たしか、アランドロンの「太陽がいっぱい」のリメイクだっけ…それから、ジュード・ロウとマット・ディモンが絡むのか…くらいの認識で見始めたのだけど、見ている間じゅう落ち着かない気分になった映画だった。
なにが落ち着かないかって、マット・ディモンがハンサム…とは言い難いルックスで…えっと、主人公がマット・ディモンだと気がつくのにずいぶんかかって…、おまけにそれがあの!アラン・ドロンのやった役だったなんて…。
ジュード・ロウの方がマット・ディモンよりもハンサム度はものすごく高いのだけど、なんかジュード・ロウの役柄もよく分からないというか、役柄のせいなのか大仰な演技のせいなのか、なんだか全然映画の世界に入っていけなくて落ち着かなくて集中できなくて。
そのくせイタリアの美しく退廃的な街並みが舞台で、切ないメロディーの音楽が流れ、時折スポットがあたるジャズの世界も魅力的なはずなんだけど…、なんだろう、整えられた舞台の上で、ジュード・ロウとマット・ディモンが浮きまくってるというような…。
金持ちの放蕩息子で、女好きだけど惹きつけられるような美貌と魅力の持ち主で、太陽のような青年という役柄も、美貌はさておき、なんだかジュード・ロウにしっくりしていない気がするのは演技のせいなのかな。
婚約者の女の子も、最初はまったく美人にみえないし、そのせいかジュード・ロウが彼女を心の底から愛してるというのがなぜか伝わってこなくて。
見ているうちにお尻のあたりがもぞもぞしてきてしまって、しょっちゅう一時停止しては飲み物を取りに行ってみたりする始末。
ただ、ジュード・ロウの入浴シーンだけは惹きつけられたかも。
(彼のお尻がみられるからではナイです)
原作で描かれていたという、ホモセクシュアルな臭いのする二人の映像…。なにも言わないけれど、なにかを感じさせられるような微妙な間は、マット・ディモンが勘違いしてしまうのは仕方ないと思わせてしまう…!
彼に対する憧憬やホモセクシュアルな愛情が相まって、最終的な犯行に及んでしまったんだろうと思わせるにはあの入浴シーンは十分だった。
「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンは、野心的で、狡猾で抜け目のない、完全犯罪をもくろもうとする野卑た美貌の持ち主で、映画史上強烈な魅力を放っていたけれども、原作の意図するリプリー像とはかけ離れていたようで、だからこそあらためて、マット・ディモンのリプリーがキャスティングされたのだろう。
だけどやはり、アラン・ドロンと「太陽がいっぱい」の前には、そんな原作なぞどうでもいいと思わせるだけの、魅力と迫力があって、「リプリー」にはそれがないんだよな…。
どうにもこうにもちぐはぐな映画だったかも。
ジュード・ロウ鑑賞映画というならいいのかな?だけど、ジュード・ロウも観ている間中、誰かに似てるよな…?誰だっけ?誰だっけ??と頭の中がぐるぐるしてて集中できない美貌なんだよな。
(好きな人ごめんなさい)
そして、似ていると思った俳優は、渡辺謙でした。「インセプション」に出ている、ちょっと大仰な演技とか髪の感じとか似てません?
好きな人本当にごめんなさいー。
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