バスケ=格闘技。ボールより先に肘が飛ぶ
中学校のバスケットボールは、スポーツではない。あれは、武道だ。いや、むしろ格闘技だ。そう断言できるのは、私の中学生活における“体育の魔王”こと、渡辺先生が存在していたからである。
「ドリブルは三歩まで!」「それ走りじゃない!それ命の逃走!」「顔面で止めるのが本当のディフェンス!」
…あの日々は、今思い返しても震える。ボールより先に肘が飛んでいた。それが、渡辺式バスケの基本だったのだ。
開会の笛=戦の始まり
体育館に鳴り響く笛の音。それは、バスケの開始を告げるものではなかった。
「始めっぞォ!!お前らァァァ!!」という渡辺先生の雄叫びが、体育館の天井を震わせた瞬間、我々はボールを見ていなかった。誰の肘が最初に飛ぶか、そちらのほうに全神経を集中していたからだ。
前の週に、田中がリバウンドを取ろうとして肘で鼻骨を粉砕されたのを見ていた私たちは、もうバスケが“非接触型スポーツ”だなんて一切信じていなかった。むしろ、「接触しないと怒られる」スタイルだった。
「体張れぇ!!」
ドリブル中、私がうっかり相手を避けて通ろうとした瞬間だった。
「おいお前ッ!!何避けてんだコラァ!!当たりにいけぇ!!男だろォォ!!」
全力で怒鳴られ、背後から鬼のような形相で走ってくる渡辺先生に肝を冷やした。私は泣きながら相手に体当たりをかました。相手も驚いて転び、ボールは宙を舞い、観客席の女子が悲鳴を上げた。
「よぉし!それでいいんだよオマエェェェ!!」
誰もボールの行方を気にしていなかった。ただ、渡辺先生がうなずけば、それが正義。それが戦術。それがバスケ。
ピボットじゃなくて“ピボットパンチ”
普通、ピボットってのは、片足を軸にして方向転換する技術である。だが渡辺式では違う。ピボットを回る瞬間、背後の相手に肘をヒットさせていくのが通例だった。背後確認?するわけがない。
「肘は語るんだよォ!!位置情報じゃねぇ!!男気だ!!」
そう言いながら、渡辺先生自身も、見本を見せると言っては生徒に肘鉄をくらわせていた。数名は耳が一時的に聞こえなくなったと証言していたが、先生は満面の笑みでこう言った。
「耳じゃねぇ!ハートで聴け!!」
「審判がいない?俺がルールだ!!」
普通の学校なら、審判役の先生が笛を持って公正な判断を下す。が、我が校の体育は違った。
渡辺先生が笛を咥えていたが、彼が吹いたのを私は一度も見たことがない。いや、咥えてただけで、基本「口から怒号」がすべてだった。
ファウル?関係ない。明らかなタックルも、「それはナイスプレー」になる。味方にパスするはずのボールが、敵の腹部に直撃したときも、先生は微笑みながら一言。
「メンタル攻撃も立派な戦術」
ボールより肘が主役
ある日、私がゴール下で相手と競り合っていた時のこと。肩がぶつかった拍子に、自然と肘が上がってしまった。ちょうど相手の顎にジャストミート。
倒れ込む相手、凍りつく体育館。ああ、終わった……と青ざめる私。
「お前……今の……」
渡辺先生が、こちらに向かってゆっくりと歩いてきた。私は涙目で謝る準備をしていた。
「……フォーム完璧だ!!見たかオマエラァ!!あれがバスケだァァァ!!」
拍手が起きた。なぜか全員立ち上がり、敬礼をしていた。そう、渡辺先生にとって、肘こそがこのスポーツの魂だったのだ。
ゴール決めたら帰れない
普通、ゴールを決めたら称賛される。が、渡辺クラスでは違った。
「おい、簡単に入ったな?」
「え?はい…偶然…」
「簡単に入ったってことは、ディフェンスが甘いってことだ!!もう一回やり直せ!!」
え?ゴール決めたら怒られるの!?と困惑する我々。しかもやり直しのたびに、「ディフェンス強化のため」と言って対戦相手が2人から4人、6人と増えていくシステム。最終的には1対全員でバスケをさせられた生徒もいた。もはやバトルロイヤルだった。
体育後の保健室が満室
このバスケの授業の後、保健室は満室になるのが恒例だった。鼻血、打撲、擦り傷、精神的ショック。保健室の先生は常に忙しく、渡辺先生のことを「戦の神」と呼んでいた。
しかし、驚くべきことに、翌週には全員ちゃんと出席していた。なぜか?
それは恐怖が生徒を動かしていたからだ。
「休んだら体育館に呼び出されて個別バスケやぞ」と、ある日聞かされたときのあの絶望。二度と休まないと心に誓った。
結論:バスケは格闘技、命のやり取り
バスケットボールという名前がついていたが、私たちがやっていたのは明らかに別の競技だった。肘で主張し、怒号で指示を受け、ゴールよりも戦意が重視される世界。
そんな非常識な体育の授業を、今では懐かしく、少し笑いながら思い出せる。だが当時は本気で命の危機を感じていた。何より、バスケが嫌いになるきっかけになったのは間違いない。
…だけど、バスケ中継を観ているとき、選手がぶつかって倒れているシーンを見るたび、私は思う。
「甘いな…それくらいで痛がってんじゃねぇよ」
私のバスケの先生は、ボールじゃなく、肘で語っていたんだ。