今日はのぶくんの月誕生日。
生きていたら8ヶ月です。


生後8ヶ月といえば、ハイハイとか、お座りして手遊びとか、かなあ。
親は保育園の申請をしたり、ジャンジャン予防接種を受けさせに行ったり、その辺に撒き散らした離乳食を片付けたりしていたかなあ。

生きていたら。
元気だったら。




のぶくんは18トリソミーだったから、まだNICUだったかなあ。
気管切開が成功していたら、少しは体重が増えていたかなあ。
沐浴も抱っこも毎日できるようになっていたかなあ。





そういえば現在10歳の息子①は、小さな頃からちょっと不思議な人で、生後8ヶ月でつかまり立ちや伝い歩きをはじめました。
で、「立って転んで頭を打ってゲラゲラ笑いながらまた立つ」の繰り返しが怖くて、彼のためにヘッドギアを作ったことを思い出しました。
双子の弟(息子②)は、息子①と一緒に生まれ育ったけれど比較的ゆっくり成長していったので、子どもの成長って本当にいろいろだな、と思います。




さて、今日は友人Mちゃんの誕生日。
Mちゃん、誕生日おめでとう。




Mちゃんにはのぶくんの妊娠中から18トリソミーのことを打ち明けていました。
何しろMちゃんは、わが町で映画『うまれる』の上映会をした人ですから。
(まだ彼女と親しくなれていなかったころ。)


このブログにも「バレンタインの友チョコ」や「安産祈願の犬のお守り」「カーフレグランス」などで、ちょいちょい登場してきました。
妊娠中からNICU通い中、そして今に至るまで、私だけでなく私の家族のことも支え続けてくれています。
のぶくんの死後、少し心が不安定になってしまった息子①(Mちゃんの息子くんの親友)を遊びに連れ出してくれたり、様子もよく見ていて教えてくれたり、親には言えない彼の気持ちに耳を傾けてくれたりするので、本当に本当に助かっています。
いつもありがとう、Mちゃん。




こんなブログを書いている私ですが、実はあまりオープンな性格ではなく、のぶくんの病気のことも、のぶくんがかわいかったことも、小さな体で114日間がんばったことも、家族みんなでのぶくんを慈しんだことも、のぶくんがいなくなって悲しくて悲しくておかしくなりそうなことも、Mちゃん以外の近所の人や所謂ママ友には何ひとつ話すことができず、何もなかったように笑顔で挨拶や世間話をする日々でした。

ド田舎ではなく適度な田舎なので、私がのぶくんを産んだことも看取ったことも、知らない人はたくさんいます。

今も基本的にはそんなスタンスですし、夫なんかはこれからもそうなのだと思います(夫にはこのブログもまだバレていない)。



思い返せばMちゃんは、そんな私のことを心配して、のぶくんの死後50日目(49日法要の翌日・8月28日)、近所の気の置けない友人たちに声をかけ「のぶくんを偲ぶ会」的な飲み会を開いてくれたのです。

いつもの飲み会とは違い、子どもと夫は抜きで、女友だちのみの参加。
(どうやらこの会に向けて、打ち合わせの飲み会も開かれていた模様。)
前日まで49日法要の準備で気が張っていた私は、当面の目標?を失い、緊張の糸がぷつっと切れそうになっていたところを、この「偲ぶ会」メンバーにギュッと抱きしめてもらったのです。

夏休み中でしたが平日の夜だったので、次の日は仕事の人(息子の保育園のママ友なので、全員翌日も仕事ですね)も、家のワンちゃんが危篤の人も、赤ちゃんを家族に預けてきてくれた人もいて、とても申し訳なかったのですが、のぶくんのために、のぶくんの話をするために、みんな笑顔で集まってくれました。
Mちゃんが声をかけた人は10人。
全員が、何も言わずにMちゃんの家にスッと集まってくれたのです。

