みなさん、こんばんはわたなべです。今回は前回の続きについて書きます。前回は、学校教育はなぜ皆同じことを求めるのだろうということについて書きました。僕は、その原因はその歴史にあると考えました。

時は遡ること、明治初期。その頃は鎖国を続けていた日本にペリーがやってきて、開国して産業を発展させないと日本は植民地になってしまう〜と政府が恐れていた時期です。当時の日本は、徳川幕府というものはあったのですが、それぞれの県は各大名が治めており、「俺は日本人だ!」って感じではありませんでした。(今の人たちが「俺は地球人だ」ってあんまり言わないのに似てます)

日本が一つにならなければ世界には勝てない!と感じた明治政府は、「富国強兵」をスローガンに様々なものを近代化させるとともにバラバラな日本人をまとめるために「国民国家」(自分は日本人であり日本の危機は自身の危機に等しいと考えること)の意識を日本人に作るための改革も行いました。

政府は児童の時から教え込むのが妥当と考え、ここで初めて政府による教育のシステムすなわち義務教育がスタートしました。ここでは、皆の思考を一つにするのが求められ、決まった制服を着て、決まった教科書を読み、変な意見を言う奴は徹底的に叩かれました。この結果が良くも悪くも、日本の軍事力を上げ日本は列強と渡り歩けるようになりました。

しかし、周知の通り日本は太平洋戦争で敗戦を期しました。日本はその後復興し、様々なことが改正されました。そして今はグローバル化や機械化が進む時代です。これからは、自分の楽しいと思うことを追求していくことができる時代が来ると言われてますね。もうお気づきかもしれませんが、そんな時代の中、「日本を強くしよう」なんていう国民国家思考は、時代遅れなのです。こちらもアップデートしていくことが求められます。

皆さん一度は経験があるとは思いますが、今までで楽しくなかったクラスやついていけなくなった授業があると思います。楽しくないクラスは、なんとなく自分が自分の意思で動いてないような気持ちで毎日を過ごしていました。また、ついていけなくなった授業の時間はただぼーっとしてました。これって自分の人生において最も無駄でnot有意義な時間ですよね。今が国民国家ならみんなと合わせることが求められますが、今の時代は、受けなくても行かなくてもいいと思うのです。義務教育は、世間では必ず行かなければならないとされていますが、法律的にはあれは親の義務であって、子供が行きたいと言った時に行かせてあげる義務なのです。

では、これからはどんな教育の体型が必要になるのでしょうか?それは。。ん〜また次回!!!