕「晩ごはん、作業が終わったら、"福しん"でいいかい?」

友「いや、こんだけの力仕事なんだから、せめて焼き肉くらいにしてよ…」

僕「(高いな〜)了解!ありがとう〜お願いします!m(__)m」

 

って…え、めっちゃスムーズじゃないですか?

この流れの中で、一番良いことは

「両者にわだかまりが残らない」っていうポイントですよね…!

 

「晩ごはんおごるから、引っ越し手伝って!」

って、なんか、めんどくさそうじゃないですか…。

晩ごはんおごられる以上の大変な作業だったらどうしよう…とか思うじゃん。

僕だったら、不安だから、一発で断っちゃいます。

 

だけど、何をどこまで手伝って欲しいか

どこまで面倒くさい作業なのか

がわかれば、お願いされた相手も判断がしやすいですよね。

報酬が見合ってるかどうかもわかるから、断りやすいし!

 

正直、お願いする側は、このお願いが断られたっていいし。

3人くらいに交渉して、3人に断られたら、

「あ〜、やぱ業者でお願いしよう」って判断できるし。

 

余裕がある人なら「全部手伝うよ!」ってなるかもしれないし。

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何かをお願いする時、相手の余裕とか、キャパシティがわからないからこそ、

相手の余裕とキャパシティを相手が測りやすいようにしてあげることも、

交渉術の1つなのかな?ということに気づきました。

 

話は戻りますが、このことに気づけたのはやっぱり

「ウーバーイーツをやってたから」気づけたんです。

 

ウーバーイーツをやる前、

広告代理店で…広告掲載の打ち合わせとか、

通販会社で働いていた時…商品の仕様決定とか、プロジェクトをすすめるにあたって、

こういう「見える化」は当たり前のようにやっていたので、

見える化のメリットとか大事さに気づけていませんでした。

(ていうか、仕事をとるため、売上を作るためにはマスト・ドゥだったから…。)

 

ウーバーイーツをやっている今、こういう作業って、

ほとんど全くやらなくなったんですよね。

 

だからこそ、自分が今までやってきた仕事の進め方とか、

誰かと、何かを、一緒にやる時に、僕自身は何をしていたのか?

っていうのを、よ〜〜〜〜やく客観視できた気がします。

 

いや〜ホント、ウーバーイーツさまさまだな〜って思います。

 

終わり

僕自身の行動の基盤には、ミシェル・ド・セルトー(以下ドセルトー)による日常生活における「使用」についての考え方が大きく影響している。

 

ドセルトーはフランスの歴史家で、「正統的な歴史から排除されてきた民衆文化を、動的な日常的実践の中で捉えようと努めた」人だそうです。(Wikipediaに書いてありました。今知りました。)

 

皆様ご存知のとおり、私自身は、学生時代、

名古屋市立大学の芸術工学部・デザイン情報学科(以下デザ情)という学科に所属しておりました。

少し掘り下げて話すと、デザ情では紙面上のグラフィックデザイン、ウェブ上のグラフィックデザイン、立体物のプロダクトデザイン、人間工学、服飾やマテリアルに関わるテキスタイルデザイン、3DCG、動画、造形…など、限られたデザインから何かを選んで、専門的に研究する、という流れを経て、卒業する、そういう学科でした。

 

そんな中で、楽器が弾けたり、コンポーザーになりたいなぁという漠然とした思いもあって、音響デザインという分野を専攻し、最終的には「図形楽譜」についての論文を書きました。

ヤニス・クセナキスによるミケーネアルファという楽曲に焦点を当てて、「シーケンサーが五線譜に則っている」「DTMのUIも五線譜も横軸を時間・縦軸を音階と定義している」「そうでない楽譜はあり得るのか、過去あったか」「そうでない楽譜のメリットは何か?」「DTMのUIは図形楽譜にヒントを得るのか?」という内容だったと思います。(忘れた)

 

実は、この「図形楽譜」がメインではなくて、冒頭の「ドセルトーの"使用"についての考え方」が基盤にあって、で、図形楽譜のことを研究したわけで、図形楽譜に特段興味を持っていたわけではありませんでした。

いや、結局図形楽譜も面白かったのですが。石の写真を「楽譜だ!」と言い切る事例とかも知れたし。

 

