~寝るな危険、起きるともっと危険~
これは今から約ン十年前の話だ
朝から親父の様子がおかしかった。いや、いつもおかしいけど、今日は特におかしい。
まだカーテンも開けてないのに、寝室から「よっしゃあああ!!!」と雄叫びが響く。
何事かと思えば、親父がハチマキを巻いて鏡の前に立っていた。
「どうしたん?」と声をかけると、親父は真顔で言った。
「決戦の日や。」
なにが。
まさかまた町内のソフトボール大会か?と思ったら、違った。
「免許の更新や。」
おい。
それを“決戦”って言うな。更新やぞ。ただの事務作業やぞ。
しかし親父にとっては、どうやら交通センターが戦場らしい。
「免許更新っちゅうのはな、心のドリフトを整える儀式や」
意味わからんことを言いながら、愛車のキーを握りしめていた。
道中、コンビニで肉まんと缶コーヒーを買い、いざ発進。
バックミラーを見ながら「ふっ……今日もええ顔しとる」とつぶやく。
いや、むくんでるだけや。寝不足の顔や。
助手席の俺はすでに不安でいっぱいだった。免許更新って、こんなに気合い入れるイベントだったか?
受付で早速トラブル発生。
「更新に来たでェ!!!」
センター中に響く親父の声。受付の女性が「え、えっと……更新ですか?」と苦笑。
「そうや!免許の魂を磨きに来た!」
……もう帰ってくれ。
受付嬢が引きつった笑顔で書類を渡すと、親父は「ここの記入欄、気合い入れてええか?」と聞いていた。
いや、どの欄にも“気合”とか“闘志”とか書くスペースはない。
いざ講習室へ。中年たちが淡々と座り、静かな空気が流れる。
講師の警官がマイクで説明を始める。「では、安全運転の心得について――」
最初の五分、親父は真面目に聞いていた。腕を組み、神妙な顔でうなずきながら。
だが十分後、完全に寝た。
それも、軽い舟こぎとかじゃない。完全沈黙。
顔が斜め45度に傾いて、完全停止。
隣のおっさんが小声で「おい、おっちゃん寝とるで」と肩をつつくが、びくともしない。
ついに警官が近づいてきて「すみません、起きてください」と肩に手を置いた瞬間――親父、急に目を開けて叫んだ。
「安全運転の極意は、寝ることやッ!!」
教室、静寂。
警官、フリーズ。
俺、心停止。
「……え?」と警官が聞き返すと、親父は腕を組んでさらに続けた。
「寝とる間は事故らん。それが真の安全運転や。」
妙に説得力があった。いや、ダメなんだけど、筋が通ってるのが腹立つ。
受講者の一人が「確かに……」とつぶやいて笑いが漏れ、講師は「静かにしてください」と苦笑い。
あの日、講習会場に“伝説”が生まれた瞬間だった。
講習をどうにか終えて、次は写真撮影。
職員が「はい、こちらを見てくださいねー」と声をかけた瞬間、親父は表情を作り始めた。
おそらく彼の中で、“勝負顔”スイッチが入ったのだろう。
カシャッ。
撮影終了。職員がモニターを見て、一瞬沈黙。口元がピクピクしている。
「えっと……確認されますか?」と聞かれ、親父が画面を見た瞬間――俺は吹き出した。
「誰やこれ!? 犯罪者やん!!」
眉間に深いしわ、半開きの口、目つきは完全に“指名手配”。
本人は満足そうに「ふっ、これがワシの戦闘モードや」と言った。
どんな戦やねん。
家に帰ると、家族会議が開かれた。
母が免許証を見て絶句。「なにこれ、顔こわ……」
弟が笑い転げて「お父さんこれ、ゾンビ映画の犯人やん!」
俺は携帯で撮影し写メで友人に送信。すぐに返信が来た。
「これ免許証ちゃう、全国指名手配ポスターやろw」
家族中が笑い転げる中、親父は真顔で言った。
「お前らにはまだ、この顔の意味がわからん。」
いや、わからんし、知りたくもない。
それから一ヶ月後。親父が郵便物を見て青ざめていた。
「なんやこれ……?」
封筒を開けると【免許更新手続き未完了につき、失効のお知らせ】
……はい出た。
どうやら講習中に寝すぎたせいで「再講習対象」になっていたらしい。つまり、正式に更新されてなかったのだ。
寝るなって言ったやろ!!!
落ち込むかと思いきや、翌朝、親父は元気いっぱいに玄関でママチャリに跨がっていた。
全身ジャージ、ヘルメット装備、まるでツール・ド・フランスの選手。
「父さん、それどうしたん?」
「免許なくても、ワシには“ペダルの自由”がある!」
なにそのポエム。
そして発進。
漕ぎ方が尋常じゃない。通学中の高校生を抜き去る勢いで坂道をダンシング。
信号で停まるたび、隣の車のドライバーに「おう兄ちゃん、免許持っとるか?」と聞く。
めんどくさいにもほどがある。
そんな日々が続いたある日、町内のおじいさんが叫んだ。
「坂の下で、風みたいな男が走り抜けたぞ!」
見ると、親父だった。
ママチャリで時速40km、風圧で髪が逆立ち、顔は例の“戦闘モード”。
近所の子どもが言った。
「ママ、あれって警察から逃げてる人?」
違う、免許センターから逃げてるんだ。
夕方、汗だくで帰宅した親父は、息を切らせながら言った。
「免許はなくても、自由はある。」
麦茶を一気飲みし、その背中はなぜか少しカッコよかった。
母がぽつりと聞く。「ねぇ、次の講習、また寝るんじゃないの?」
親父は胸を張って答えた。
「寝る。それが安全運転の第一歩や。」
……この男、ブレない。
エピローグ
数日後、郵便受けに一通の封筒が届いた。
差出人は「県警察免許課」。
中には短いメモ書きが一枚。
『講習時の居眠りにつき、今後は後方席での受講をお願いいたします』
……親父、公式に“後ろの席”指定されたらしい。
こうして、免許更新センターにまた一つ――
“寝ると伝説が生まれる男”の名が刻まれたのだった。