牛に引かれて | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

5月末に、7年ぶりの御開帳を終えた信州・善光寺


期間中に参詣されたブロガーさん、何人もいらっしゃったようですネ。


私の実家は、この善光寺の除夜の鐘が辛うじて聞こえる場所にあり、高校時代は週に1,2度は自転車で境内を走り回っていました。


しかし御開帳の間は猛烈な人混みを嫌って敢えて行かなかったため、地元民なのに今まで一度もあの 「回向柱」 に触ったことがありません。ダメだぁ顔 ナサケナイ・・・


『善光寺縁起』 によると、御本尊である一光三尊阿弥陀如来は、552(欽明天皇13)年に百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれており、推古天皇の命により本田善光が飯田市を経由して現在の地に遷座。 彼の名をとって 「善光寺」 と命名されたと伝えられています。


過去十数度にわたる焼失を経て、現在国宝に指定されている本堂が完成したのが、1707(宝永4)年の今日・7月12日だったそうです。


天台宗大勧進・浄土宗大本願の両派によって守られながらも、実質的には無宗派という珍しい寺院である善光寺・・・その本堂の形も独特で、入母屋造りの棟のT字型が、鐘を叩く撞木(しゅもく)に似ていることから 「撞木造り」 と呼ばれています。


(中学生の頃、社会科の先生から 「あれは寺と神社が合体した形なんだ」 って教わった記憶がありますが、果たして本当なのかな?)あせあせ


           ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-善光寺


さて善光寺といえば、「牛に引かれて善光寺参り」 という言葉が有名ですが、それは以下の言い伝えに基づいているようです。


昔々、信濃・小県の里に住む心が貧しい老婆が、ある日軒下に干した布をどこからかやってきた牛の角に引っかけられて、それを追いかけているうちに善光寺の金堂前まで来てしまいました。


日は沈み牛の姿は見えなくなったものの、善光寺の仏様の光明がまるで昼のように老婆を照らし、ふと老婆が足下に垂れていた牛のヨダレを見ると、


うしとのみ おもひはなちそ この道に
              なれをみちびく おのが心を


と読めたとか・・・老婆はこれを見てたちまち菩提心(仏を信じて覚りを求める心)を起こし、その夜一晩善光寺如来様の前で念仏を称えながら夜を明かしたそうな。


布を探す気持ちがなくなった老婆はそのまま家に帰り・・・後日たまたま近くの観音堂にお参りしたところ、あの布がお観音さんの足下に。


「あの時牛に見えたのは、この観音菩薩様の化身であったのだ」 と気づいた老婆は、ますます善光寺の仏様を信じて、めでたく極楽往生を遂げたとか。


だからというわけではないでしょうが、昔から女性の参拝客が多い善光寺・・・ご開帳は終わりましたが、『お戒壇巡り』 といって、真っ暗な本堂下の回廊を歩き錠前に触れることが出来れば、ご本尊と結縁を果たしたことになるそうですから、まだお参りに行かれたことのない方は是非一度!


あっ、そうそう・・・善光寺に向かって右奥方向に数分歩くと、日本画の巨匠・東山魁夷画伯の作品を常設展示している信濃美術館があります。


参拝とワンセットで、是非ご鑑賞ください!笑2



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