肇はエーテルボックスに横たわる自分の肉体に戻った。
閉じていた瞼を静かに開いた。
真っ先に飛び込んできたのは無邪気に微笑む旬の顔だった。
「いくら生身の身体じゃないからって、エーテルが消滅したら死ぬんだぜ、そこんトコ責任持てよ」うっすらとした意識の肇の耳に、さっきの口調とは一変した武光の声がした。
「……すまないな」肇はぼそりと応えた。
そこへ「父さん、ミルが作ったベーグル…食べよぉ?」孫娘の実流樹は固い空気を和らげようと武光に投げかける。
「そうだよぉ、父さん、食べよぉよぉ?」旬もそう言って無邪気に笑った。
肇は一度孫たちに視線を投げて微笑むと、孫にまで気遣いされてる自分の不甲斐なさに腹立たしさを噛みしめた。
鯛我肇は息子の武光と、武光の息子で五歳になる旬と孫娘の実流樹と共に暮らしていた。実流樹はおよそ14歳になるであろう。
エヴァーダに暮らす家庭の中で、肇たちのように三世代が同居しているパターンは珍しかった。
ただ、どの家庭にも母親が存在しないのだけは共通していた。
実流樹も旬も、バイオプランターが母胎の代わりだった。
…………
2093年に政府が打ち出した政策は理不尽そのものだった。
ある時期を境にして世界で産まれる女性の数が減少し始めたのを皮切りにして約15%ずつ女性の出席率は落ちていった。
それと同時に各国では小児から成人まで年齢に関係なく様々な特異体質を発症する者たちが現れ出した。
肇の妻、小夜子も発症した中のひとりだった。
多くは体内体外に関わらず敏感性の症状を表し、体外ならばアレルギーのようなものだが、体内なら半数以上が偶発性共有思念=CSX と名付けられたテレパシー性の異常脳を発症した。
CSX は名の通り、時間も空間も距離も関係なく突然他人の思念が頭を占領する症状である。
ほぼ多数の人間は自分がおかしくなったのだとノイローゼ状態に陥ると、やがて精神錯乱になった。
ただ国も人種や年齢もランダムであった為に遺伝子に異常をきたす原因が突き止められないまま時は過ぎていったのが現実だった。
発症者リストの中でも小夜子の症状は深刻だった。CSX だけでなく、特殊たんぱく質に寄って遺伝子を組み換えられ、細胞核単位での変化が著しく促進された。
切っても叩いても痛みを感じなくなり、傷の深さに関係なく一時間以内に元の身体へ再生した。
研ぎ澄まされていく小夜子の感覚。
最先端脳科学を持ってしても全てを解明出来ない未知力は、当時の世間を騒がした。
結果、救世主の如く政府軍に反旗を翻し矢面で戦う羽目になった小夜子でさえ己の能力を制御出来ず、惜しみ無く全ての能力を使い果たしてやがて短い生涯を閉じることになる。
そんな時に地団駄を踏むことしか出来なかった自分を肇は今でも恥じていた。
そのせいか最近、あの頃の小夜子の言葉が毎日というくらい夢に出た。
体内の生体バランスが崩れて血を吐きながらも「私はこの能力を恨んじゃいないわ…どうせ生き永らえない身体なら、皆の未来をかけて戦う」最後の最後まで小夜子は意思を貫き死んでいった。
現在の鯛我家がエヴァーダから特待を受けていたのは小夜子の功績があったからこそだった。
皮肉にも半政策を唱えるエヴァーダでさえもCSX の治療方法開発、女性人口の異常な減少に歯止めすることが出来ない。
まさに現時点においても、あらゆる分野において原因究明は続けられていた。
研究者の一人には…再生細胞学を取り入れた斬新なアンドロイド工学の権威、橋場薫がいた。
continued