昨日・今日の朝刊に、大学入試センターの問題が掲載されていました。
ちょっと冷やかしで覗いてみましたが・・・見事にチンプンカンプン。
30年以上前は、自分もこんな難しい問題を解いていたんだなァ~・・・と、妙な感慨にふけってしまった私。
もっとも、それよりショックだったのは・・・文字が小さくてよく読めない!
ホント、歳は取りたくないです。
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閑話休題。
今を去ること353年前の今日、1657(明暦3)年1月18日・・・その名も
『明暦の大火』
と呼ばれ、ロンドン・ローマと並ぶ 「世界三大火」 の一つとまで言われている大火災が発生しました。
この火事による死者数は10万人以上ともいわれ、東京大空襲や関東大震災を除けば日本史上最悪。
2時間に渡って江戸城の外堀内を殆ど焼き尽くし、江戸城天守閣をも全焼。
それ以来復元されることなく現在に至っています。
さて、この火事・・・別名〝振袖火事〟とも言われているのですが、それはこんな 「怪談」 があるからなのです。
麻布で質屋を営む遠州屋彦右エ門が娘・梅野が母と上野を散策中、そこで出会った美男子の寺小姓に一目惚れ。
探しても見つからぬ彼を寝ても覚めても忘れられない梅野は恋煩い、遂には食事も喉を通らぬ有り様・・・不憫に思った父・十右衛門はせめてもと、その小姓が着ていた着物と同じ荒磯と菊の模様と、桔梗の縫紋を入れた振袖を拵えて娘に与えます。
しかし彼女の体調は快方に向かわず・・・明暦元年1月16日に、梅野は17歳の若さで他界。
野辺送りで棺にかけられたその振袖は、葬儀後に当時のしきたりに従って古着屋に売り払われます。
古着屋でこの振袖を見て気に入ったのが、上野山下の紙商・大松屋又蔵が娘・きの。 彼女が親にせがんで買ってもらったものの、何故かそれから彼女は病に伏せってしまい、翌年の同日にやはり17歳で他界。
更に日本橋元町粕屋喜ェ門が娘・いくもこの振袖を手に入れた後、同じ日に17歳で死亡。
三たび同じ着物が棺にかけられて戻ってきたのを見た菩提寺・本妙寺の住職は恐ろしくなり、それぞれの娘親に相談の上、1月18日に大施餓鬼を施してその振袖を火に投じたところ・・・折からの強風に燃えたまま吹き上げられて軒先に燃え移った本堂は全焼。
その火が風に乗って飛び、やがて江戸の街を火の海にした・・・。
何とも怨念めいたこの話には少々ゾクッとさせられますが、残念ながら(?)後世の作り話・俗説とされています。
実はこの大火・・・本当の火元は本妙寺ではなく、その隣にあった当時の老中・阿部忠秋の屋敷であり、それを幕府の威信にかかわるとして隠匿するために身代わりとなった、あるいは当時の幕府が江戸市中の区画整理を推進するために、わざわざ空っ風が強かった日に複数個所で放火したという説があるのです。
当時火事が多かった江戸では、火元は厳罰に処せられていたにもかかわらず、本妙寺には一切のお咎めがなかったことがその根拠とか。
すると〝振袖伝説〟は、お上の陰謀をカモフラージュするために流布された?
いずれにせよ、行政トップの思惑に庶民が犠牲になったことに変わりなし・・・今も昔も、変わらないようです。