「愛」について | ホームホスピス われもこう

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熊本にある介護施設「ホームホスピス われもこう」のブログです。

 昨年(2012年)は、二つの結婚式に立ち会いました。

 二人はそこで「永遠の愛」を誓います。近年は、「さんさんくど」の盃を交わす結婚式は少なく、ホテルや結婚式場の「チャペル」で、神父さんや牧師さんの前で、この愛の誓いを立てます。

 ところで結婚式も披露宴も終わり、ほっと落ち着いてお茶でも飲みながら、愛とはなんだろう? 日本人にとって愛とはなんだろう? と考えたりします。

 人の人に対する「愛」は、不安定です。川面に浮かぶ泡沫のような面もあります。そのような愛をどのように安定したものにするか、「永遠の愛」に仕上げていくかは、大きな課題です。

 愛について、ニーチェというドイツの哲学者はこんなことを言っています。
 「人を愛するとは、自分とはちがった人生を歩んできて、ちがった考え方や感じ方をする者を、その状態のままに喜ぶこと。自分とは逆の感性を持つ相手をも、その感性のままに喜ぶこと。
 「愛を使って二人のちがいを埋めたり、どちらかを引っ込めさせたりするのではなく、両者のちがいのままに喜ぶことが愛するということ。」

 実践するのは勇気が要りますが、この言葉、含蓄が深いですね。バレンタインデーのチョコも必要なくなるかもしれません。

 この言葉の含蓄をよくよく理解すれば、男女の愛だけに当てはまる言葉でもないですね。広く人と人とが出会い、力を合わせて何かを成し遂げていこうとする関係を築き、維持し、発展させていく必要があるところでは、どこでもこの愛が必要なのかも。

 そのような時は、「愛」と呼ばなくても、他者に対する「寛容の心」、あるいは他者に対する素朴な「敬意」と呼んでもいいかもしれません。 

 わが「われもこう」でも、人と人との出会いのときに、この気持ちを忘れないようにしたいものです。          
                                       (南風)