父は中学の時おじさんに引き取られた。 昔は子供が多かった家では、子供のいない親戚に養子として出すことはよくあったのだ。しかし、思春期の不安定な少年の心は複雑な思いだったに違いない。


引き取られた家は地元でも有名な料亭だった。しかし父は「水商売なんてやりたくない」と後を継ぐことを嫌った。自分は公務員になるんだと、必死に勉強した。何かに打ち込んでいなければいられなかったというのが本音だった。


まもなく養母が亡くなった。そして後に後妻が入り父の面倒をみた。そして養父も45歳の若さで亡くなった。 まだ高校生、血のつながりのない家族が残された。


実の親はすぐそばに住んでいた。しかし、父は自分は捨てられたとずっと恨んでいたので、実家へ帰るという選択は脳裏になかった。


残された料亭は取り壊されたが、蔵だけは残した。父はやはり後を継ぐことは無かった。公務員になり自立した生活をした。


やがて結婚し親になった。子育てをしながら思うこと、それはやはり、なぜこんな可愛い我が子を人手に渡せるだろうということ。そして、自分を決してお父さんと呼ず、後も継がず、反抗ばかりしていた養子に対し、さぞ養父はゆるせなかっただろうという思いだった。


父が定年を迎え、蔵の整理をしていると、ホコリまみれの金庫が出てきた。扉は硬く閉ざされてダイヤルのナンバーなんて知る由もない。でも、使いようがない金庫を父は持ち帰った。



それから月日が過ぎたある日、父は何気にダイヤルを回した。すると偶然50年以上のタイムカプセルの扉が開いたのだ。昔の札束でも入っているのか?っと思って中をのぞくと、そこには数枚の通知表が入っていた。父を養子として迎えた養父は、成績のよかった父が誇りだった。「中学と高校の通知表」それが養父の宝だったのだ。


遅すぎる気づきだったが、養父の気持ちは50年経って伝えられた。


タイムカプセルが「愛」を届けた日、それは養父の50回忌だった。



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