このブログに会いにきてくださり、ありがとうございます。
月曜日は"日本みっけ"をお届けしています。
夏の冷たいスイーツと言えば、
アイスクリーム、シャーベット、かき氷などですね。
なかでも今回は、"かき氷"に焦点を当ててお伝えしていきます。
氷を食べる文化というのは、
古代ギリシャ・ローマ時代や古代中国
に存在していたと記録が残っているそうです。
食品を保存するための雪や氷に
蜜や果汁をかけて食されていたとされています。
昔はもちろん冷蔵庫はありませんから、
冬にできた天然の氷や
降り積もった雪などを貯蔵しておいて、
食品を冷やしたり、
室内の温度を下げるためなどに利用していたようです。
それらの氷で、果物のシロップを凍らせたり、
飲み物に氷を入れたりしたのが、
氷を食する文化のはじまりだとされています。
日本では、氷や雪を利用して作られた
自然の冷蔵庫である「氷室(ひむろ)」があります。
国内最古の氷室は、
今からおよそ1300年前に奈良県天理市で作られて、
夏になるとそこで保管された凍った氷を
平城宮に献上したと記録されています。
また、平安時代に書かれた
清少納言の『枕草子』や紫式部の『源氏物語』には、
「削り氷(けずりひ)」と呼ばれる、
削った氷に甘味料をかけたものが出てきます。
『枕草子』では、
「あてなるもの。
(中略)
削り氷にあまづら入れて、新しき金椀に入れたる。」
訳
上品なもの。
(中略)
削った氷にあまづら(甘味料)かけて、
新しい金属製のお椀に入れたもの。
『源氏物語』の「常夏」の項では、
光源氏が宮中で夕涼みをしているシーンで
大御酒参り、氷水(ひみず)召して 水飯など とりどりにさうどきつつ食ふ
訳
御酒を召し上がり、冷えた氷を持ってこさせ、
水飯などをそれぞれにぎやかに召し上がる
とあります。
当時の貴族たちは削り氷を好んで食べていたことが
うかがえますよね。
当時の氷はとても貴重な物で、
高貴な方しか食べられませんでしたが、
江戸時代になると、
雪国各地に雪室(ゆきむろ)もできたりして、
身近なものとなっていきました。
当時は、旧暦の6月1日になると、
雪国北陸の大名前田家は
城内にある氷室の氷を江戸幕府に
献上するのがならわしだったそうですが、
笹の葉とむしろで何重にもくるんで
桐箱に詰めた氷(雪塊)を、
大名お抱えの飛脚が4人がかりで担いで、
全速力で走って届けていたそうです。
この飛脚による氷献上のことを
江戸庶民は「お氷さまのお通り」と呼んでいたそうです。
ただ、将軍が実際に口にすることはなかったのだとか。
明治時代になると、
人口の氷を作る製氷機が開発されました。
そして、明治2年に、
横浜の馬車道に日本初のかき氷屋である
「氷水(こおりすい)店」がオープンしたそうです。
この時は、細かく砕いた氷にシロップをかけていたそうです。
現在のようなかき氷は、明治20年頃に
村上半三郎が氷削機を発明してからだそうです。
その後、昭和初期頃には
日本全国に氷削機が普及して、
現在のかき氷が浸透していったそうです。
かき氷のシロップは、
戦前は、「みぞれ」という砂糖蜜をかけたもの、
「ゆき」という砂糖をかけたもの、
「金時」という小豆餡をかけたものが
定番メニューだったそうですが、
戦後になって、果糖ブドウ糖液糖に
着色料や香料を加えたものが出てきたそうです。
いちごやレモンやブルーハワイなどがありますよね。
かき氷屋さんには、
それぞれのお店のメニューがあって、
白玉やフルーツやアイスクリームが乗っていたりする
かき氷なんかも人気がありますね。
お店によって氷のふわふわ度合いの
違いも楽しめたりしますね。
みなさんは、どんなかき氷がお好きですか?
管理人せんとは、冷たいものを
たくさん食べられないので、
もう20年ほど食べていませんが、
最後に食べたかき氷は抹茶金時です。
ぜひ"みっけ"してみてください🎶
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



