「ありがとう、最上君。…助けてくれて」

水鏡の言葉にただ笑顔だけを返して、最上は遠くの空に、もう一度だけ、これまでの自分の人生を思い出して描いてみる。

魅力の無い家庭。当然のように情けない父と同様の醜い母。まとまらない中学のサッカー部…。

次から次へ浮かんでは消える自分の十六年。その終わりにあの、デパートの屋上で見た儚いグラデーションの風景が現れて、最上の追憶はそこで留まった。

「最上君、今、何考えてる?」

 同じ空を眺めていた水鏡が、耳元で囁くのが分かった。だが、最上が答えを探す前に、水鏡が最上の右袖を引きながら、向き直らせる。

「分かっちゃうんだなー、これが…」

「やれやれ朝っぱらから……」七海がチラリと眼を向けた後、静かに笑いながら再び視線を空へ帰す。

「わぁー…」少しソワソワした藤堂はときめいたような表情で、極大に嬉しそうだった。

「正室の面子丸潰れだわ…」溜息混じりの桜木が気になる事を言う。「貴方達、二限目が始まる前に戻りなさいよ? いいわね?」

 桜木は念を押すと直ちに翻った。歩き始めた直後、少し驚いた七海の質問に遭う。

「一限は!?」何言ってんだよ! そんな口調だった。

「自習よ」穏やかな口調でそう言った桜木のヒールが綺麗な音を立てて遠ざかって行く。

「自習って…あ。…英文法…」七海は思い当たったように言うと、フッと笑って後を追うように翻った。

「大変だねーあんたも…。ここでの生活、あんたが一番きつくないか?」七海の声も遠ざかっていった。

残された最上と水鏡は、青空の下、いつか二人に流れて行った時間を今一度取り戻そうとしていた。

 春の風が二人を取り巻いて、駅構内へ吹き抜けて行く中、無邪気な藤堂だけが、その姿を最後まで見届けていた。

謀略のエデン(序章) 終