注意を欠いて結果の発生を予見しないことを過失という | スパチーの独り言

スパチーの独り言

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神社仏閣を「好き」になって欲しい
でも依存と鵜呑みはダメ
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令和 5年 6月 11日 日曜日 晴れ時々雨。

今日は_先日触れた父の誕生日。お水とお線香を上げて祈り、日々に感謝。

旅行中の父との喧嘩は…実は危機一髪のところだった。
当時はまさにベルリンの壁が壊される前夜で、まだ東側に共産独裁政権が続いていた時代。
夜、西ベルリンから電車に乗ったところで父が言う「のど乾いた。降りて水を買う。」僕は少し我慢しろとなだめたのだが水が飲みたいと駄々を捏ねる父と喧嘩になった。口論してる間に、気付けば次の次の駅は僕らがビザを持ってない独裁国家チェコスロバキア(当時はまだ一つで現在のウクラ亻ナの一部も含まれていた)だと僕が気付いた。まだルーマニア革命が起こる前、ソ連兵に引き渡されシベリアへ送られる…かどうかは分からないが、ここで確かにすぐ下りて西へ引き返すしか選択肢が無かった。   東欧独裁国家
寿命が縮まったハラハラドキドキの脱出劇だったことを今もよく覚えてる。

先月ゴールデンウィークには大勢の友人たちが入れ代わり立ち代わりウチを訊ねてくれたのだが、その中に数年ぶりに会う高校時代からの親友M君が居た。高校時代、僕もMもバイク通学していたが彼だけが見付かり停学になり、二人で湘南までツーリングに行けば彼だけが白バイに掴まるという… いつも僕の身替り地蔵のような存在だった。身長が180cmあり、見た目も日本人離れしていてハーフと間違われていたが、れっきとした日本人。強いて言えばポールマッカートニー似のイケメン(笑) いやイケメンだった。衰えはお互いさまだ。言及したいのは彼ではなく彼のお父さんで、同級生なのだが彼の父親は大正生まれの軍人、御存命なら100歳を超える。たった「軍人だった」という共通点が僕と彼の不思議な糸を手繰り寄せた。

彼の父と僕の父の「クセ」が同じ「モールス信号」で、日々「トン・ツー」と指を叩いていたこと。「ええっ"?マジで?同じじゃん!他には…」と、そうした幾つかの聞き伝えを辿ったら、彼のお父さんは僕の祖父と父の間に存在した同じ部隊の系譜の流れにあったことが分かった。誰か一人でも健在だったなら涙の再会だったことだろう。そして互いの父を合わせることが出来ていたなら、僕の父は恥じることなく過去を振り返り、また生涯の友を得られたはずだろうこと。今さらではある、だが_彼との出会いもまた僕にとって奇跡の一つだったのかもしれない。今になって知ることになるとは思わなかったけど、なんか_嬉しかったゴールデンウィークです。


さて。

最近、解せない「訴え」が相次いでますが。「公園で遊ぶ子供の声がうるさいから公園を廃止に」という事実を何度か書いたが_「カエルの声がうるさい、田んぼをどうにかしろ」というのもある。僕がもしそうした行動に出たら? 子供の声もカエルも大したことじゃないだろ、とまず言った上で_

「小鳥が多過ぎて24時間鳴いていて集中できない」
「大きなリスが居て通勤通学途上の住民に迷惑かけてる」
「毒蛇のマムシがいっぱい居てサンダルで歩けない」
「崩れそうな土が剝き出しの崖がいっぱいあって危険」
「TV電波が届かないのは防災にならないどころか差別じゃないのか」


叫びたいことは山のようにあるし、多くの住民も賛同するだろう。電波以外は「自然」の豊かな環境であって「田舎あるある」だ。おそらくはカエルより都会のセミの方がうるさくて迷惑な気もするし、ドブがある時点で蚊や害虫も多いだろう。こんなの子供の声に増して「怒りの対象ではない」と思えない人が増えてる、ということだろう。LGBTと同じく誰もが主観を主張出来ることが果たして「社会」として正しいのか、それが民主主義と言えるのか。意思が対立したとき、どう中庸を得るのか。中庸ではなく公務員が屈服してるだけだ。

多くの人は「訴える」経験などせず人生を過ごすだろうし、それが平和というものだ。権利が不当に侵害されたとき「起訴に踏み切る」という手段がある。赦しの抑えが効かなくなった場合ともいえるが「セミがうるさいから並木を伐採しろ」と自治体を相手に告訴するか?

