水鏡はとうとう笑顔を壊した。未だに何かを許せずにいるような表情だった。弟を救えなかった自分に対する恨み、そして悔しさの混じった、そんな表情で、しかし彼女はそれでも、涙をこぼす事は無かった。

「これからは、自分の人生における弟の死を、どう認識して生きていくのかを考えるべきだろう。君はどうありたい? スイミングスクール行ってるんじゃなかったのか?」

 月並みだが、高一の最上に言える事など所詮限られていた。

「…でもさぁ…私が泳げたら、助かったもの…」

 水鏡は今にも溢れそうな光を目に浮かべながら、それをこぼす事は無かった。

「心に闇を持って、生きてるな。水鏡も」

「そうだよ? 最上君なら、この痛み、分かってくれると思ってた。私のように、心に闇を持ってる…。暗いもの…。」

 震える声を押し殺して彼女はそこで深く息を吸い込んだ。それを静かに吐くと、彼女は続けた。

「だけど、そうなんだよねぇ…最上君って…強いんだよ!…こうやってさ、お互い、傷を舐め合うの、嫌い…なんだよ…ね?」

 最上は黙ったまま頷いて見せた。

 意外だった。水鏡は唯一、最上だけは自分の心を理解し、暗い人間を受け入れてくれると考えていた。そしてその心の拠り所たる最上の心に、手が届かぬ事を恐れていたのである。

 心に闇を持つ者の恐怖は、在りのままの自分を頭から否定される事だ。自分を形成する要の全否定。自分の全てをまるごと否定されているのに等しい。これを避ける為に人は偽りの仮面を被るのだ。笑顔で人に近づき他人に受け入れられる事を願っているのである。

だが、そうして受け入れられたものの中には真の自分、その要となるものは無い。他人の輪の中にいる事で、自分を受け入れてもらっているのだと思ってはいるものの、賢い人間ほど、実はそうでは無いのだと知っているのだ。自分は他人と過ごしているこの今ですらも孤独であるのだと…。

「頑張るよ…頑張るけど私…私そんなに強くない!…たまには…傷、舐めて欲しいんだ……」

 最上は歩み寄った。

「…分かったよ水鏡…。俺が舐めてやる。だからもっと自分を許してやるんだ。いいな」

 その言葉を聞いた水鏡は、最上の胸に飛び込んできた。そして顔を上げると、その眼を合わせて逃がさなかった。最上は吸い込まれるように、その唇を彼女のそれに重ねた。微かな水鏡の香りが、最上の心を震わせるようだった。