地獄への道は善意によって舗装されている | スパチーの独り言

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令和 4年 8月 28日 日曜日、曇り。

連休を頂き楽しい週末を過ごさせて頂きました。男子はやっぱり「肉」ですが、女性陣は揃ったように「魚」をリクエストしてくる。今度から魚を必ず入れることにしよう。そして昨日は僕のお薦めで「おでん」を出した。皆が美味しいと食べてくれて(僕の分が無かった)大満足。ただ昨日は酒は少なめ、一升瓶2本と720mlの焼酎1本でした。遊び疲れて昨日も洗い物を放置したまま風呂だけ入って急いで布団に入り、今朝は仕事の為に朝早く起きて東京へ。まぁ正午までには終わったんですけど。

銀座4丁目交差点


銀座4丁目交差点は相変わらず多くの人の雑踏… というか日曜は相変わらず歩行者天国なんだねー。日本一物価の高い場所に何も用は無いので、帰路に付く。でも銀座の刺激を受けて何となく横須賀中央で街をぶらぶら。とはいえシャンプーを買っただけですが(笑)


さて。

前回は諸法無我と地獄を書いてみましたが。宗教は大きな区分けで例えばキリスト教、イスラム教、仏教を見ても、一つ一つに様々な宗派があり同じ括りの中でも敵対が激しいものになる。口シア正教や統一教会だってキリスト教の端くれなわけだしイスラム教だってスンニ派とシーア派くらいはご存知だろう。そして穏やかそうな仏教も実は激しく衝突していたりする。そう、仏教は他の宗教と大きく違う。特に少数民族や辺境の地ほど独自の解釈があり、そのせいで現在のように少数派になったとも言える。それこそがチベットを筆頭に、東南アジアの情勢を映し出しているかもしれない。日本は甘々の何でもアリなので言いようさえ無いけど。

仏教国といえばチベット、ネパール、インド、スリランカ、ミャンマー、タイ…。僕はインド人夫婦の友人もいるが、彼らもイスラム教徒だし現在のインドはほぼイスラム教になってしまったが、それでもなお仏教の聖地であるし、ダライ・ラマが中国政府に拉致されるのを防ぐためにインドに居るわけだが、実際我々が知っているイスラム教弾圧の「あのウイグルより」もチベット侵攻は凄まじいものだった。昭和世代としては僧侶たちの焼身自殺がニュースになったのを見たことと思う。が、実際は焼身自殺したい、その方がどれだけマシか_という中国政府による仏教徒120万人大虐殺がおこなわれたこと。チベットで助かった残りはたった7万人、95%の人間が中国軍に殺された。どの口が「大虐殺」とかほざいてんだ、と言うのはまだまだ早い。

現在、軍が完全制圧しているミャンマーも、言うまでも無く昔から中国政府が管理しているからに他ならない。ロヒンギャ難民というのは実際には中国政府の指示によって軍が起こしていること。ロヒンギャ=イスラム教徒(ウイグルに同じ)だが、これを「仏教徒(本当はヒンドゥー教徒)がイスラム教徒を攻撃している」という口実に「バングラデシュから逃げて来たらどっちも潰せ」だ。昭和世代ならミャンマーというより「同じことが起きてたカンボジア」だろう。ポル・ポト率いるクメール・ルージュという名の方が聞き慣れていてそれこそデジャヴ「繰り返しだ」と感じるはず。ポル・ポト派こそ中国政府の治安部隊だった。カンボジアは人口780万人いたが、そのうち300万人近くを虐殺した。中国人もイスラム教徒も仏教徒も区別無く、また弾薬がもったいないからと虐殺のうち6割は「つるはし」で刺殺された。

キリングフィールド
1984年の 映画 「キリングフィールド」 は実話。どこまでも見渡す限りの遺体の大河。
これがポル・ポトによる_300万人大虐殺。


言葉にするのも辛いほど_いつも書いているように中国政府ほど大虐殺を繰り返し続けている国家はない。プーチンやISISさえ軽く霞んでしまうほどだ。また同様に「すべての宗教」を敵視していること。次の大虐殺はスリランカかベトナムかアフリカ諸国か、中国政府からカネを積まれている国で大虐殺が起こるのは必至、確実な預言が出来る。というわけでそろそろ仏教に戻ろう。チベットで人口の95%が中国軍に殺されたのはなぜか。もちろん中国政府による地勢的支配と言論統制なのだが、チベット側がまったく統一されておらず仏教宗派ごとに対立していたためだ。それをダライ・ラマが何とかしようと頑張っているものの…ダメなんだな、これが。そのダメなところこそ仏教、密教の歴史でもある。その根深い部分は密教僧にでも聞いてください、ニンマーの説いたポン経から続く長いお話しと闘争の歴史をね。

イスラム教から他に宗旨替えすることは無いと思うけど、カトリックの場合には宗旨替えは頻繁に起こるだろう。ただね、プロテスタントに移籍するのは普通だがイスラム教に変える場合は動機は様々だろう。問題は仏教に目覚めた西欧人… 彼らの思考に日本式の修行は通用しないということ。「まず廊下の雑巾がけをしなさい」「No,それは私の仕事ではない。私の目指すものではない」ってこと。双方に基本的な同意、擦り合わせがまず必要そうだ。


捨てられねぇ

捨てたいけど捨てられないもの、色々ある。
日本政府。僕に捨てる権利も入れ替えるチカラも無いから捨てられない。ならば日本国籍?
それも無理、国籍を移したくても相手が受け入れてくれない。社会保険も捨てたいけど捨てられないし、社会保険をやめられないから会社も捨てられない。出来ることなら財布もスマホも捨てたい、何も持ちたくない。言い出したらキリが無い、名前さえもいらないかもしれない。
それなのに自分の持つ実際の物質すべてに価値があると感じてる。すべての人に同じ価値観があるわけではないので一概には言えないが、骨董品や集めた御朱印、父や祖父の戦争遺物とか。
で? 僕には一族の名を継ぐ息子が居ない。今のところ…あと数年で僕の着物や荷物すべてはオークションにでも並ぶことだろう。

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