行く旅便り 第3便
台風、ゲリラ豪雨等、皆様大丈夫でしょうか??
ネットだけの情報なので詳しい事はわかりませんが、無事を祈るばかりです。
そして、僕。
まだ旅してます。
第2便でパクセまで行った所まで便りを出しましたが、そこから僕はシーパンドンへと向かいました。
メコン川の川幅がラオスとカンボジアの間で最大14キロにもなります。
その間に「4000の島々」がある。それがシーパンドンという意味らしいです。
パクセからまずトゥクトゥクでバスターミナルへ。そこからバスでバン・ナカサンという町へ。それからボートに乗って目的であるシーパンドンのデッド島へと向かいます。
まずバンナカサンまでのバス。
バスじゃないです。ソンテオでした。
間にはすごい荷物。
人も荷物もドンドン増えます。
ギュウギュウ詰めのソンテオで三時間ちょっと。
お尻は痛いですが、やはり路線バスといいいますか、人が途中で降りたり、乗ってきたり、というのはそれだけでドラマがあります。見てて飽きません。
実はこのルート。
ツアー会社に頼むと50000キップで行けます。
でも、自力で行くと100000キップかかります。
倍です。
やはり、おもしろいもののほ方が金がかかる。
こちらを選んでよかったです。
シーパンドンに着き宿へ。
部屋にはすべてハンモックが吊されてます。これで一泊30000キップ(約450円)です。
が、しかしシーパンドンへ着いてから僕の心がモヤモヤし始めました。
翌日このモヤモヤを消すためにひたすら島中を歩くことに。
歩き続けて6時間。
モヤモヤが消えるどころか道に迷い、途中で雨は降ってくるは、翌日足が痛くて歩けなくなるわ。
モヤモヤは消えません。
翌日、最大4日~5日滞在しようと考えていたシーパンドンを2日で去ることに。
再びバスでパクセへ。
しかし、流れていく風景の中に、僕のモヤモヤを消してくれる答えがあった様に思います。
そしてパクセへ着いてあるものを買いに。
下からサロンパス(足痛対策)
ラオスで買ったダニ、蚊(でも最初のキッカケはでっかいアリに喰われ腫れてきた事)。
そして日本から持ってきたあせも対策。
もう。塗りたぐってます。
足をかばいながら、パクセからラオスを抜けベトナムへと入ることに。
初のスリーピングバス。
そしてインターナショナルバスですから、きっとバスの中は欧米人中心のツーリストたちで溢れるだろうと…思っていたら全て現地人。
ラオス、もしくはベトナムの方。
どうやら僕は華やかな欧米人ツーリストたちと一緒になることはない様です。
そして走り出して一時間。
バスがなんでもない道で止まりまして。
外へかけだしていく人々。
後をついていくと…
おしっこタイム。
女性も草むらへとダッシュで。
ふふふ。この感じ嫌いじゃないぞ。
なんて思いながらバスに揺られ、寝転びながら窓から見える風景を見ておりましたら…なんか冷たい。
脇腹の辺りが…
水がドバドバもれておりました。
もうビショビショです。
(この後、なんとか脇腹をよけて寝転んでいたら、上から水漏れがしてきて顔を直撃しました)
その後、無事にラオス出国。そしてベトナム入国。
そしてバスを待っていると「日本人の方ですか?」と声をかけてください方が。
この方、ベトナムのダラットという町の国立大学で日本語教師をしている女性の方。
色んな話をさせて頂いて。
バスは別々ですが行き先は同じフエという町。
じゃあ、フエのバスターミナルで待ち合わせて食事でもしましょう。
ってな話に。
しかし僕のバスはフエよりも先にある町「ダナン」行き。
バスターミナルには寄ってもらえず、その辺の路上で降ろされてしまう。
土地勘もわからぬままウロウロし、声をかけてきたバイクタクシーにバスターミナルまで連れて行ってもらうもそこに彼女はいない。
それでも30分待ち、その後バスターミナルの人間に聞いて違うバスターミナルに向かおうとするも「そのバスターミナルに行ってももうバスはない」と言われ、それでも連れてってくれと言っても断られ。
諦めて宿を探そうと歩き出すも、諦めきれず。
あと30分だけ待とう…
結局、彼女には会えなかった。
別に彼女に恋をした訳ではない。
ただ、僕は日本語を話すという事にものすごく飢えていた。
孤独を紛らわせたかったのだ。
でも、話せなかった。
しかし、これも旅なのかもしれない。
そしてフエでバスを降り、荷物を受けとった時に感じた違和感を確かめる事に。
やはり。バッグが泥だらけ。
中の衣類、全てビショビショ。
チャックというチャックに泥が詰まり、まともに開かない。
しかし、これも旅なのかもしれない。
これは、国境を越える時、荷物チェックの為、トランクにある荷物をすべて外に出すのだが…その日は大雨。泥だらけのところにバッグをポーンと放り投げたのだろう。
僕のバッグパックは使い始めて三週間で短い命を終えました。
世話になったね。ありがとう。
そして翌日、部屋でベトナム女性5人に囲まれハーレム状態になるという奇跡が起こるのだが、それはまたの機会に。
では。
おまけ。
18000K(バゲット・まずい)
