昨晩 深夜から今朝明け方にかけて、兵庫や岩手で震度4の報。
災害は忘れた頃にやってくる。 ゆるんでいた危機管理意識を締め直しせねば!
昔から、地震・カミナリ・火事・親父 と、よく聴きますが、上3つは確かに怖い、現代でも見舞ってほしくない現象。
だけど、親父はどこいった?
近頃の親父さんは皆やさしいよ。
昔、私が子どもだった頃、近所にものすごく怖い、お腹が出っぷりふくらんだ親父さんがいた。
ここの子ども達(兄と妹)がワル賢く、私は学年が違ったから あまり付き合いはなかったけれど、同じ学年の男の子達は、親子共々濡れ衣を着せられ、夕方にお腹を震わせて怒鳴る大声と・小さな謝る声を、路地から聴いた記憶が何度かある。
あ~くわばら くわばら。 あの親父さんも もうあの世かな~。
私の親よりずっと上の年齢に見えていたから、生きていたとしてもボヨボヨ (よぼよぼではない) ボヨボヨになっていることだろう。
その兄と妹はどんな風に世を渡っているのか、ちょいと知りたい気もするが、幼い頃住んでいた土地から もうずっと遠く離れて育ったので、風の便りさえ聞かない。
近頃は、人の子を叱るなんて大人もめったに見かけない。
もちろん、世も世だし、我が子が、よその大人に叱られたと知るや、反対に 「よくも!うちの子を!」 と、怒鳴り返される羽目にもなる。
うちの子さえ良けりゃいい!とばかり、自分の子には甘い目線に・手をかけ、よその知らぬ子(子の友人であったとしても)雑魚扱いする大人も少なくない。
子どもという存在の背後には、誰にとってもその子を愛する親の目があるのである。
自分の子が可愛いのと同様、誰にとっても可愛い存在の子ども達。
なのに、自分の子さえ良けりゃ!と言う想いは、俯瞰で見れば 結局、自分の子さえもどうなったっていい!と言う意識の中に取り囲んでいるようなものである。
誰のせいでもない、親自身の意識のせいである。
自分の子が可愛いなら、人の子も愛せよ!可愛がれよ! と私は思う。
親として、子を見つめる想いは皆共通する筈である。
可愛がると言っても、人の子の頭も撫でろ!とか、同じ言葉で褒めろ!とか言ってるんじゃない。
親は四六時中、子どもの行動を把握している訳じゃない。
学校に行くし、公園にも行く。 児童館にも行けば、お友達のおうちにも行く。
その行動範囲の行いをすべて知っている訳じゃない。
家で躾を万全に仕込んでいるつもりでも、この小さき者たちは、思考の発展途上にある日々。
考えの至らなさで何を仕出かしているのか、親はすべての一つ一つの行いを修正できる場所にいない事がほとんどなのである。
そんな時、その場に居合わせた大人達が、この小さき者たちを指南していただきたいと私は思う。
昔、若き頃なら、何か悪事をやらかしてるな、と気付いても、私は、見てみぬふりだった。
が、自分が親になって初めて知る 子を案じる親としての切実な想い。
これは誰にも共通する想い。(例外の変質大人もおるが)
誰だって我が子が一番可愛い。
可愛いからこそ、その誰もが想う その願いの眼差しをどの子にも向けたいのである。
誰にとっても愛する子ども達なのだから。
そして、私はこの想いの元、オヤジ化してゆくのだが、長くなりそうなので、今日はこの辺にて。
続く。
(実は、すべてを書いた記事を 朝 更新しようとしたら、クリックする場所を間違えて全部消してしまった (T▽T;)