マカロニコンバットとは?

 1960年代に、「荒野の用心棒」に代表されるイタリア製西部劇-通称マカロニウエスタンが一世を風靡しました。それらの作品は、派手なアクションやどぎついまでの残酷描写をウリに、瞬く間に世界中を席巻していきました。

 そしてその波は戦争映画にも影響を与えます。もともとスケールではハリウッド製の戦争映画にはかなわない。それならとばかりに、ジャンジャンバリバリど派手に撃ちまくる、娯楽を重視した作品が生まれました。また雨後のタケノコの如く粗製濫造された結果、まれにみる珍作・怪作も生まれ、それらはいつしか「マカロニ・コンバット」と称せられ、一部のファンに親しまれるようになりました。

 

マカロニコンバットの傾向

 もともと、イタリア映画界といえば、バッタものの本場。「ジョーズ」がヒットすれば「テンタクルズ」を、「エクソシスト」がヒットすれば「デアボリカ」といったように、低予算で即席的に作ってしまうのが得意なお国柄です。

 当然ながらマカロニコンバットにおいても、予算をふんだんにかけたであろう作品はほとんど見られません。従って、低予算という前提に立った場合、まず内容的には必然的に「特殊部隊」による「秘密作戦」ものに集約され、脚本は単純、時代考証なんか二の次、ってな感じでバッタものの香りがプンプン漂う大雑把な作りとなる傾向にあります。

 

マカロニコンバット作品群

 マカロニコンバットで有名なのは、何といっても「戦場のガンマン」、「地獄の戦場コマンドス」の両作品です。両作品とも、特殊部隊の潜入、そしてラストの派手な銃撃戦と、正にマカロニコンバットの魅力を凝縮した作品です。

 ちなみに、個人的に好きなマカロニコンバット映画は「ドイツ奇襲作戦」です。特殊部隊の真の目的がなかなか明かされないなど、マカロニコンバットには珍しく、脚本に凝った作品でした。その他にも色々な作品がありますが、果たして「マカロニコンバット」が何本くらい製作られたのかは定かではありません。しかも、意外なことに本国のイタリアでは人気がないのか、あまりソフト化されていないのが現状です。

 

マカロニコンバットのテレビ放送

 マカロニコンバットを大量に放送したのは東京12チャンネル(現テレビ東京)です。戦争映画ファンのバイブルともいうべき「戦争映画大カタログ」には、「イタリアに買い付けに行った際、まとめていくらで無理やり買わされた」旨の記述があります。マカロニコンバットの放送履歴についてはまだ調査途中ですが、昭和49年から急激に放送が増えているようです。

 

マカロニコンバット・東京12チャンネル放送履歴(随時更新予定)

昭和47年7月27日「死の戦線ノルマンディ」(木曜洋画劇場)

昭和48年6月21日「栄光の戦場」(木曜洋画劇場)

昭和48年10月3日「北アフリカ戦線」(名画劇場)

昭和48年11月22日「地獄のノルマンディ」(木曜洋画劇場)

昭和48年11月28日「死の戦線ノルマンディ」(名画劇場)

昭和49年2月20日「壮烈ドイツ戦車隊」(名画劇場)

昭和49年2月21日「敵中降下作戦」(木曜洋画劇場)

昭和49年4月9日「ドイツ陸上部隊せん滅せり」(火曜名画劇場)

昭和49年5月2日「ロンメル戦車軍団の最後」(木曜洋画劇場)

昭和49年6月27日「北アフリカ特攻作戦」(木曜洋画劇場)

昭和49年8月29日「ドイツ戦車軍団撃滅作戦」(木曜洋画劇場)

昭和49年10月17日「栄光の北アフリカ戦線」(木曜洋画劇場)

昭和49年11月5日「ノルマンディ決死隊」(火曜名画劇場)

昭和49年11月14日「砂漠の激戦」(木曜洋画劇場)

昭和50年1月21日「壮絶!潜行決死隊」(火曜名画劇場)

昭和50年3月13日「ドイツ奇襲作戦」(木曜洋画劇場)

昭和50年4月29日「地獄のノルマンディ」(火曜映画劇場)

昭和50年6月5日「戦場の勇者たち」(木曜洋画劇場)

昭和51年7月1日「ロンメル戦車軍団の最後」(火曜名画劇場)

昭和50年8月12日「帰らざる戦場・ナチ占領軍に総反撃せよ」(火曜名画劇場)

昭和50年10月14日「北アフリカ特攻作戦」(火曜名画劇場)

昭和50年12月2日「最前線・帰らざる決死隊」(火曜名画劇場)