飲み会では、お酒の力も借りつつ勇気を出して、のぶくんの話ができました。
家族の話もできました。

するとみんなは、息子①②娘①の学校や学童保育での様子、娘②の保育園での様子も教えてくれましたし(きょうだい児に同級生がいます)、同級生たちが家でのぶくんやきょうだいたちのことをどんな風に話しているのかも教えてくれました。

また、この日をきっかけに「のぶくんにお線香をあげたい」と仰る方が、お子さんと一緒にわが家へお越しになるようになりました。
のぶくんの頑張りが、お子さんの命の教育に少しでも役立っているとうれしいなあと思っています。

8月28日にMちゃんの家に集った12人は、全員が小学4年生の子どもを持つ母です。
子どもが赤ちゃんの時からの付き合いです。
(のぶくんは今日で8ヶ月ですが、早い子は生後4ヶ月から預けられる保育園なのです。ちなみに息子①②は生後10ヶ月から保育園へ預けて仕事に復帰しました。)
「ママ友」だった私たちは、10年の年月を経て「本当の友人」になれたのだなぁ、それもこれもMちゃんの人を結ぶ力のおかげだなぁ、と改めて感じた出来事でした。



まだこのブログには、のぶくんの最期の様子や葬儀、49日法要のことなどを記録できていません。

しかし、少なくとも私にとっての法要(偲ぶという意味において)は、この飲み会だったな、と今になって思います。



あの日準備してくださったケーキです。

「◯◯(私の名前)ちゃん 出産おめでとう」
(5人目の出産なのでローソク5本)

「のぶくん 生まれてきてくれてありがとう」
(初めての誕生祝いなのでローソク1本)
 

(ちなみに、この飲み会の2日後、大学時代の水泳部の同期も飲み会を開いてくれました。これも嬉しかった。ありがとう。

そういえば、元水泳部の飲み会へ行く時の電車がMちゃんと一緒になったり、その日にMちゃんはのぶくんが生まれた病院で産科病棟の看護師長さんとお話をしていて、のぶくんや私のことを話題にしてくれていたりと、またまた謎の偶然がたくさん重なっていたことを、今思い出しましたので附記します。)



あの飲み会から3ヶ月近くが過ぎました。
繰り返しますが、今日はMちゃんの誕生日。

一昨日(11月17日)の夜には、再びMちゃんの家でMちゃんの誕生日会を行いました。
……いえ、大勢で押しかけて、行わせていただきました。

夫たち、子どもたちも集まったため(わが夫は家で仕事をしていましたが)総勢40人以上、もはやカオス。大騒ぎ。
Mちゃんファミリーの懐の深さに、いつも驚かされます。
ありがとう。

この日は、昼は地域の祭り(用水路を船で移動するというイベントがある謎多き祭り)、夜はこのカオスパーティーということで、子どもたちにとっては楽しすぎる1日でした。
(二日経った今日も、子どもたちはまだお祭り気分を引きずっています。)


パーティーでは、Mちゃんに誕生日のお祝いと日頃の感謝の気持ちを伝えるつもりでしたが、あべこべに私の方が素敵なお手紙をいただいてしまいました。
お手紙の一部を紹介しようと思います。
ほんの一部です。(「……」のところを省略しています。)

「……伝えたいことはたくさんあるけれど、今必死に日々を過ごすために踏ん張っている◯◯(私の名前)ちゃんに優しい言葉をかけて、心がポキッと折れてしまうんじゃないかと思うこともあり、上手に声をかけられなくてごめんね。
時間が経つと少し変わると思っていた気持ちは、実は逆で、時間が経つにつれて思いが募っていると思います。
……あえて言うよ。頑張れ。負けるな。
立ち止まったままでいい。何も前に進んでいなくていい。
その思いと、のぶくんと一緒に歩んでいけばいいよ。
……またのぶくんの話をたくさん聞きたい。そして、のぶくんが教えてくれたことを、出会わせてくれた人を大切にしながら、新しい◯◯ちゃんの夢を叶えようね。
絶対に応援するし、全力で応援するからね。……」



