親父がまだ生きていた頃――今思い出すと、あの人は「ただの中年男」だったはずなのに、心の中では常に香港映画の主役だったのかもしれない。
酒を飲めばブルース・リー。
酔えばジャッキー・チェン。
そして次の日には腰を痛めて湿布を貼る。
この三段活用こそが、親父の人生の縮図であった。
■親父、ジャッキー・チェンに目覚める
ある日、親父がレンタルビデオ屋から一本のビデオを借りてきた。
そのタイトルは――『プロジェクトA』。
親父はテレビの前に正座し、まるで寺で写経するかのような真剣な表情で画面を見つめていた。
で、ジャッキーが時計台から落ちるシーンが流れるやいなや、親父は立ち上がり、私に向かって言った。
「これはワシもやらなアカン」
――いや、やらんでいい!!
その時点で私は悟った。
この親父、すでに理性を香港に置いてきている。
■親父の「プロジェクトA」 in 我が家
夜中、私はトイレに起きた。
すると居間から「ガタンッ!」という大きな音が聞こえる。
何事かと思って覗いてみると、そこには――
椅子の背もたれにぶら下がり、時計台よろしく落下練習をしている親父の姿があった。
「見ろ!落ちても受け身を取れば大丈夫なんや!」
そう叫んだ直後、親父は受け身をミスってちゃぶ台に顔面からダイブ。
ちゃぶ台の上の煮干しと漬物が宙を舞い、昭和の食卓がスローモーションで崩壊していった。
母はちゃぶ台返しを超える「ちゃぶ台クラッシュ」を目撃し、ただ一言。
「バカじゃないの」
親父は血が出ているのに、得意げにこう言った。
「見たか!ノースタントや!」
――いや、それはスタントマンでもやらん。
■親父、酔拳を誤解する
さらに問題だったのが『酔拳』だ。
ジャッキーが酒を飲んで強くなるのを観た親父は、こう決意した。
「ワシも酒で強くなる!」
結果どうなったか。
ただの酔っぱらいである。
ビールを3本空けた時点で、親父はリビングで「酔拳!」と叫びながら回転。
しかしコマのように1回転したところで平衡感覚を失い、そのまま障子に突っ込んでいった。
翌朝、穴だらけの障子を見ながら親父は一言。
「これが真の“酔拳”や」
――いや、それはただの住宅破壊。
■親父、カンフーアクションの副作用
ジャッキーに憧れすぎた親父は、日常の動作にカンフーを取り入れるようになった。
・テレビのリモコンを取る時 → 「ハイッ!」と飛び蹴りでテーブルに乗る
・冷蔵庫を開ける時 → 回し蹴りでドアを閉める
・蚊を叩く時 → 二本の箸をヌンチャクのように振り回す
その結果、我が家の家具は次々に破壊されていった。
テーブルはガタガタ、冷蔵庫のドアは斜め、蚊は逃げ切り成功。
母は呆れ顔でこう言った。
「ジャッキーの映画は壊してもちゃんと直してるのよ」
親父はふんぞり返ってこう返す。
「壊したままがワシ流や!」
――その「ワシ流」、誰も望んでない。
■親父、階段落ち事件
忘れられないのは、親父が『ポリス・ストーリー』を観た後のことだ。
あの階段を転げ落ちるシーンに感動した親父は、なんと自宅の階段で再現を始めたのだ。
「ワシもいける!」
そう言って階段から転げ落ちた親父。
ドスンドスンと派手な音を立てて落下し、最後は玄関で仰向けになった。
母が駆け寄り、「救急車呼ぶ!?」と聞くと、親父はゼーゼー言いながらも笑顔で言った。
「ジャッキーも痛かったはずや…ワシも本物に近づいた」
――その日から親父は二週間、腰痛で寝込んだ。
■ジャッキーのように生き、ジャッキーのように燃え尽きた
親父は50歳で亡くなった。
思えば、親父の人生はまるでジャッキー・チェン映画のようだった。
無茶して、笑わせて、最後にはケガをする。
けれど見ているこっちは、怒りながらも結局笑ってしまう。
葬式の日、私は親父の遺影を見てふと思った。
「親父、天国でもジャッキーやってんだろうな」
きっと今頃、天界のちゃぶ台を蹴り倒して、天使たちに「アチョー!」と叫んでいるに違いない。
そして天使に言われているだろう。
「バカじゃないの」
その光景を想像したら、泣きながら笑ってしまった。
結局、親父は最後まで“アクションスター”だったのだ。
まとめ
親父がジャッキー・チェンに憧れた結果、我が家は破壊され、母は呆れ、私は腹を抱えて笑った。
しかしその無茶ぶりは、どこか人を元気にする力を持っていた。
人生、ジャッキーのように派手に生きて派手に転んで。
親父はまさに、そんな人生を50年で走り抜けたのだと思う。