いつも「俯瞰して見る」「相手の立場に立って」と書いているが若い人を中心に理解してない人が多いこと。第三者や相手の側に立って考えてみれば「自分の感情」や考え、方向性が間違っていることに気付くものなのだが「自分が正しくて相手が悪い」と常に一方的な視点だから過ちに気付かない

起訴するということは「あなたも等しく法廷に吊るされる」ということ。徹底的に相手の身辺や実状を調べて弱点を探すのは「お互いさま」だと言うことになる。もし自分が相手側の弁護をするなら?と考えなければならない。逆転裁判をするように…

相手弁護士
「~について説明しましたが、うわの空というか お疲れの様子でしたが_
 担当者にはうなづいていたように受け取れたと_」
裁判官
「その確証はありますか?」
相手弁護士
「プライバシーを考慮して記録はしてませんが、これが説明する際のマニュアル、手順書です」

裁判官
「あなたは疲れていませんでしたか?」…

あなたが「言った、説明した」はずのことも相手が「知らない」と応えるかもしれない。あなたを取り巻く家族の状態や過去等も調べ上げられて裁判官が「懸念を抱く弱点」を相手が見付けたら徹底的に突いてくる、それが法廷で争うということ。どこを探されても「何の弱みも無く」鉄壁の防御でなければ勝てず、引き分けに持ち込むのも裁判だし相手はそれで充分だったりする。いずれにせよプライバシーも暴かれることになる。

逆転裁判


決して正義や真実が勝つわけじゃない。そして裁判の多くは「負ける側」が先に訴訟を起こす方が多いのも確かだ。感情で告訴に持ち込んで相手のアラ探しをするけど、自分側の「防御が出来てない」から負けるというパターンがほとんどということになる。正直に_誰しも感情だけで判断するのを止めないと、この先の人生、社会で負けてしまうことにもなると知って欲しい。人間社会とは「主観に基づく正義」は決して評価されず基準にならないこと。社会で正しい判断とは個人の主観(思ったことや感情)は排除され、ルール(法律)に沿って公平であるために俯瞰して見る、相手の立場に立ってみる、こと。たとえそこにウソや悪意があったとしても打ち砕く物的証拠が無い限り公平な判断が第三者によって双方に課せられる。それが法廷だ。感情を持ち込むと「絶対に勝てない」。負けるとは言わないが決して良い結果にはならない。

そして悪徳弁護士が実に多いのも事実。勝つ気が無いだけじゃなく自分に幾ら入るかしか考えてない、取れる相手を自分の客に盛って来る弁護士たち。信用出来るかどうかも感情は排除しどれだけ社会に認知されてるかが判断基準になる。だからこそ小さい個人事務所は信用出来ないんだ。探せば中には個人でも良心の弁護士も少しは居る。「訴えてやる!」という感情こそ落とし穴で、自分で墓穴を掘るハメになり兼ねない。個人が団体相手に勝つ可能性は低い。そこに正義や真実があるとすれば訴訟にならず和解してるはずだ。民事でない事件の場合は全面的に検事を信頼していいけどね。警察はダメだけど(笑)

えっと。現実の世界でもし警察や検事や外国政府に掴まったら_
神仏に祈ろうが守護霊や背後霊や祖先やハイヤーなんとかも_誰も決して守ってくれませんよ。
僕のように「弁護士を訴える」ような人は…稀だろう(爆) しかも永田町の…(先に相手が折れましたが)


[今日は傘の日]

あなたが傘を選ぶときのポイントは?

今は傘にこだわりは無いです。
基本、傘を持ち歩くのが嫌なので土砂降りで出発しない限り持たないし、
確実に振ると自分で納得してれば出来るだけ軽い傘を持って出る。

番傘欲しいな。和傘なら選びたい。
傘よりフード付きコート、ゴアテックスの上着が良い。傘はやっぱ好きじゃない。
手が塞がるし第一手が寒いじゃない? 日傘なら帽子でいい。

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今夜はもう寝ます。おやすみなさい。  Jūdicis est jūs dīcere nōn dare.