□008エリア〔沿岸部地層トンネル〕




じわじわと生死をさ迷う者が辺りに出始めるとトンネル内は騒然となった。首を刺されて血塗れになった女が虫の息で救いを求めている。

自然に周囲の視線が女に集まったのは異様な苦しみ方だったからだ、およそ2分が経過すると女は静かになり呼吸すらしていないようだ。肇は虚ろな眼差しでそれを眺めた。




「…………オジイチャン?」旬は幾度となく肇に声をかけた。


「オジイチャン……イタクナイ?」旬は生まれて初めて見る惨劇に怯えていた。


肇は、何とか応えようとするが、ただ呻き声を発するのがやっとのことだ。


「オジイチャン、きっと助けるからね」実流樹は根拠のない約束をした。その瞬間…エーテル体か放つ独特の波動を感じて見回した。


"オタツさん?"……それはCSX と共鳴する空気の波動だ。


「厄介な感じだねぇ…」いつもの、あの姿で…オタツは現れた。


「オタツさん!」


「あの女…壊れたね」


「え?」


「………洗脳剤は投与されてたらしいね…可哀想に」


「まさか…バイオ…プランターの出生…者?」


「そうだよ危なかったねぇ…ミル」


「どうなっちゃうの?…あのヒト」実流樹は静かになった女を見つめた。


「解体剤が浸透して…神経細胞を組み換わるのに…それなりの時間が必要なはずさ」


「オジイ…チャンは?…ナンデ!ナンデ敵の!ビーストが、このエリアに、」実流樹は興奮して声を荒げる。


「さぁ…どうやってここに持ち込んだのかねぇ」


「オジイチャンはどうなるの?!ここに居る人達は!?」


「方法が無いワケじゃない」そう言ったオタツが肇の背中、刺された箇所に透明な掌を浸透させていく。旬は怯えた表情でBax に寄り添うと、腰に両腕を巻き付けた。


「肇さんに打ち込まれたのは最新式の洗脳剤だよ…」その情報はBaxのAI からの思念情報だった。「…………想ったより進行が早いようだね」


「ね?!教えて、どうなるの?」


「思考回路を乗っ取られちまう」


「オジイチャンでなくなるってこと?」


「神経回路の全てを改造されたら…どこのどいつかも知らないヤツらの……操り人形さ」


「許せない!ゼッタイに!」実流樹が拳を握りしめた時、セキュリティアのシグナルが点滅した。




「救いのカミのお出ましかね」


《ミルちゃん!?ミルちゃん!応答して》早瀬マリの声だ。


実流樹は早瀬らの存在を忘れるくらい動揺していた自分に腹をたてた。


「はい、私です!」


《ミルちゃん!冷静に聞いてね》


「はい!」


《トンネルの前後は封鎖されたわ》


「え?………どうして」


《嘆いている時間はないの!解る?…》


「解るように…………努力…します」


《今はそこに居るアナタでしか判断出来ないことがあるの。何をすべきか、考えられる?》


「……………」無言になった実流樹が周囲を見渡した。


《いい?大勢の人達が人格を破壊されそうになっているの》


「…………はい」


《一人でもたくさんの人を助けるには、アナタの協力が必要なの…》


「はい」


《これは一か八よ…残酷だけど時間がないから真実しか、話せない。だからよく聞いて》



「どうすればいいの?!それだけ教えて!」


《放射線を浴びさせるのよ》


言った早瀬も、聞いていた実流樹も周囲の人々も…そこ一帯にある音という音がいっさい無くなった気がした。


「バァバ………………」実流樹はBax に語りかけると息を飲んだ。


それだけ口にした後は…ただ念じた。《ワカッタヨ…ミル》「は?!…」今までの交信とは違っていた。


《バァバ?…》


《アタシを信じて》


《うん》実流樹は力強く頷いた。


Bax は無表情で人々の様子を窺う。


「皆さん!今からこのガラスを割ります!」


「…………」意識が朦朧とするか茫然自失で誰も文句を言う者などいなかった。


「………そういうことかい」オタツにはこの策の真意が理解できた。


《いいよ、バァバ、お願い》


Bax がガラスに近付いた。鳥が翼を広げ、飛び立つ時のように佇む。両掌をガラスに向けると、手は青紫に輝く。そして…メラメラと上昇する掌の熱量を感じ取ると、直接ガラスに密着させた。


