□008エリア〔沿岸部地層トンネル〕
20年ほど以前まで水深800メートルもあった海が干上がり、地震によって断層が露になってしまえば、そこはただの断崖絶壁だった。
縦に削がれた地面からは透明なトンネルの端が人や交通網の行き来を窺わせる。数キロ続くそれは所々が蛇行して見え隠れして続き、主要各所が集中する005、007エリアへと繋がっている。
今日は、7日に二回ほど開かれるチャイルドスクールの日なのだ。
そのトンネルに往来する人々に紛れて歩いているのはBax とBax に手を引かれて歩く旬、旬にこうしたいとせがまれて仕方なしの肇と共に、見守る実流樹の姿があった。
前方を真っ直ぐ見据えたBax の歩幅や速度は、旬のそれを補い。
柔かな掌を包む人工皮膚の指は、ニュートラルレスポンスが保たれている。
「バァバ?」旬がBax の顔を覗き込むように見上げる。
Bax は小さな旬の掌を腫れ物みたいな慎重さで触れながら気のせいか、時折話し掛ける旬の言葉に反応してるかのようにも見えた。
少し離れて「あの二人…お喋りしてるみたい」実流樹は明るく振る舞った。
「…あぁ、そうだな」旬の気持ちを察したものの、気が気ではない。
「オジイチャン?」
「んっ?」
「大丈夫だよぉ、バァバは旬を傷つけたりしないよ」実流樹が自信に満ちた表情で言った。
その瞬間肇は、実流樹とBax である小夜子がCSX で繋がっていたことを想い出した。
「ミル…もしかして………サヨコと交信してるのか?」
「オジイチャン?」実流樹は肇の心を見透かしたかのように微笑して肯定した。そして「バァバのこと…しばらく私に任せてくれない?」と言った。
「……任せるって…どういうことだ?」
「バァバが本当のバァバに戻れるように、助けてあげたいの」
「助ける?」
「バァバは今、本当の自分と、家族と一緒に暮らしたい自分とで葛藤してるの」
「………んっ」肇は言葉を失った。
「バァバが私たち家族に逢いに来たのは…本当の自分を取り戻したかったからだって、言ってる」
「それじゃ…」
「そうだよ、バァバは全部想い出しかけてる。データが必要なの」
「データとは、何なんだ」
「バァバがオジイチャンと過ごした記録とか、お父さんとの記録とか」
「……タケミツか」
家族の中でただ一人、武光だけがBax を避けていた。
…………
□008エリア〔外交官邸〕
「まさか、お前がエヴァーダに居るなんてな」武光が嫌味を言った。
「変わらないな、いつまでたっても嫌味なところ」朴ウォンはエヴァーダ上陸後、WG 大統領ジョンマックロードに促され、エヴァーダへの亡命を承諾していた。
「俺もこうなるとは想ってもいなかったさ」
「何を企んでる」
「ズケズケ聴くヤツだな」
「聴くさぁ、俺にも国を想う心はある」
「さすがは…小夜子女史の息子」
朴が言葉を放ったその瞬間、武光の表情が曇った。
「……どうかしたか」
「あれは…俺の母親じゃない」武光は異常なくらいにムキになった。
その剣幕に押され朴は絶句したが、すぐに「………んまぁ…そうだろなぁ」と、宥める口調に切り替えた。
「二十年以上も前に死んだんだ、今更”母さん”なんて呼べるか」武光は唇を噛んで…防護窓から望む暗雲の空を見上げた。
……………
□インドエリア
WG セフス機動部隊は日本エリアから西方の荒野と化したインドの町跡にテロ軍団の出没を見計らってキャンプを張っていた。
その周囲半径2キロには、ぐるり囲んだ等間隔で二名ずつの兵士を常駐させ、奴等を一網打尽にする目論みなのだ。
「ここでホントに正しいんですかねぇ…」一人の新入りがぼやいた。
「知らねぇよ、隊長様に訊きな」少々気の荒い先輩兵士は二日間の任務さえ疎ましいといった顔付きだ。
「武器はホントにこれだけ?ですか…」新米兵士は嘆くように呟いた。
移動手段に与えられた多機能型変形バギーは全長4.78メートル、幅2.5メートルの水陸両用の装甲車だ。
