浄財 | スパチーの独り言

スパチーの独り言

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独り言で恐縮です
神社仏閣を「好き」になって欲しい
でも依存と鵜呑みはダメ
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令和 3年 11月 18日 木曜日、晴れ時々曇り。


床下作業は今日はやめて、他の修理補修。 買ってきたコーキングを床下で2本も使ってしまった。 元々、屋外で使おうとして白とペイントできるシリコンを買ったのに床下で使ってしまい、寒くなる前に、雨が降る前に外を確認。 今まで雨漏れなんてなかったし、そんな補修の必要な兆候も無かったのだが、先日の台風以上の豪雨で…音がした。

どこを見回しても雨漏れするような場所が見付からない。 そんな時は 「他人のフリ見て我がフリ直せ」 である。 周辺の古そうなお宅を見てみるとエアコンの引き込み口に穴が開いてる。 これは多くの家で見付かった。 室外機から室内への引き込みには、固まらない粘土が使われるけれど、これが劣化して硬くなりひび割れる。 早速家へ帰って確認、確かに2階の引き込みに隙間が開いていた。 片方は粘土が柔らかかったので塞ぎ直し、もう片方は完全に作り直し(笑) というか12畳のリビングに2台のエアコンが付いていた、今は使ってない穴がちゃんと塞がってないらしい。 おそらく問題点はここだと信じ、コーキングと部材で作り直した。 やれやれ、窓から落ちずに済んでよかった。 そして雨戸の補修。 塩害が酷いのでね、錆びを落としてコーキング。



さて。

昨日は 「見返り要求」 を書きましたが。
神社仏閣でお賽銭を入れるのも…神サマへの見返り要求ですよね。 「自分○〇できますように」 なんて他人を蹴落とす呪いを神や仏に唱えてる人が多いとは思いますが(笑) まぁ神社ならいいでしょう、この際。 正しい神サマはあんまりいないし、欲望に寛容だからね。 でもお寺は宗派に依っちゃ逆効果かもしれませんよ。

寺社どっちにもほとんど賽銭箱がある。 そもそもは豊作を感謝しお米を供えたこと。 今ほど誰もがお金を自由に使える前は、当然ながらおコメや野菜など収穫されたものを感謝として訪れた人が置いて行った。 だから今でもお酒だけは供える人が多いですよね。 僕の父が戦後すぐのこと、祖父の葬式をおこなった際の香典?一覧を保管してた。 ずっと新宿に住んでいたので東京市牛込区。 その香典の内容ですが、誰もおカネを持って来て無い。 多いのはお米、一升瓶や布袋に入れたもの。 あとは塩や醤油、酒とか。 えっと、今から60年ちょっと前の新宿のこと。

賽銭、おカネを供える文化は確かに500年前からある。 限られた金持ちというより流通量から考えても多くはなかったろう。 でお金を供える考えは賽銭箱ではなく浄罪箱だったんじゃないかな。 寺社仏閣によっては 「賽銭お断り」 「お金を置かないでください」 というのも少なくないが、「水琴窟」 を見た、聞いたことはないだろうか。 水滴で鳴るのもあるけれど、賽銭で鳴るものもある。 とある真言宗のお寺_といっても想像するような寺ではない。 都心ではビルになった寺も多いからね。 そこで聞いた水琴窟に聞き惚れて…何十枚お金を入れたことか(爆) ま、言ってみればこれが浄罪箱の考え方で、鈴、錫杖、ドラ、鐘のように、音で罪を祓う儀式として音が出るように賽銭箱もある、という考え。 そう信じたい、が。

神社本庁に聞いても 「アマテラス…」 と白々しい話ししか無いが、供えるという儀式は古代エジプトのミイラ文化まで遡る。 死者に供え物をするのも神仏に供えるのも、どちらも呪術から始まったもの。 共通点は 「人身御供」 になるだろう。 ヤマタノオロチで人を差し出し、日本武尊の進軍のために弟橘媛が身を投げる。 日本の古代神々は 「女子供の命を差し出せば手を貸してやろう」 という悪しき龍神の話しばかりです。 諏訪大社の御柱も聖書に出て来る生贄が由来のはずだし、卑弥呼が死んだときも…100人が一緒に殺され埋められた。 それが神へのお供え。

お賽銭

手を合わせる、天に向かって祈る、それらも呪術。

p.s.
文章がだいぶ消えてる… おかしいな、この下があったのに、アップしたのを今見て気付いた。 今さら書き直すのも面倒なので今日はこれで。
賽銭箱じゃなくて 「浄財」 とか色々種類もありますよね。 お寺の場合は 「お布施」 にあたります。
でも…浄財といわれるとね、マネーロンダリングか?と思ってしまうのは日本だからでしょうか?(笑)


またねー^)」