前回更新したテーマの続きです。
「新たな人付き合い」…いかに人間 対 人間が面倒臭い事柄なのか?という、地球上に生きる限り必ず潜らなければならない。それは、皮肉な絶対関門!と言えましょう。
最近のロードショーでも、人間関係に悩む青年をメインにした物語がありますね。誰にでも少しばかりは経験している迷惑な人との付き合い。あれほど酷いのはそんなに無いと思いたいですけど、出来る限り参考になる自説を話すこととします。
それでは。。
けっこうな土地柄を経験し、多くの人達と知り合いになってくると、絶対関わらないといけない人物。それは仕事を教授する人間だと思います。
マニュアルを物語のシナリオとするなら、それを大まかに、そして演者である貴方へ、毎日を最高のパフォーマンスが出来るように演出する役目。とでも言いましょうか。それが、教授する人間であり、世話役の仕事なのだが。。。
教える、って才能なんですよね。
教えられた事がある人なら理解出来るはず。
教える事の難しさ。又、教える事さえせず「ほら、やって」みたいな、残念な職場もけっこうあるはずである。ろくに教えることさえ出来ない者へは、質問すらままならない。もしかすると教える側は、教えようとすることに自信がないのかも知れない。
そこで、教えられる方のスタンスですが、教授する側の力量が満足するレベルで、スゴく納得して新たな仕事が可能になるのは、経験上、稀です。
少しでも自分が良いパフォーマンスをしたいと思うなら、理解していないコトを理解しているように誤解させてはいけません。解らないなら別の人間を捕まえて尋ねる。それがベストちゅうのベストなのですが、何故でしょうか?社会に出ると、『わかりません』というセリフを言うことに抵抗がある人が増えているように思う。
自分が無知であることの恥ずかしさだろうか、ワタクシはそういう下手な見栄を戒めるコトワザがあることを知っています。敢えて文字にはしませんが、興味あれば調べてみるのも良い刺激になるでしょう。
遠回りしましたけど、逆に教える側のパフォーマンスを考えてみます。もしも、教授が男で、教わる側が可愛い女子だったら、そりゃ最高パフォーマンスを発揮しようと頑張るでしょう。例えば真摯で素直な人間になら、喜んで教えてくれるはずです。
もしかすると、貴方は教授する側へ、不快感を与える人間だったりしないでしょうか?よぉく自分の表情、言動が教授する側のパフォーマンスを削いだりしていません?
決して逆パターンのお説教ではございませんよ?
勘違いなさらずに。以前のお話の流れですが、要するに、教わる側が上手(うわて)を取れ!そういうことなのです。「教えさせる」側になる。難しいことのように思うでしょうが、常に貴方が主人公であるべき人生。だとお忘れなく。