表立って目立つ重装備ではないが、このシンプルな車体には当時アメリカ合衆国の最先端技術が惜しみなく費やされている。
燃料は太陽電池と水素電池のハイブリッドだが、ひとたび戦闘態勢に突入すれば、危険なナノプルトニウムを発動させる。
車体は2800℃の高熱にも耐えられ、岩石だらけでアップダウンの激しい荒野を時速200キロで走行し、時には地面を砕いて地中に潜る為のダイヤモンドドリルと、リモートコントロール可能な追尾式パルスロケット、旧型のマシンガンといった具合の装備だった。……ところが兵士たちが所持する武器といえば、戦闘状況に応じたセットアップ式のレーザーショットガンのみだった。
「そんな面すんなよ、」寝転がっていた気の荒い先輩兵士がガバッと飛び起きると、唐突に左胸のボタンに触れて見せた。
それは瞬時だった。
腹部ベルトを境にして上下に光の網の目が拡がる。兵士の全身はたちまちアルジサイト甲軟体の戦闘スーツに包まれた。
「はっはぁ…ご機嫌だぜ」脱出用のハッチが開き車外に出た瞬間、サムの肢体に加算された腕力は何倍にも羽ね上がっていた。
軽く膝を折ったサムは、両足を揃えると気持ちに任せて地面を蹴りあげた。足下と地面には瞬く間に空間が拡がった。
サムの跳躍した身体は前方の小高い岩山の頂付近でふんわりと滞空した後、真っ逆さまに…硬い岩盤の急斜面へ全身をぶつけた。
「ア!!」新入りが叫んだ。
岩盤に衝突したサムの身体は斜面を転がる。
まるでそれを楽しんでるかのように加速度をあげるサムは、ちょうど新入りを前に転がり進むと、拳を杭打つように地面に叩き付ける。
サムはそうやって何回かデモンストレーションをしてるらしく。
周囲に砕け散った石ころを払いのけると鼻高々と仁王立ちする。
「スゴイ!何ですか、それ、どうしてサムさんだけぇ?!」
「俺は戦闘兵士、お前はいざというときの補佐だ、二人いっぺんに装備させないんだとさ、ヒヨッコ」サムの顔はフェイスシールドで被われていた。
「サイモンですっ」サムを睨んだ。
「ワカッタよ…サイモン」サムは車内に戻るとシールドを開放して頭を掻いた。
「いざというときって何ですか」
「いいかサイモン、相手は化け物だぜ、冷静でいられねぇ奴につとまんねぇよ、その為にこの分析ツールがあるんだ」
「………はぁ。」サイモンはバギーの運転席のコンピューターを見回し、嫌々納得する。
「相手にだって必ず弱点はある。それ使いこなして分析するパートナーが必要ってワケだ。…ま、奴らが襲って来たら、俺が真っ先にぶちのめすから要らねぇかもしんねぇけどな」
「でも万が一、サムさん一人でどうにもなんない時は?」
「お前!俺をバカにしてんのか!」
「違いますよ、万が一って…言ったじゃないですか」
「そん時は………これを着ろ」サムがハンドルの真ん中にあるボタンを予告も無しに押した。
「う、うわぁ」運転席のシートそのものが沈んだかと想うと、息を飲む速さでサイモンの胴体にフィットする。
「どうなってんですか……」サイモンは少し顔を歪めた。
「重てぇか」
「重たいっていうより…ゴワゴワしてます」
「このスーツはごてごてし過ぎて、地上じゃあ不向きだ」
「よくこんなで戦ってましたね」
「それは戦闘用じゃねぇよ」
「で、でも戦ってきたんじゃあ」
「バカ言ってんじゃねぇよ、逃げる為にそいつはある」
「エ?」
「もし俺が殺られることがあったら…真っ先に逃げろ、背中にロケットウィングが付いてる。いざというときは…左腕の赤いボタンに触れろ」
「冗談でしょ?」
「冗談に聞こえるか?」サムはこの二日間で見せたこともない真剣な目をした。
「……でも」サイモンは何か言いたげだ。
「全員が死んだら、俺ら皆、奴らの実験台だぜ…モルモットになりたくなきゃ、言うこと聞け!」
「はぁ………」どこか腑に落ちないサイモンだった。
サムが胸の装着ボタンを二度叩くと戦闘スーツが元に収まった。
そのままタイトなジャケットの内ポケットに手を入れるとサムはパイプを取りだしてくわえ、ひと息吐いた煙に眉をひそめた。
