ドッジボールがヘッドショットで脳震盪。先生曰く「頭を使えってことだ」
「お前らぁァァ! 今日は球技大会だァ!!」
体育館に響く、渡辺先生(仮名)の怒号。
そう、この日もまた我々は“球技”という名の命のやり取りに放り込まれた。
だが、渡辺先生の「球技」の定義は、常人のそれとまるで違った。
世間では“スポーツマンシップに則り”だの“楽しく体を動かしましょう”だのと言うらしいが、彼にとって球技大会とは――
「戦(いくさ)」である。
開幕:ドッジボール=サバイバル訓練
球技大会の種目は、なぜか毎年ドッジボール一択。バレーボールもバスケも、卓球すらも候補に上がらない。
先生曰く、「ドッジは一番性格が出るんだよ」。それ、心理学とかの話じゃなくて戦争論だよね?
ボールの数はなぜか5つ。ひとつひとつが空気パンパンで、ほぼ武器。
手加減? なし。ルール? あってないようなもの。
何より恐ろしいのは――
「顔面セーフ」ではない。
いや、アウトでもない。
**「顔面ウェルカム」**である。
あの日の地獄:脳震盪事件発生
忘れもしない、あの3年生最後の球技大会。
私たちは運悪く、体育のエリートクラスと対戦。パワー型・暴投型・元野球部型が揃ったドリームチーム。しかも先生が実況兼ジャッジとして参加していた。
「よし、始めッ!!」
開始10秒。バズーカのようなボールが私の顔面を直撃。
「ドガァッ!!」
視界がグルグル回り、床に崩れ落ちる私。
脳が「もう一度幼稚園からやり直せ」と訴えてくるレベル。完全に脳震盪。
その瞬間、先生が駆け寄ってきた。ついに心配してくれるのかと思いきや――
「おいおい、“頭を使え”ってことだろ? ハハハッ!」
いや、それはもう**物理的に“使わされてる”**んですけど!?
ボール=教育的制裁具
先生の戦術はこうだ。
「球技で人間性を鍛える!」
具体的にはこうだ:
-
弱い子には、あえて“狙わせる”
-
強い子には、「外野からでも狙え」と煽る
-
避け損ねた子には、「お前は人生も避けてばかりだな」
完全に球技を使った説教マシンと化していた。
私なんて一度、先生から「“魂を込めて投げろ”」と直々に渡されたボールを、クラスのヤンキーに思い切り投げつけられて、顔面が夏みかんみたいに膨れたことがある。
フレンドリーゲーム? いいえ、戦場です
球技大会終了後、トイレには例によって沈黙の戦士たちが並ぶ。
「お前、あのタイミングで屈んだのすごかったな」
「オレ、もう片目見えてないかも」
「先生の実況、地味に傷えぐってくるんよな…」
たしかに、渡辺先生の実況はなかなか斬新だった。
「おっとここで西村くん!またもや存在感ゼロのまま退場〜!!」
「田中くん!避けずに立ち尽くすその姿勢!人生の敗北者ォ!!」
もう、言葉のドッジボールの方が痛い。
最後に:それは愛ではなかった
十数年経った今でも、私はボールが飛んでくると頭を守る。
咄嗟にしゃがむ。誰かがボールを構えただけで膝が笑う。
渡辺先生、あの頃の私は信じてました。
「これは愛なんだ」と。でも違った。
あれは恐怖による制圧です。
しかしその結果、私は今、
・飲み会のグラス投げにも瞬時に対応
・社内トラブルもフットワークで回避
・上司のヘッドショット級説教にも無表情で耐えられる
という特殊能力を身につけたのです。
ありがとうとは言わない。
でも、ある意味“教育”でした。