発達障害の回想 [ Memories of a man with Developmental disability ] -3ページ目

発達障害の回想 [ Memories of a man with Developmental disability ]

ある発達障害者の経験を記録するためのブログです。
散文で記載していくので、順番通りではなく、エピソードを連ねる形式になります。
私は最近の検査の結果、発達障害と診断されました。それまで20年ほどは他の精神疾患の診断を受けていた経緯があります。

 高校生という15〜18歳の年頃は、発達段階や交友関係による情報の格差が最も激しくなる年代であることはあまり注目されていない。専門家の間や、発達障害に苦しむ当事者にとっては痛く感じ入る部分であるのに、一般からは軽視されてしまうことは大いなる不幸だとしか言いようがない。理解されない故の苦しみが最初に始まるのはこの高校時代だったと述懐する当事者は多いことだろう。

 ここでは、中学から高校に入学して人生のつまづきを実感する私を振り返ってみたい。

 

 すべての元凶を明らかにすることは不可能なことだと知っている。だが私の恨みはどうしても高校時代に向けられてしまう。割合にしてみればほぼ50%くらいと見積もっても誇張ではない。たった3年間が数十年の人生を半分の割合で狂わせてしまうと考えれば、これほど恐ろしいことはない。

 単なる私も思い込みだけではない。確かに高校時代だけに人生の苦しみが集約されるわけがないことは、道理では理解している。しかし厄介なことに「恨み」という性質を含んでしまっている。恨みは道理だけでは納得されず、非論理的、非科学的に信奉されてしまう。

 心のどこかで常に高校時代のせいで自分の苦しみが始まったのだと思い込み続けることをやめられないでいる。なぜこの恨みを消去できないのか。分析することは容易ではない。

 

 私は意外にも中学時代はすこぶる優等生であり、それを誇りに思っていた。テストの成績も上位レベルで部活動のスポーツでも中学校のエース級であった。学年一小さい身体でありながら、瞬発力は目を見張るものがあり、思い切りが良かった。自信に満ちていた自分を思い出すことができる。

 のちに大学の臨床心理学の教授から教わったことだが、人生において自分自身が最も輝いていたと述懐できる時期のことを「ゴールデンタイム」と呼ぶそうだ。私にとってのゴールデンタイムは間違いなく中学時代であった。このゴールデンタイムが見事に打ち砕かれて終焉を迎えるのが高校への入学だったのだと定義できる。ゴールデンタイムの反対語は「Darkest Era」ダーケスト・エラとでもなるだろうか。人生の帰路における大暗転は高校に入学してすぐに現れた。

 

 私の入学した高校はいわゆる「進学校」と呼ばれる学校になる。公立高校だから学区は定められていたが、その学区内で大学進学を目指す子どもが入学してくる学校である。よって、全ての生徒の目標は大学へ進学することにあった。いや正しくは「生徒本人がどう考えているかはわからないが、全ての生徒が大学入学を目指すことになっている」というのが進学校の定義になる。つまりここで悲劇を被るのは、それとは知らずに進学校へ入学してきた子どものことだろう。「子ども」ということは実に重要なことで、発達段階に大きな差があることを忘れてはならない。「すべての子どもが等しく、中学を卒業することになれば将来の希望や目標を明確に抱くことができるまでに発達する」という認識は誤りだからである。

 例として私自身は、ちゅ学を卒業する段階で大学というものはまったくその意味を知らなかった。高校を卒業してから入学できるところだという知識もなかった。大学という単語の意味を辛うじて知っていたくらいで、そこに入学するだとか、それ以外に就職するという道があるとかも一切知らなかった。完全なる情報弱者でしかなかった。だがそういう子どもも存在することを忘れてはならない。優秀な中学生であっても発達段階としてはそこまで届いていないという例が私自身なのである。

 書籍を精読して登場人物に自分を重ね合わせていても、解決にはつながらないことには、しばらくすれば否応なしに気付いてくる。だがたとえ気付いていたとしても、今日その時を耐え抜き、生き抜くためには自分を慰めることを止めることはできない。生きようとする気力だけは最低限に保っておかなければ、本当に死んでしまい、すべてが終了することになる。すべてを終わらせるほどの勇気は私は持ち合わせていない。それは痛いくらいに自覚していた。その痛さは尋常ではなく、耳に聞こえてくる音のすべてが一瞬でかき消されて単なる耳鳴りのように響き始めるほどの恐怖に襲われる。この感覚はあまり共感してもらえないことにはあとで気付いたが、私独特の感覚のようなので記録しておきたい。