continued
20年ほど以前まで水深800メートルもあった海が干上がり、地震によって断層が露になってしまえば、そこはただの断崖絶壁だった。
縦に削がれた地面からは透明なトンネルの端が人や交通網の行き来を窺わせる。数キロ続くそれは所々が蛇行して見え隠れして続き、主要各所が集中する005、007エリアへと繋がっている。
今日は、7日に二回ほど開かれるチャイルドスクールの日なのだ。
そのトンネルに往来する人々に紛れて歩いているのはBax とBax に手を引かれて歩く旬、旬にこうしたいとせがまれて仕方なしの肇と共に、見守る実流樹の姿があった。
前方を真っ直ぐ見据えたBax の歩幅や速度は、旬のそれを補い。
柔かな掌を包む人工皮膚の指は、ニュートラルレスポンスが保たれている。
「バァバ?」旬がBax の顔を覗き込むように見上げる。
Bax は小さな旬の掌を腫れ物みたいな慎重さで触れながら気のせいか、時折話し掛ける旬の言葉に反応してるかのようにも見えた。
少し離れて「あの二人…お喋りしてるみたい」実流樹は明るく振る舞った。
「…あぁ、そうだな」旬の気持ちを察したものの、気が気ではない。
「オジイチャン?」
「んっ?」
「大丈夫だよぉ、バァバは旬を傷つけたりしないよ」実流樹が自信に満ちた表情で言った。
その瞬間肇は、実流樹とBax である小夜子がCSX で繋がっていたことを想い出した。
「ミル…もしかして………サヨコと交信してるのか?」
「オジイチャン?」実流樹は肇の心を見透かしたかのように微笑して肯定した。そして「バァバのこと…しばらく私に任せてくれない?」と言った。
「……任せるって…どういうことだ?」
「バァバが本当のバァバに戻れるように、助けてあげたいの」
「助ける?」
「バァバは今、本当の自分と、家族と一緒に暮らしたい自分とで葛藤してるの」
「………んっ」肇は言葉を失った。
「バァバが私たち家族に逢いに来たのは…本当の自分を取り戻したかったからだって、言ってる」
「それじゃ…」
「そうだよ、バァバは全部想い出しかけてる。データが必要なの」
「データとは、何なんだ」
「バァバがオジイチャンと過ごした記録とか、お父さんとの記録とか」
「……タケミツか」
家族の中でただ一人、武光だけがBax を避けていた。
…………
□008エリア〔外交官邸〕
「まさか、お前がエヴァーダに居るなんてな」武光が嫌味を言った。
「変わらないな、いつまでたっても嫌味なところ」朴ウォンはエヴァーダ上陸後、WG 大統領ジョンマックロードに促され、エヴァーダへの亡命を承諾していた。
「俺もこうなるとは想ってもいなかったさ」
「何を企んでる」
「ズケズケ聴くヤツだな」
「聴くさぁ、俺にも国を想う心はある」
「さすがは…小夜子女史の息子」
朴が言葉を放ったその瞬間、武光の表情が曇った。
「……どうかしたか」
「あれは…俺の母親じゃない」武光は異常なくらいにムキになった。
その剣幕に押され朴は絶句したが、すぐに「………んまぁ…そうだろなぁ」と、宥める口調に切り替えた。
「二十年以上も前に死んだんだ、今更”母さん”なんて呼べるか」武光は唇を噛んで…防護窓から望む暗雲の空を見上げた。
……………
□インドエリア
WG セフス機動部隊は日本エリアから西方の荒野と化したインドの町跡にテロ軍団の出没を見計らってキャンプを張っていた。
その周囲半径2キロには、ぐるり囲んだ等間隔で二名ずつの兵士を常駐させ、奴等を一網打尽にする目論みなのだ。
「ここでホントに正しいんですかねぇ…」一人の新入りがぼやいた。
「知らねぇよ、隊長様に訊きな」少々気の荒い先輩兵士は二日間の任務さえ疎ましいといった顔付きだ。
「武器はホントにこれだけ?ですか…」新米兵士は嘆くように呟いた。
移動手段に与えられた多機能型変形バギーは全長4.78メートル、幅2.5メートルの水陸両用の装甲車だ。
表立って目立つ重装備ではないが、このシンプルな車体には当時アメリカ合衆国の最先端技術が惜しみなく費やされている。
