涙の意味 | ホームホスピス われもこう

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熊本にある介護施設「ホームホスピス われもこう」のブログです。


 数年まえ、京都の東山の麓にある寺に、たまたま観光のために立ち寄ったことがあります。そこでたまたま目にとまり、印象に残ったことをお話します。

 修学旅行といえば京都が定番ですが、このお寺は修学旅行のコースには入らず、まさに東山の麓にひっそりと佇んでいます。それでも最近はもみじの名所として知られてきたので、紅葉のシーズンともなると、大勢の人が紅葉狩りに押し寄せるそうです。紅葉狩りをする気持ちを、日本人は21世気に入っても失っていないのは嬉しいことですね。

 さて、私がこの寺を訪れたのは、4月半ば、京都では桜が満開でした。風があると少しまだ肌寒いころです。そんな春も、秋に劣らず訪れる観光客は多いのです。

 この寺の名前は、永観堂禅林寺といいます。宗派はというと、浄土宗になります。この寺に珍しい仏像が安置されていると知って、珍しいもの好きの私は、期待にわくわくしながら板の廊下を、本堂の阿弥陀堂へと急ぎました。

 阿弥陀堂の内部は薄暗く、目を凝らしてやっと正面の須弥壇の奥の高いところに横向きのお顔の小さな佛さんの像を見つけました。畳の上に私は正座して、静かに手を合わせました。顔を上げ、あらためてしげしげと像を見つめました。お顔には弱い照明が当てられ、暗い堂内に神秘的な姿で浮かび上がっていました。

 ぐるっと一周できるようになっていたので、右横に回ってみました。若い人たちも意外とたくさん来ていました。一人の若い女性が、暗闇に浮かび上がる金色のみかえり阿弥陀の前からしばし動かずに佇んでいました。私は、みかえり阿弥陀像と彼女の眼差しの行方を確かめるべく、その横顔を見てしまったのですが、両眼から一筋の涙が光るのをその頬の上に見ました。

 その涙が何を意味するかは、私にはわかりません。ひとの心は推しはかりがたいものです。わかりませんが、明日を行きていく力を、彼女はこの一体の仏像と対面することによって与えられたのかもしれません。もしかすると、その感謝の涙。

 みかえり阿弥陀は、阿弥陀様の慈悲のかたちをあらわしているとされています。平安時代の1082年、永観律師が、夜を徹した念仏行の最中に立ち現れた阿弥陀如来が、永観を振り返り、やさしい励ましを送られた故事にちなむものらしいのです。

 私は、先ほどの彼女の頬を伝う涙が、理由なしにこの上なく美しいと感じました。心のなかから重力がなくなり、心が軽やかになるのを感じ、それから数分後、爽やかな気持ちでこの阿弥陀堂の縁にしばし佇んで、京の街を背景にチラホラと散っていく桜の春を惜しみました。

 みかえり阿弥陀の逸話は、今を生きるときの、また今日の社会の難題を解きほぐすための豊かなヒントが隠されているように思えてなりません。          
                                   (南風)