ゆずポンさんは二つ隣の部屋に住む三十四歳の女性で大きなスーパーでレジ打ちをしている。

 そのへんで会うと変わった老人やクレーマーの話をしてくれたり、たまに僕の作りすぎたあまり美味しくない料理をもらってくれたり、お土産や本をくれたりする。

 歳が近いこともあってか、申し訳なくなるくらい親切にしてもらっている。


 今日も何か渡しに来たようで、ペットボトルくらいの大きさの四角い箱を手に持っていた。

 仕事帰りなのか薄っすらメイクをしていて、いつもの黒縁メガネを外しているのでちょっと可愛いなと思った。

 明るめの茶髪にショートカットで輪郭も「ゆずポン」っていう感じの丸いフォルムだ。


「あ、ヨシヤくん、どっか行ってたの?」


「あ、ちょっと」


「どこ行ってたの?それ、何買ったの?」


 ゆずポンさんは色々聞いてくるから僕は頭がごちゃごちゃする。


「や、ちょっと」


「これ電動歯ブラシなんだけど、使ってみるとすごい良くて。ヨシヤくんの分も買ったから使ってみて、すごい良いから」


「え、いいんですか、こんな良いの、ありがとうございます」


「うんうん、今日にでも使ってみてね」


「わかりました」


 じゃ、と言い残して小さな身体は自分の部屋である104号室へとぴょこぴょこと揺れながら離れていく。

 白いワイシャツと黒いチノパンの下で踏み潰されながらぱこぱこと何か訴えているマスタード色のスニーカーを見ていると思わず僕は声を発していた。


「あの、待ってくださいっ」


 思いがけない呼びかけだったのか、ゆずポンさんの体のあらゆる点がぴくりと数ミリ弾んで止まり、一瞬遅れてその全身がゆっくりとこちらに向けられる。


「え、なに」


 必要以上に警戒しているように感じたが、それはこちらの方がやけに強い口調で呼び止めたからだと反省しながらも他人に好かれるとか嫌われるとか考えることはとうに諦めているので気にしないことにして、僕のサンダルはペタペタ言いながら、後退りするぱこぱこスニーカーに近づいていく。


「あの、お礼があるので、ちょっと待っててもらえますか、すぐに持ってくるので」


「えっ、あぁ、良いのに」


 そんな断りの言葉が耳に入っていないわけでもないが、焦ってもつれる手でなんとか鍵を開ける。


「そこで待っててください、すぐ戻ります」


 切り干し大根だのの入ったビニール袋を玄関に放り投げて早足でリビング兼キッチン兼ベッドルーム兼ワーキングスペースへ向かう。


 どうしよう、ニンジンだらけのしょっぱいカレーなんか迷惑だろうし未開封のものといえば塩があったけどなんかスピリチュアルだし職場近くの家電屋で何故かもらったタオルは使うかな。


 ガサゴソと何かあげれそうなものを漁る。食器棚や調味料箱、なんでも収納ケースとしているいくつかのゴミ袋(断じてゴミではない)、机の下、本などが詰まった押入れ。


 ガチャとドアの開く音がして、

「ヨシヤくーん、大丈夫〜?」

 と声が聞こえてくる。
 

やはり、まともなものといえば「大沼家電」のタオルくらいか。いや、と名案を思いつく。


「今、行きますからッ」

 
 怒鳴るように乱暴に言い、無我夢中で押入れの書籍や洗剤や電気毛布やガラクタの数々を引き摺り出す。


「ちょっとちょっと、何してるの」


 困惑しながら上がってきたゆずポンさんを振り返り、ついに姿を現した一番の大物でもあるエアロバイクの箱を指差した。


「あれ、あげます、まだ使ってません、すごい良いやつです」


 そうだ、大沼家電で一念発起してこのエアロバイクを買った時におまけであの粗品感溢れるザラザラした薄いタオルをもらったのだ。


 エアロバイクを漕ぐという習慣がある日突然降って湧くわけもなく、もちろんそれは物理的にも精神的にも世界の片隅で眠りにつくこととなった。


「いらないよ、そんな大きいの。ヨシヤくん、ちゃんと使いなよ」


 自分が素晴らしいアイデアをひらめいたという時、ほとんどの場合が幻想あるいは勘違いであると言われているが今回も「それ」だったらしい。


「あっそうだ、ちょうどが良いのあります、適当に座っててください」


 玄関に転がされたビニール袋をひっつかんで戻ると、散らかった部屋の小さなローテーブルの奥に正座して待っているゆずポンさんがなんだか変な感じで、しがない日常に「なにか」が発生したような喜びを覚えた。


「これ、今日買ったんですけど」


 袋から犬の形をした瓶を取り出す。