私がまだ立ち直れていないこと、まだまだ立ち直れそうもないこと、のぶくんに関わる何かを始めようとしていること、全てお見通しのMちゃん。


なぜ今回ブログでMちゃんのことをご紹介しているのかといいますと、「子に先立たれた親」との接し方に悩む方もいらっしゃるかと思い、ご参考まで、と考えたからです。


その人の状況や性格、その人との付き合いの深さが一人ひとり異なりますから、接し方に正解はないと思います。

実はMちゃんとは、この「死後50日目の飲み会」までにも度々会っています。
会おうと思って約束して会った日もあり、上の子の映画鑑賞の付き添いで会った日もあり、地元の障がい者施設のお祭り(のぶくんも生きていたら、お世話になることもあったかも知れないなあと、お子さんのバギーを押す親御さん方の姿を拝見しつつ)偶然会った日もあり。

その時その時で交わした言葉は色々でしたが、Mちゃんの接し方のありがたいところは、いつものぶくんを覚えていてくれることです。

多くの人から腫れ物に触るようにされるのはわかるのですが、のぶくんの存在が無かったことにされてしまうのが一番辛いなあ、と私は思っています。
(人それぞれだと思います。)


そういえば、のぶくんを亡くして半月後に、小学校の夏の個人懇談がありました。

息子①②(クラスは別)の担任の先生は、お二人とものぶくんのことは話題にも一切出されないので、懇談の最後にこちらから「その節は忌引きをいただきご迷惑をおかけしました」と申し上げると「いいんですよ。学校では全く弟さんのことを話題にしませんし、これまで通り明るく元気にしています!」と言われました。
このコメントには少しびっくりしてしまい、「実は話題にできないぐらい落ち込んでいる(特に息子①)ので、今後は気にかけてやってくださいませんか」と申し上げてしまいました。
双子なので先生同士が申し合わせていらっしゃったのかもしれませんが、お二人とも少し悲しい対応でした。

一方、娘①の担任の先生との懇談は「のぶくん(娘から聞いて名前も覚えていてくださいました)のこと、お悔やみ申し上げます」からはじまり、娘が学校でどのようにのぶくんのことを表現しているか、どんな変化があったのか、さらには学年の違う息子①②の様子まで丁寧に教えてくださいました。
ありがたい対応だと感じました。

親は先立った子どものことを、なかったことにはしてほしくないし、きょうだい児の学校での様子をとても心配しているのだ、ということもブログでコソコソ発信してみようかな、と思いました。

これも、私はこんな風に思いました、ということしかお話しできませんが、ご参考まで。


今回のブログは、なんだか偉そうになってしまいましたか。
大丈夫でしょうか。


お世話になっている大好きなMちゃんの誕生日と、のぶくんの生後8ヶ月の月誕生日が重なった今日だからこそ、「亡き息子ときょうだい児を思う母の気持ち」みたいな記事を書いてみようと思いました。



最近、『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見』という漫画を読んでいます。

実はのぶくんの解剖の結果がまだ出ていません。
結果を聞きに病院へ伺うときまでに、少しは知識を増やしておきたいと思い読みはじめました。
(解剖に関する書籍は、素人の私には敷居が高すぎました……。)

涙無くして読めない内容なのですが、ちょうど昨夜読んでいた6巻に、今回のブログの内容に関わる一節(台詞)があったので、記録しておきます。



「患者だけを診ていればいい時代なんて
とっくに終わったんだ

家族をフォローするのも医者の仕事

大変だし苦しい
できることだってほとんどない

けどね
患者にとって死は終わりだけど
家族にとって死は始まりなんだ

ひとりが欠けた毎日の」

(緩和ケア科の稲垣医師の言葉。彼のモットーは「死ぬまでちゃんと生かす」こと。)





「のぶくんが欠けた毎日」を、たくさんの人の優しさに支えられながら、母さんもお兄ちゃんもお姉ちゃんも父さんも、踏ん張って生きていきます。


西日本も今日からまた一段と寒くなりました。
皆さまとお友だちにとってかけがえのない今日という日が、穏やかな一日となりますようにお祈りしています。