~続きです

 

兄の長い手術も無事終わり、翌朝、自宅に戻りました。

「これで歩けるようになる」

という執刀医の言葉を頼もしく感じ、晴れやか気分。

 

ところが、また母から連絡。

手術後、40度近い高熱が続いている。

背中に入れたチタンが影響している可能性もある(拒否反応?)。

それでチタンを取ったら、また半身不随の可能性が出る。

 

急いで新幹線で静岡に。

急いで、兄の入院している病院に行き、母と合流。

病室に向かいます。

 

兄は、熱で朦朧としている。

自分に気が付くと、

「熱が出とる。」

「手術後は、熱が出るからね。仕方ない。」

と、薄目を開いて、兄は今の状況を話す。

 

話をするのも辛そう、

会話の少しの間が空いた瞬間、

返事がなく、見ると、

もう寝ている。

寝た」というよりは、気を失ったような感じ。

 

時間を置いて、様子見に行くと、

兄は半覚醒状態なのか、MP3プレイヤーのボタンを、

目を瞑って、ひたすら連打している、

携帯(当時ガラケー)を操作しているつもりなのかも知れない。。

 

声をかけて、リアクションさせるのも申し訳ないので、

ロビーで母の話を聞くことに。

 

手術内容について、執刀医の方からの説明によると、

骨折のあった箇所を、実際見ると損傷の範囲が広く、

第3、第5、第6、第7胸椎が骨折。

第6胸椎は粉砕骨折。

結果、背中をほとんど全て開くような形になった。

 

兄の胸椎を支えるチタンをボルトで止めるはずが、

ボルトで止める箇所が、とても細かったため、

ボルトで止める方法は断念し、

フックで支えるタイプに変更した。

骨自体が普通の人よりも、しっかりしていたから可能だと判断した。

 

結果的に、かなり手術に時間がかかった。

 

兄の状態を確認して、この長時間の手術に耐えられると判断した。

麻酔の量もそれだけ多くなったが、

なによりも「(兄の)体力が常人以上だった」

とのことでした。

 

しかし、今の熱が下がらなければ、脳にも影響がありうる。

とにかく、今は熱が下がることを祈るしかない。

という状況。

 

最後は神頼みか。。

 

私は何もすることも出来ない。

モヤモヤしながら、自宅に帰ることに。

 

何も出来ない、でも何かしないと気が済まない。

やったことは、

坊主にすること

でした。

 

兄は手術もあるので、衛生面から坊主になってました。
願掛けの意味で、兄と同じ坊主になろうと。

人生初の丸坊主。

当時34歳。
で、坊主。

今思えば、他にも(やれること)何かあっただろうに。。

この時、スーツ姿で坊主って、結構目立つことを知らない。

 

神奈川に帰宅した翌日に、坊主にしました。

そして、坊主にした翌日、母から電話が。。

 

母「あの後、熱は引いて、もう大丈夫になったよ。もう広島に帰ってきとる」

私「え?熱引いたのいつ?」

母「その日の夜には引いてた」

私「・・・・(その日に連絡してくれたら坊主にしなかったのに)」

今思えば、手術で熱が出るのは普通の事だし、

もう少し様子見すれば良かった、、、

でもその時は焦ってたんでしょう。

 

後日、会社では、色んなに人に「何で坊主?」と言われて、

「いやぁ、さっぱりしたくてね。」

とか、テキトーに答えてました。

※ごく一部の人のみ、事情を説明したけど。

 

おそらく、多くの人に「何か仕事でやらかした」と思われたに違いない。

前髪が出来るのが、待ち遠しい日々を過ごすことになります。

 

ともかく手術は無事に成功。

 

しばらくして、お見舞いに行きました。

その時、ゆっくりと話を聞くことが出来ました。

 

~まだ続きます。次で最後。