溶けるのが先か…亀裂が入ったガラスは瞬く間に歪み、そこでBax は意図的に両掌をガラスから引き離した。


《ミル……強風がくる》Bax から交信された。


「ミンナぁ!しっかり掴まってて!」実流樹は旬を抱きしめ、肇に覆い被さった。


再び周囲の安全を確認すると、Bax は指先をガラスの一点に当てた。みしみしと音をたて、細かいひびが人一人ほどの幅に拡がると…パズルが散らばるみたいに空間へ吹き飛ばされていった。




異変はすぐに表れた。全身から水分が奪われてゆく感覚を初めて味わっていた。毛孔という毛孔が開くと…容赦なく放射線は体内に入り込もうとする。



《ミルちゃん!あと三十秒よ、我慢するのよ》もはや早瀬の声は遠くの方で聞こえる。返事など出来ない。息苦しく、身体じゅうの皮膚がピリピリする。


「うっ…うぅぅ…イタイ」


《負けないで…ミル》Bax を通した小夜子の意志が伝わってくる。


《バァバ…うぅぅ》


《あと15秒…》早瀬は祈るような口調で言った。


「うぅぅ…うぅぅ……」意識がみるみる遠退いていく。


《10.9.…8…5.4.3…今よ!バックス閉めて!》


早瀬のコールがあるやいなや、Bax の甲軟化スーツの腕部分だけがほどけ、ガラス繊維と同化した。
一気に風は遮断され、いくらか息苦しさが緩和されると実流樹は、すぐさま肇の脈と心臓音を気にした。


「…安定してる」


「ハヤセ」オタツが早瀬に呼び掛けた。


《オタツさん!?》


「お手柄だよ」


《なんでそこにっ…現れる時は!ちゃんと予告してください》


「相変わらず優等生なお応えだよ、せいぜいミルを頼んだ」


《まさか?!またどっかに消えるん…じゃ》


「早瀬…さん、もう消えた」


《あ………そぉ》


「ありがとう…早瀬さん」


《どうなの?……他の人達は?》


「オジイチャンも…他の人達も安定してる」


《そぉ……これで第一段階は済んだわね》


「………え?…ダイ、イチ段階?」


《ここからは時間との勝負よ、ひとまずマイクロチップは破壊されたし、洗脳剤の進行速度を遅くなってるはず、遺伝子解体剤がどんな材質なのかが、こっちにはデータがないの、バックスに調べさせてくれる?》早瀬はのべつまくなしに喋った。


「そんなこと言われても…どうすればいいの?」


《アナタがそのままを伝えてくれたらいいだけ》


「は、はい…」Bax は何か言葉を待っているかのようだ。
「バァバ?…遺伝子解体剤の成分を調べてくれる?」

黙って動かない。


「どうして?何で黙ってるの?さっきはちゃんと応えてくれたのに」


《ミルちゃん?》



「………はいっ」



《分かりやすく説明するわ、観察してきて判ったんだけど、バックスには二つの性格があるらしいの。身体が自由にならないのも…その二つが打ち消しあうからなの、どちらを選ぶかで、バックスの未来が決まるのよ…それまでアンドロイドとして扱った方が》


「いや!バァバはバァバよ、アンドロイドでもロボットでも、私達と想い出を共有してるの!心だってあるんだから!」


《…………分かった、分かったから…。ミルちゃん。それじゃ…気がすむまで語りかけてみて、ダメだったら連絡ちょうだい》早瀬はそう言うと通信を止めた。


「バァバお願い…戻って来て」
《さっきの衝撃が原因なんでしょ?私は信じてる…バァバは強いヒト。必ず私を導いてくれるって》


封鎖されたトンネルにはおよそ300名の人間が閉じ込められていた。










continued