ドセルトーの使用の考え方には、「征服者が与えたプロダクト(製品)を独自の方法で使うことで、自由な生存の領域を広げる無名の人々」の存在が強調されている。で、この隠れた行動が微生物のようだと言い表したことに着想を得ているのが「マイクロポップ」で、このマイクロポップのことをコソコソ研究していて、今でも、行動の基盤にはマイクロポップの理念が根付いています。

 

現代は、SNSに「悪いことをした!」といって写真や文章をアップロードすると、簡単に社会的な制裁を受ける時代となりました。ですが、昔から、「悪いことをした!」ということを「他人に知ってもらいたい!」と、ひけらかす気持ちを持つ人はいましたし、かくいう僕もそうでした。(結果、社会的な制裁を受ける。)

 

公表すれば、社会的な制裁を受けたり、そもそも他者からの信頼を無条件で失いますよね?だからタブー視されている。でも、これって工夫やイノベーションの素になる「脱領域化」を抑圧している気が、なんだか高校生の時くらいから、いや、中学生くらいの時から感じています。

 

橋の下とか、お店のシャッターにスプレーでペイントされた「グラフィティ」も、一種マイクロポップだし、日本人のグラフィティライターとしてVERYやQP、bellbellなどが脚光を浴びる時代もありました。

http://pleasure078.blogspot.com/2013/11/qp-atpine-brooklyn.html

 

平たく言えば落書きだし、器物損壊、不法侵入にあたる、言ってしまえば犯罪なんですが、それでもファンがいたり、芸術性を買われたり、ビジネスにつながっていることに、矛盾を感じています。

 

規範や、法律、伝統、なんかわかんないけどそういう空気、暗黙の了解…

「そういったものがあるからこそ」で、生まれた価値って、どうしてもなくならないと思います。

 

日々、そんなものを追いかけているような気がします。僕も。

「あなたには軸がない」「あなたには芯がない」

と指摘を受けることが増えてきました。

それは、芯になる部分や信念を隠しているから、そう思われているわけでもなく、

かといって本当に芯や軸になる考え、信念がないわけではない。

信念は各個人にあって当たり前のこと、努力や苦労をするのは当たり前のことだからこそ、

言わなくて当然のことだと思っていました。

 

これは、長く付き合っている友人みたいな、

ごく一部の人には理解してもらえているみたいだったので、

あぐらをかいてそんなに重要視していなかったのですが、

ここ3ヶ月、ごく最近になってようやく、

「あ、不親切な考え方だったんだなぁ…」と気づけました。

好きな人に言われ続けて、ついに、その問題の根本に気づけた感じです。

 

普通に考えたらそうなんですけど、

自分が何を考えているのかなんて「言わないと他人にはわからない」に決まってます。

 

今、他人と折り合いをつけられないつけられない僕の姿を見て、

「どうしたらいいんだろう」と考えてくださる人が周りには多いです。

本当に申し訳ないと僕が思っているのはこの部分で、

先述した「苦労して当たり前」という僕の考え方が悪いんです。

だから、「どうしたらいいんだろう」と思わせちゃっているのが申し訳ないです。

マジでただの僕自身の、僕の中だけの問題なので。

別に、「気を使わせて申し訳ない」とは思ってません。

 

完全になくすことはできません。僕も普通の人間だし、

過去のいやなこととかトラウマがこの、僕の個性とも言える発想を

培ってくれたので、もったいないという気持ちがあるからです。

別に、「まあいっか」と悪い箇所を放置しているわけではありません。

 

しかし、「苦労することが当たり前じゃない」と、新たに考えることは、

これから絶対にできるはずです。まだまだこの力は最近できたばっかなので未熟ですが、

色んな人と良好な関係が築けるように、真剣に向き合います。

めんどくさい人間かもしれませんが、必ずみんなの力になりますから、

今後ともよろしくお願いします。

 

 

そんで、「軸になるもの」ってテーマが出ると、毎回羨ましいな、って思うのは

「親や家族」が軸になっている人です。

父が仕事をしていない人間だったので、親に対しての愛情は人より劣っているのかも、

と、不安になる自分がいます。

母と養父、兄弟や親戚には愛情があることは確かなんですが、

なんとなく、僕には父性が欠けているような気がしています。

 

