三月は苦しかった。 (苦しくなったきっかけはひとつ前の記事に)
不安と焦燥感と息苦しさと。
寝ても覚めても全てが絵空事の日常で、
もう死ぬまでここから一歩も抜け出せないと思う心の沈み。
この私でありながら私でないような日々に、
どう自分を向きあわせつつ誤魔化しつつ生きていけばいいのかと、
息苦しい日々。
ほんとに苦しかった。
心から笑えることなんて そんな軽やかだった日々はもう二度とないと思ってしまう、
ずぶずぶと心の暗闇で息絶え絶えの心境だった。
こんな状況を打破したいと、情報や対策を調べれば調べるほど、またさらに暗くなる。
暗くなるので、関連するようなキーワードを次から次と捜しあて調べることはやめた。
心の中で自問自答のくり返し。
自問自答は堂々めぐり。
何にも興味が持てず、ただただ時間の経過を眺めているだけのように、
誰も彼もが別世界の人のように見えた。
平穏に日常を何とかやり過ごす為に、
踏ん張って通常に行動する、必死で。
街の中で座り込みたくなるような怖さが時おり ざわ~っと もわ~っと おそってくるのを必死で耐え、
買い物に出たスーパーでは平穏な安定した心もちの主婦のように、ゆっくりと食材をかごに詰める。
誰も彼も、今にもここに発狂寸前の主婦がいるとは思わないだろう。
息がつまりそうな困難でカート押してるとは思わないだろう。
あぁ、 誰か助けてー!と叫びたい。 わーーーーーっ! って乱心してしまいたい。
そんな気持ちを抑え、
何も考えないように、心の中を空っぽにして 目の前にあることだけに神経を使う。
なのに ふとした瞬間に、 想いが逆行し始める。
遠い記憶が突然呼び覚まされたり、
まだ来ぬ未来に恐れを抱いたり。
深みに嵌りそうな手前で必死に打ち消し平常心を整える。
苦しい。
もう毎日が苦しい。 苦しかった。
自分はいったい今どこに立っているんだろう。
ふと、 私はいったいどこで生きているんだ?と思った。
気がつくと、頭の中は過去と未来を行ったり来たり。
そんなある日、身体を横に休めている時、舞台の台詞のような言葉が頭にバッと太文字で浮かんだ。
「自分の今の時間はどこにある?!」
過去と未来の悔恨やら悲哀やら恐怖やら、どうにもならない時間と距離の継続やら、
自分はいったいどこの立ち位置から物事を見てるんだ?と自分に疑問をもった。
自分の親はどうやって生きていたんだろう。
自分の兄弟はどう生きているんだろう。
街の人々は皆どんな精神安定をもって生きておられるんだろう。
三月のある日の私は、夕食準備の調理ために包丁を持った途端 手が震えた瞬間があった。
自分で思う以上に、精神が病んでいるのを感じた。
その時何となく、世の中の事件の片鱗を見たような気がして、人って弱い生物なんだなと思った。
そうやって、 自分を見て人を見て。
心療指南のような書物は一切見ず、 世の中に平和に置かれている一般文芸書の類を 夜毎 寝床で スタンドの灯りの下眠くなるまで読む日々。
気を散らすため。
そんな日々の何が効を奏したのかわからないけれど、 気がふれそうな、パニック症的な不安感や焦燥感やらに襲われる頻度が三月の末日頃から急にぐっと低くなった。
あ、私、心が軽い、明るい。 大丈夫。 と思える時間が増えていった。
そんな中でも、時に予期せぬ記憶の媒体の結びつきが起こって、ずぶずぶずぶと、ぬかるみに嵌りそうな心境にもなる。
そんな時思う。 何かの本の文章にあった 「人生は夢なんだ」 と。
「今まで生きてきた、 この事こそが夢を見ているようなものであったと死ぬ時思う」 と。
夜寝て見る夢、 うたた寝して見る夢 いろいろあるけれど、
人生そのものが映像のように見ていた夢ならば、 不安や恐怖の場面は出来るだけ少ない方がいい。
夜や、うたた寝の夢はコントロール出来ないけれど、人生と言う日々の夢場面は、自分でコントロールが可能じゃないか。
いつかの時代の、私の精神不安定のきっかけとなったシベリア抑留記事の時代の人々の人生とは計り知れなく広く大きい。
そんな広大な夢の中で何を私は病んでいるのか、何を呼吸困難に陥っているのか。
↑ ↑ ↑
_____ と、 ここまでは、
先月に記したまま置きっぱなしになっていたもの。
まだ若干 精神に波があった四月の中頃の心境。
それから時は流れて早五月!
立夏も過ぎて、 新茶の幟が立って、 チマキ食べ食べ、 衣も半袖の日が多くなり。
目に映る若葉の軽やかさが、色とりどりの花の明るさが、
沈殿していた澱を溶かし薄めたのか、
あれは何だったんだろうと、 三月の自分を平穏に振り返ることができる この五月となりました。
今 振り返れば、たかだか数週間の混乱。
長く長く永遠に続くようなぬかるみに感じていたけれど、
ほんの数週間の混沌。
いったい、あの異常な焦燥感は何だったんだろう。
時に鬱のような病は数年にも渡って患う話も耳にしていて、
抜け出せる自信もなかったのに、
するりと何かが 勝手に、 自然に、 めくれ落ちたような気楽さが広がっていった。
あぁ、よかったぁ、 安易に薬に頼らずに。
あぁ、よかったぁ、 安易に指南書まがいのビジネスのカモにならずに(笑)
いや、ほんと思った、 人の弱みにつけこむ丸儲けビジネスの多いことよ。 (個人的見解です)
弱ってるときは、ほんと頼りたくなるものだけど、 (そういうものがやたらと目につく)
なんだか目を通していると途中から、なんかやたらと 金・カネ・銭や! を先に出しなはれや! と言うような指南にもっていかれることに、 はぁ~? ここまで のたりくたり引っ張ってからになぁー と言う感じ。
お金払うんやったら、自分から門叩いて公的な機関受診するわ! と、言う感じ。
まぁ、 その時々に何に出会うか、何を引き寄せるか、 それも生きていく醍醐味で、 ひとつひとつ丁寧に見聞、生きる、ってことに尽きるのやなぁ~~~。
良きも悪しきもほどほどに手触りを感じつつ生きていくのが面白みかな? なんて事を机上にのせつつ、
やっぱり ようわからんわ!
もう ほんまわからん!
あ~あ。 どないしったて生きていかなあかんねん。
まともに、誠実に。 なら 笑顔の多い日々でいたい。
それだけのことか。
と、 いま五月の風をうけながら思う おばはんでした。
ひょっとしたら、まだまだ爆弾を抱えているかもしれない思考かもしれないけれど、
ひとつ 越えたのは確かだから、 歩いていける。
日々は鼻歌。
まだまだ余白だらけの
自分と指きり「諦めないよ」
これから迎える未来も悪くないと思えた
Shout it Out 「ハナウタ」 歌詞一部