それがコチラ。
写真でもマズそうだ。
ネットだけの情報なので詳しい事はわかりませんが、無事を祈るばかりです。
そして、僕。
まだ旅してます。
第2便でパクセまで行った所まで便りを出しましたが、そこから僕はシーパンドンへと向かいました。
メコン川の川幅がラオスとカンボジアの間で最大14キロにもなります。
その間に「4000の島々」がある。それがシーパンドンという意味らしいです。
パクセからまずトゥクトゥクでバスターミナルへ。そこからバスでバン・ナカサンという町へ。それからボートに乗って目的であるシーパンドンのデッド島へと向かいます。
まずバンナカサンまでのバス。
バスじゃないです。ソンテオでした。
間にはすごい荷物。
人も荷物もドンドン増えます。
ギュウギュウ詰めのソンテオで三時間ちょっと。
お尻は痛いですが、やはり路線バスといいいますか、人が途中で降りたり、乗ってきたり、というのはそれだけでドラマがあります。見てて飽きません。
実はこのルート。
ツアー会社に頼むと50000キップで行けます。
でも、自力で行くと100000キップかかります。
倍です。
やはり、おもしろいもののほ方が金がかかる。
こちらを選んでよかったです。
シーパンドンに着き宿へ。
部屋にはすべてハンモックが吊されてます。これで一泊30000キップ(約450円)です。
が、しかしシーパンドンへ着いてから僕の心がモヤモヤし始めました。
翌日このモヤモヤを消すためにひたすら島中を歩くことに。
歩き続けて6時間。
モヤモヤが消えるどころか道に迷い、途中で雨は降ってくるは、翌日足が痛くて歩けなくなるわ。
モヤモヤは消えません。
翌日、最大4日~5日滞在しようと考えていたシーパンドンを2日で去ることに。
再びバスでパクセへ。
しかし、流れていく風景の中に、僕のモヤモヤを消してくれる答えがあった様に思います。
そしてパクセへ着いてあるものを買いに。
下からサロンパス(足痛対策)
ラオスで買ったダニ、蚊(でも最初のキッカケはでっかいアリに喰われ腫れてきた事)。
そして日本から持ってきたあせも対策。
もう。塗りたぐってます。
足をかばいながら、パクセからラオスを抜けベトナムへと入ることに。
初のスリーピングバス。
そしてインターナショナルバスですから、きっとバスの中は欧米人中心のツーリストたちで溢れるだろうと…思っていたら全て現地人。
ラオス、もしくはベトナムの方。
どうやら僕は華やかな欧米人ツーリストたちと一緒になることはない様です。
そして走り出して一時間。
バスがなんでもない道で止まりまして。
外へかけだしていく人々。
後をついていくと…
おしっこタイム。
女性も草むらへとダッシュで。
ふふふ。この感じ嫌いじゃないぞ。
なんて思いながらバスに揺られ、寝転びながら窓から見える風景を見ておりましたら…なんか冷たい。
脇腹の辺りが…
水がドバドバもれておりました。
もうビショビショです。
(この後、なんとか脇腹をよけて寝転んでいたら、上から水漏れがしてきて顔を直撃しました)
その後、無事にラオス出国。そしてベトナム入国。
そしてバスを待っていると「日本人の方ですか?」と声をかけてください方が。
この方、ベトナムのダラットという町の国立大学で日本語教師をしている女性の方。
色んな話をさせて頂いて。
バスは別々ですが行き先は同じフエという町。
じゃあ、フエのバスターミナルで待ち合わせて食事でもしましょう。
ってな話に。
しかし僕のバスはフエよりも先にある町「ダナン」行き。
バスターミナルには寄ってもらえず、その辺の路上で降ろされてしまう。
土地勘もわからぬままウロウロし、声をかけてきたバイクタクシーにバスターミナルまで連れて行ってもらうもそこに彼女はいない。
それでも30分待ち、その後バスターミナルの人間に聞いて違うバスターミナルに向かおうとするも「そのバスターミナルに行ってももうバスはない」と言われ、それでも連れてってくれと言っても断られ。
諦めて宿を探そうと歩き出すも、諦めきれず。
あと30分だけ待とう…
結局、彼女には会えなかった。
別に彼女に恋をした訳ではない。
ただ、僕は日本語を話すという事にものすごく飢えていた。
孤独を紛らわせたかったのだ。
でも、話せなかった。
しかし、これも旅なのかもしれない。
そしてフエでバスを降り、荷物を受けとった時に感じた違和感を確かめる事に。
やはり。バッグが泥だらけ。
中の衣類、全てビショビショ。
チャックというチャックに泥が詰まり、まともに開かない。
しかし、これも旅なのかもしれない。
これは、国境を越える時、荷物チェックの為、トランクにある荷物をすべて外に出すのだが…その日は大雨。泥だらけのところにバッグをポーンと放り投げたのだろう。
僕のバッグパックは使い始めて三週間で短い命を終えました。
世話になったね。ありがとう。
そして翌日、部屋でベトナム女性5人に囲まれハーレム状態になるという奇跡が起こるのだが、それはまたの機会に。
では。
おまけ。
18000K(バゲット・まずい)
それがコチラ。
写真でもマズそうだ。