その不安というか、抜けている部分を補填するために、

たびたび、結構な頻度で、「僕のおじいちゃんは開業医」という話を知人にしていました。

そんな漠然としたステータスをエサにして、自分の血縁的な「誇りレベル」を保とうと必死になっていました。

とはいえ、僕は生きている間に「開業医の方のじいちゃん」に会ったことがありません。

 

ぶっちゃけ、「じいちゃんは開業医」というのも「情報だけ聞いて育った」だけで、

見て聞いたわけではないので、あんまりしっくりきていませんでした。

 

それで、愛知県図書館に行って、昔の名古屋市栄区矢場町1丁目(今の中区栄3丁目)の地図を見て、

本当にじいちゃんが開いた病院が存在したのかを確かめたりして、

「じいちゃんは開業医」という誇りレベルを高めてきていました。

 

しかし、インターネット社会になり(もう何年も前からですけど)

「じいちゃんが過去に書いた文章」とかも、Googleで検索したら、

簡単にでてくる時代になりました。(単純に高名な医者だからってのもありますが)

 

じいちゃんの本名「椙山康」で検索すると、

「生産と技術」という昔の季刊誌に掲載された「病は気から」という

じいちゃん自身が記述したコラム(?)みたいなのがPDFデータとして取得できます。

ここに書いてあることは、よく母親や兄が僕に言っていてくれたことと

ほとんど同じ考え方で文章が構成されているので、「ああ、マジでじいちゃんの文章なんだ〜」と勝手に納得してました。

 

で、同じく、じいちゃんが残したもので「コーチゾン投与マウス下垂体前葉の実験組織学的研究」

という研究が存在することが、Googleで検索した時に判明したのですが、

これの中身は見れません。東京の国立国会図書館にいけば読めるっぽいですが、

こんなむちゃくちゃ難しそうな研究のために東京に行くのもぶっちゃけ非常にめんどくさいです。

だから、この「コーチゾン投与マウス下垂体前葉の実験組織学的研究」に関しては、

ずっと無視してました。

 

しかしですが、今日、ふと「コーチゾン(一般的にはコルチゾンらしい)ってなんやろ…」と思い、検索してみると、

「アドレナリンとおんなじようなもので、人体がストレスに対して反応する際に放出される主なホルモン」

だということがわかりました。へぇ〜

 

マウスに対して「アドレナリン」や「コルチゾン」を投与する実験は、概して

心理的な負荷や、ストレスによる病状の増悪とかを研究するために行われるっぽいです。

 

で、詳しく調べていると、《「病は気から」の根拠を実験的に証明》という記事がネットに転がってました。

http://www.jst.go.jp/pr/announce/20141125-2/

 

じいちゃんがやった「コーチゾン投与マウス下垂体前葉の実験組織学的研究」っていう研究は、

「病は気からって言葉、マジなん?」という動機がベースになっていたのかな〜って、感じました。

もっとじいちゃんに近づけた気がします。ありがとう、ネット社会。

 

今日母親に会って、同じ話をしたところ、

「患者さんに対して『僕が診療したら、なんだか治った気になったでしょ?だって、僕、名医だもん。』

って言って、病気を治す、そんなお医者さんだったんだよ。」って話を聞けました。

コンサルやん!

 

「病は気から」を要約すると、

「あなたは知らない間に成人病になってる、とか、あなたの血圧は大丈夫か、とか、新聞に書いてあって、

マスコミが病人を作っている気がする。得意気に、ビタミン剤を何種類も飲んで健康だ!と宣う人も、

正直哀れに見える。人間の身体は弱くないんだから、自分の生命力に自信を持って、

健康で明るく、愉快で楽しいことを考えよう。年齢を忘れ、身体をゆったりのばしてみると、

あ〜自分は健康だ、って思えるしファイトも湧いてきます。」

みたいなことが書いてあります。

 

「病は気から」

http://seisan.server-shared.com/257/257-9.pdf

 

この考えを、もっと自分の軸にしていきたいな〜…。

生きてる間にじいちゃんに会いたかった。

 

最近そんな感じです。