辛さを天秤にかける事はできないけれど。 | 世界一幸せなDINKS

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仕事と夫が大好きな30代ゆるキャリ女子です。キャリアが大事なので子供はいません。流されてではなく、自分の意思で決めた人生は楽しくて充実しています。

能登半島での地震にともない、「帰省先の珠洲市で土砂崩れがあり、妻子4人を失った男性」が取材されていました。幸せで平凡な日が一瞬にして崩れる絶望感。想像しようとしても、多分1%も想像できないんだろうな。

 

この事故を見ていると、池袋暴走事故を思い出します。

共通点は「妻子を一瞬にして亡くした」という事だけで、原因も背景も全然違うんだけど、つい重ねてみてしまいます(私だけかな?)。

池袋での事故のように憎む対象がはっきり分かっている場合と、今回のように加害者がいない場合。どちらがより辛いんだろう。

 

憎むという感情を持ち続ける事はすごく体力を使うし疲れる。いくら憎んでも報われる事はないし、スッキリすることもない。

逆に、怒りの矛先が無いのも辛い。責める対象がなくて、ただただ後悔して、自分を責めるのかもしれない。「誰も悪くない」っていう言葉は、被害者を余計苦しめるのかもしれないな。

 

決して比べるものではないと思うけど、私個人的には、憎む対象がある方が辛いような気がします。「人を憎む感情」からは何も生まれないし、かといって、じゃあ止めようと思って止められるほど単純な感情ではないから。