 

 ひとつだけ安心していたこともある。それは青年期の危機を乗り越えれば危苦難は過ぎ去っていくことへの理解を深めることができたことだった。終わりの見えない苦行や心理的不安ほど人間を強く打ち砕いてしまうものはない。青年期の危機はあくまで青年期のものであると知ることは、いつの日か晴れ渡る朝を迎えることができるのだと、私の気力を勇気づけてくれた。忍耐力も士気も闘志も高まっていった。

 

 このような効能は効き目抜群でもあった。本を読んで登場人物と自分をなぞらえながら。自らを慰め、癒すことをとめどなく求めるようになった。この状態を「書物依存症」と私は名付けている。病気の一種のような呼び名にしたのも、病気としての性質を帯びていることへの警鐘となっている。加えて、少々の嘲笑も交えた呼び方にもしている。

 依存症の恐ろしいところは自分自身ではコントロールができない点にある。アルコール依存症の患者にいくらアルコールの怖さや控えるようにとの指示を出しても無意味なことであることは、今では広く知られている。いくら知識として身につけていても、コントロールできない。脳の機能そのものがそのような作り替えられてしまっているのだから、脳からの指令によって制御するのは、部下のいない司令官が軍を動かすことに等しい。司令官の指示は届くことなく、敵に筒抜けになって反撃される結果にしかならない。

 

 書物依存症は大学時代を通じてエスカレートしていき、急速に悪化の一途をたどった。私はより大きな書店を求めてさまようようになった。けっこう大学生にしては遠距離まで通うこともしていた。大きな書店ではとても一日で見て回ることができず、腰が痛くなって歩けなくなるまで、本を探すという行為を繰り返した。もとも自分を癒してくれそうな本との出会いを求め続けるようになった。

 そうして出会うことのできた書籍には、隠れた名著も多く、すばらしい本が多かった。時間と労力を傾けて見出しただけのことはある。

 しかしある理由から、大学時代に手に入れた優れた書籍群は、現在では失われてしまった。実に残念に思っている。私の生涯のうちでも最大級の後悔として数えられるだろう。そのすばらしい書籍を具体的に紹介できないことは無念の極みである。ただ私の思い出と残された知識の中で生き続けるのみとなってしまった。

 紹介されているクライアントの事例と重ね合わせるという行為は、自分の心理状態を学術理論として知ることにはつながっていく。現実に私の心理学についての知識は急上昇した。しかしながら本来の目的となっているはずの、青年期の危機を克服するという課題については遠ざかるばかりの結果を生んでしまった。うっすらとは気づき始めていたが、他に良い方法を思いつかなかったため、気づいていないふりをして自らを誤魔化していた。

 なぜ解決から遠ざかってしまうのだろうか。それはやはり私が「ひとりぼっち」だったからにほかならない。「ひとりぼっち」を定義するならば、「自分以外に頼るべき人がいない、あるいは自分以外に守るべき人がいない」に集約される。この状態は物理的にも心理的にも不安定で非常に危険な状態となる。だからこそ私も克服に向けて必死になっていたはずなのだ。だがその意に反して、ひとりぼっちが続いていく。

 臨床心理学のテキストに戻ってみると、どの事例を読んでもどのような解釈の方法を試みても、有効な対処法として解説されていることは一定である。定説とか通説とか呼ばれている。セラピストとクライアント、家族や学校・職場での人々との関わり合いに関係して心理状態の出現や消失が述べられていた。簡単にいえば、人間関係のありようから心理状態が作られていくという理論となる。

 こうした著述には絶望しか感じることができなかった。脳が煮え返るような、血液が逆流するような感覚を覚えた。私は自分が本当に無力であることを悟るような出来事に遭遇した時にこのような感覚に襲われる。この臨床進学のテキストによれば、ひとりぼっちで解決できるほど、臨床心理学上の課題は甘いものではないことを淡々と説明していた。しかも理解しやすい形に工夫された形で。