読者の皆さん、聞いてください。
避難訓練ですよ?
ベルが鳴って、先生が「落ち着いて行動しましょう」と言って、
全員が落ち着いてないフリをしながら校庭に出る、あの平和イベント。
……そのはずだった。
――1990年代中盤。
栃木県某中学校。
ここには一人、
「本気を出してはいけない場面で必ず本気を出す男」がいた。
体育教師・渡辺先生。
その日、午前10時。
校内に非常ベルが鳴り響いた。
「ウゥゥゥゥーーーーーー!!」
生徒全員、心の声は同じ。
(あー、避難訓練か)
(長いんだよな)
(校庭寒くない?)
……次の瞬間。
「伏せろォォォォォ!!!」
声が違う。
明らかに訓練用じゃない。
振り向くと、
廊下の奥から渡辺先生が全力疾走で来ていた。
いや、疾走じゃない。
突撃。
目はギラギラ。
ジャージはピタピタ。
首の血管が栃木の用水路みたいに浮き出ている。
「これは訓練だが!!
訓練だと思うなァァァ!!」
名言が早速矛盾している。
「想定しろ!!
火災は“優しく”起きん!!
栃木の冬と同じや!!」
誰も分からない例え。
生徒が固まっていると、
渡辺先生が叫ぶ。
「何立っとる!!
煙は上に溜まる!!
低く!!低く行けぇぇぇ!!」
結果、
全校生徒が一斉にほふく前進。
避難訓練で這った経験、ある?
僕はない。
この日が人生初だった。
「女子も例外じゃない!!
命は平等や!!」
女子、泣く。
男子、混乱。
渡辺先生、満足。
そこへモクモクと煙(演出用)が出た瞬間、
先生のテンションが完全に振り切れた。
「来たァァァ!!
これが実戦や!!」
違う。
霧マシン。
しかし渡辺先生は消火器を掴み、
「消火器はな!!
持ち方を間違えたら“敵”になる!!」
もう何と戦ってるのか分からない。
次の瞬間、
消火器ブシャァァァ!!!
白い粉が舞う。
視界ゼロ。
「見えません!!」
「目が!!」
すると渡辺先生。
「目を閉じるな!!
栃木の人間は心で進むんや!!」
無理。
心で避難できたら、
誰も怪我せん。
校長先生が慌てて駆け寄る。
「渡辺先生!!
これは訓練です!!」
すると先生、
一瞬だけ校長を見る。
「校長……
今ここでは肩書きは捨てろ」
校長、肩書きを捨てさせられる。
「今この校舎にあるのは
教師でも生徒でもない!!
生存者だけや!!」
誰が死んだ!?
渡辺先生はホイッスルを吹いた。
ピィィィィィィーーーー!!
「校庭へ脱出!!
走れ!!止まるな!!」
避難なのに全力疾走。
校庭に出た瞬間、
渡辺先生はさらに叫ぶ。
「まだ安全とは限らん!!
集合!!点呼!!
遅れた者は……戦死扱い!!」
戦死!?
点呼が始まる。
「1組!!」
「はい!!」
「声が小さい!!
火事の中でその声が出るかァァァ!!」
もう火事設定が消えてる。
体調不良で座り込んだ生徒に対し、
「甘えるな!!
栃木の冬、もっと寒いぞ!!」
栃木基準で命を測るな。
最終的に教頭が限界を迎え、
マイクで言った。
「……以上で避難訓練を終了します」
渡辺先生は深く息を吸い、
全校生徒を見渡して言った。
「今日、生き残ったのは……
運が良かっただけや」
いや全員生きてる。
「次はもっと厳しくする」
次、ある前提なの怖い。
放課後、校内放送。
「本日の避難訓練において、
一部、行き過ぎた指導がありました」
“一部”という言葉が軽すぎる。
職員会議では
「消火器噴射禁止」
「ほふく前進禁止」
「戦死扱い禁止」
という項目が追加されたらしい。
翌日、僕らに渡辺先生は言った。
「昨日のはな……
まだ甘い」
甘くない。
【エピローグ】
大人になった今でも、
非常ベルを聞くと、
反射的に姿勢を低くする。
栃木出身の僕と、
栃木出身の渡辺先生。
同じ土地で育ったはずなのに、
なぜあの人だけ“災害そのもの”になったのか。
それだけが、
今も解けない謎だ。
あなたの学校にもいませんでしたか?
「災害より先に避難すべき先生」