燃料は太陽電池と水素電池のハイブリッドだが、ひとたび戦闘態勢に突入すれば、危険なナノプルトニウムを発動させる。
車体は2800℃の高熱にも耐えられ、岩石だらけでアップダウンの激しい荒野を時速200キロで走行し、時には地面を砕いて地中に潜る為のダイヤモンドドリルと、リモートコントロール可能な追尾式パルスロケット、旧型のマシンガンといった具合の装備だった。……ところが兵士たちが所持する武器といえば、戦闘状況に応じたセットアップ式のレーザーショットガンのみだった。
「そんな面すんなよ、」寝転がっていた気の荒い先輩兵士がガバッと飛び起きると、唐突に左胸のボタンに触れて見せた。
それは瞬時だった。
腹部ベルトを境にして上下に光の網の目が拡がる。兵士の全身はたちまちアルジサイト甲軟体の戦闘スーツに包まれた。
「はっはぁ…ご機嫌だぜ」脱出用のハッチが開き車外に出た瞬間、サムの肢体に加算された腕力は何倍にも羽ね上がっていた。
軽く膝を折ったサムは、両足を揃えると気持ちに任せて地面を蹴りあげた。足下と地面には瞬く間に空間が拡がった。
サムの跳躍した身体は前方の小高い岩山の頂付近でふんわりと滞空した後、真っ逆さまに…硬い岩盤の急斜面へ全身をぶつけた。
「ア!!」新入りが叫んだ。
岩盤に衝突したサムの身体は斜面を転がる。
まるでそれを楽しんでるかのように加速度をあげるサムは、ちょうど新入りを前に転がり進むと、拳を杭打つように地面に叩き付ける。
サムはそうやって何回かデモンストレーションをしてるらしく。
周囲に砕け散った石ころを払いのけると鼻高々と仁王立ちする。
「スゴイ!何ですか、それ、どうしてサムさんだけぇ?!」
「俺は戦闘兵士、お前はいざというときの補佐だ、二人いっぺんに装備させないんだとさ、ヒヨッコ」サムの顔はフェイスシールドで被われていた。
「サイモンですっ」サムを睨んだ。
「ワカッタよ…サイモン」サムは車内に戻るとシールドを開放して頭を掻いた。
「いざというときって何ですか」
「いいかサイモン、相手は化け物だぜ、冷静でいられねぇ奴につとまんねぇよ、その為にこの分析ツールがあるんだ」
「………はぁ。」サイモンはバギーの運転席のコンピューターを見回し、嫌々納得する。
「相手にだって必ず弱点はある。それ使いこなして分析するパートナーが必要ってワケだ。…ま、奴らが襲って来たら、俺が真っ先にぶちのめすから要らねぇかもしんねぇけどな」
「でも万が一、サムさん一人でどうにもなんない時は?」
「お前!俺をバカにしてんのか!」
「違いますよ、万が一って…言ったじゃないですか」
「そん時は………これを着ろ」サムがハンドルの真ん中にあるボタンを予告も無しに押した。
「う、うわぁ」運転席のシートそのものが沈んだかと想うと、息を飲む速さでサイモンの胴体にフィットする。
「どうなってんですか……」サイモンは少し顔を歪めた。
「重てぇか」
「重たいっていうより…ゴワゴワしてます」
「このスーツはごてごてし過ぎて、地上じゃあ不向きだ」
「よくこんなで戦ってましたね」
「それは戦闘用じゃねぇよ」
「で、でも戦ってきたんじゃあ」
「バカ言ってんじゃねぇよ、逃げる為にそいつはある」
「エ?」
「もし俺が殺られることがあったら…真っ先に逃げろ、背中にロケットウィングが付いてる。いざというときは…左腕の赤いボタンに触れろ」
「冗談でしょ?」
「冗談に聞こえるか?」サムはこの二日間で見せたこともない真剣な目をした。
「……でも」サイモンは何か言いたげだ。
「全員が死んだら、俺ら皆、奴らの実験台だぜ…モルモットになりたくなきゃ、言うこと聞け!」
「はぁ………」どこか腑に落ちないサイモンだった。
サムが胸の装着ボタンを二度叩くと戦闘スーツが元に収まった。
そのままタイトなジャケットの内ポケットに手を入れるとサムはパイプを取りだしてくわえ、ひと息吐いた煙に眉をひそめた。
continued