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感動のカンボジア旅行その17(最終回)

とうとう最終回!!。やっと最終回!!

注意:最終回の「トゥルースレン虐殺博物館」は、かなり残酷な写真が掲載されています。苦手な方は見ないでください。


しかし、どうしても伝えたいので、空気を読まずにあえて掲載いたします。

カンボジアといえば、ポルポトによる大虐殺が有名です。今回僕もカンボジアに行くまで、この事実を知りませんでした。遠い昔のお話と思いきや、1975年から4年間の出来事。僕が小学校3年生の時、カンボジアでは悲惨な現実があったと思うと、正直びっくりしました。


簡単に、時代背景から説明しますと、「シハヌーク国王のもとで独立後、ベトナム戦争が起きると、国内は不安定となり、内戦状態となった。1968年には内戦は一層激化し、数十万人が犠牲。1975年、極端な共産主義を掲げるクメール・ルージュの独裁者ポル・ポト政権が成立。そして1979年までに、旱魃、飢餓、虐殺などで300万人以上とも言われる死者が出たといわれています。」

1975年~1979年のポル・ポト時代の4年間は、中国の毛沢東主義を奉じた極端な農本主義政策が採られたものの、非効率的なやり方は大旱魃をもたらし、出生率が異常に低下する一方、飢餓と虐殺で100万~300万人を超えるともいわれる大量の死者を出した。


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データを見てほしい。いかに1975年~の大虐殺がすごかったのかがよく分かる。


そして、ポルポト政権時代に監獄となったのが現在の「トゥルースレン博物館」である。

極端な内戦による農業インフラの破壊、食糧輸入援助の停止といった混乱状態の中、ポルポトは、

貨幣制度廃止。プノンペンなどの都市住民を農業の強制労働といった極端な原始共産制社会への回帰政策を実行した。

そして、旧政権関係者、都市の富裕層や知識層、留学生、政権内の親ベトナム派などを取り調べ、虐殺したのが

現トゥールスレン虐殺博物館(政治犯収容所S21)である。


 

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↑真ん中にいるのがポルポト。
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↑ポルポト政権の中枢「クメール・ルージュ」
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↑この博物館の説明をチビットさんが魂こめてしてくれました。しかし、時折、彼の目にうっすらと涙が浮かぶのを見ると、彼の家族や親戚はほとんど殺されたのが伝わってくる。
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↑現実の処刑後の死体。
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↑現実の処刑後の死体。

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↑中庭にある肥溜めと、その中に逆さ吊りに人を沈めて拷問するための柱。

ここで、本当に何人、何千という人が拷問に合い、殺された。


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↑ポルポト政権は、投獄した人民をひとり一人撮影し、番号をつけ、身体測定して記録をつけていた。その写真を現在のトゥルースレン博物館内部に展示してある。よくよく写真をみると、番号札は針でカラダに直接打たれ、撮影してる。撮影の際は、強制的に笑顔を求められた。
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↑くつわ。このひとつに足首を入れられる。夜寝るときは、びっしり並んでいるくつわの間隔にあわせて並べられる。
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↑強制的に農業をさせられるカンボジア国民。

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↑これが、拷問や撲殺に使用された道具。処刑が決まったら、大きな穴の近くまで連れて行き、穴に向かって立たせ、後ろから頭部を強打し穴に落とす。そして、動脈をナイフで切る。最後に上から薬物をかけて殺す。


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↑頭蓋骨も展示されている。


人は、命が危ない人間を見ると、自然と助けてしまうもの。なのに、なぜ・・・

そして、現在のカンボジアは、このような大虐殺により経済発展が遅れていると言っても過言ではない。


数少ない、ポルポト時代を生き延びた人も言っていた。チビットさんも言っていた。

今のカンボジアは平和で幸せです。

日本も過去幾度となく戦争をし、多くの犠牲の上に今の平和で豊かな日本があり、

今の自分がどれだけ幸せなのかを実感した

カンボジア旅行でした。